
英語は、文学、映画やドラマ、コメディーや歌などに楽しく触れながら学ぶと、習得しやすくなります。連載「文学&カルチャー英語」では、シェイクスピア研究者で大学准教授、自称「不真面目な批評家」の北村紗衣さんが、英語の日常表現や奥深さを紹介します。今回のテーマは、肯定なのか否定なのかがややこしい「ダブルネガティヴ」です。
シェイクスピアが若者への愛をダブルネガティヴで詠む
今回は 「ダブルネガティヴ」、つまり1文に2回(以上)、否定語が出てくる文 を取り上げます。
まずは、こちらの動画をご覧ください。新型コロナウイルス感染予防で外出できなくなったファンのために、イギリスの俳優で、シェイクスピア劇や『スター・トレック』シリーズで有名なパトリック・スチュワートが、ウィリアム・シェイクスピアの「 ソネット19番 」を朗読しているところです。
ソネットは14行の短い詩 です。シェイクスピアのソネット集というのは、緩いつながりを持ってまとめられている短詩を、154首集めたものです。今回、注目してほしいのは、この9行目から10行目です。
O, carve not with thy hours my love’s fair brow,シェイクスピアのソネットは、1番から126番までは、 通称「麗しの若者」と呼ばれている美青年に向けて書かれている と考えられています。19番では、語り手の詩人が、「時」に対して、愛する人の美貌に老いをもたらさないでくれと要求しています。
ここに出てくる thy とか thine (これらの単語については、 第6回記事 をご覧ください)は、1行目と6行目にあるTime、つまり「時」を指します。ソネット集では、この 「時」は擬人化 されており、若さや美、健康を奪っていく、一種の 死神 として描かれています。
my loveは「僕のいとしい人」で、ここではソネットの呼び掛けの相手であり、詩人が愛している麗しの若者を指します。
antique penは「古めかしいペン」ということで、年を取ると増えてくる額のしわを、時が絵を描いているのに例えています。
あれっと思うのが、 Nor draw no lines です。1文にNorと no が出てきているので、「線ナシで描かないようにするな」、つまり「線を描け」ってことなのかな?と思ってしまうかもしれません。
しかし、これは実は 否定の強調 で、「絶対に線を描くな」という趣旨になります。訳してみると、こんな感じです。
ああ、僕のいとしい人の美しい額に時を刻むのなんて駄目だおまえの古めかしいペンで、そこに線なんか描くんじゃないぞ
ダブルネガティヴは「二重否定」ではない?
1文に2回も否定語が出てくるこうした表現は、double negative(ダブルネガティヴ)と呼ばれています。日本語では「二重否定」と訳されることも多いのですが、「二重否定」というと、 漢文で習う、否定が2つ重なって強い肯定になるもの を想像しやすいので、この記事では便宜的に「ダブルネガティヴ」と呼ぶことにします。
英語でも、I never eat anything without washing my hands.(私は手を洗わずに何か食べるなんてことは絶対しません)、つまり「私は何か食べるときは必ず手を洗います」というように、 否定が2つで強い肯定になるものはあります 。
しかし、 notやnor、 no などが一緒に使われる場合、多くは否定の強調 になります。
チョーサーも「否定の強調」としてのダブルネガティヴを多用
否定の強調としてのダブルネガティヴは、 今の英語では標準的でないもの、方言 とされています。でも、 昔の英語にはよく登場 し、特にリズムを整えながら強調するために詩人が好んで使いました。
シェイクスピアもダブルネガティヴが大好きです。また、14世紀に中英語で書いた詩人ジェフリー・チョーサーは、1文に3、4回も否定語が出てくる文を平気で作りました。例えば、こんな文章が頻出します。
Ther nas no man nowher so vertuous.The Canterbury Tales, General Prologue, 251
中英語なので難しいのですが、一度声に出して読んでみると、多少わかりやすいかと思います。
TherはThere、nasはne wasの短縮でwas notと同じ意味、nowherはnowhereです。vertuousは virtuous で、ここでは現代英語の「徳高い」よりもむしろ「力強い」に近い意味でしょう。
現代英語にすると、There was not no man nowhere so virtuous .となります。
nas、 no 、nowherが否定語ですが、これは否定の強調になり、「あんなに強い男はどこにもいなかった」という意味になります。
この文はダブルネガティヴが目立つ文として有名で、文法書の『アメリカン・ヘリテージ』から ウィキペディア まで、ダブルネガティヴの解説に頻繁に登場します。
カニエ・ウェストなどアメリカのヒット曲に登場
私が初めてチョーサーのこの詩句を見たときに、「カニエ・ウェスト *1 みたいだな」と思いました。それも無理はない、というか、現在、ダブルネガティヴを耳にする機会としては、 アフリカ系アメリカ人の英語か、イギリスの労働者階級の英語 が多いかと思います。
標準的な英語からは外れてしまったダブルネガティヴですが、上記のような英語では強調表現として根強く残っています。今でもブラックミュージックでは、チョーサーやシェイクスピアばりのダブルネガティヴが使われているのです。
マーヴィン・ゲイ&タミー・テレルの “Ain’t No Mountain High Enough” や、カニエ・ウェストの “Can’t Tell Me Nothing” は、タイトルからしてダブルネガティヴです。
この2曲は両方とも、タイトルで主語が省略されています。歌詞を聞くと、“Ain’t No Mountain High Enough”では次の文が出てきます。
There ain’t no mountain high enough … to keep me from getting to youain’tは、be動詞+notの短縮形 の一種です。あなたのところに行き着くのを阻むくらい高い山なんてない
“Can’t Tell Me Nothing”の歌詞は、シンプルにこうなっています。
you can’t tell me nothing文脈からすると、こういった日本語訳になるでしょう。おれには何も言えないだろ
イギリスではローリング・ストーンズやピンク・フロイド
イギリスのくだけた英語に出てくるダブルネガティヴとしては、ローリング・ストーンズの “(I Can’t Get No ) Satisfaction” と、ピンク・フロイドの “ Another Brick in the Wall, Part II” があります。
前者は「ぜんっぜん満足できねえよ」くらいの意味で、ダブルネガティヴはフラストレーションがたまっている感情を表していると考えられます。
後者は最初にとても有名な We don’t need no education (教育なんか要らないよ)という歌詞があり、これは イギリスの労働者階級の英語を使って硬直的な教育を批判 していると考えられます。
ドラマでダブルネガティヴの歌詞がネタに
ピンク・フロイドのこの歌は社会風刺を含んだ内容で、わざとダブルネガティヴを使っているのですが、これをネタにしたテレビドラマがあります。
2006年からイギリスで放送されていたシットコム『 ハイっ、こちらIT課! (The IT Crowd)』第1シーズン第4話のオープニングで、主人公の一人であるロイ(クリス・オダウド)がこの歌詞を、♪We don’t need no education♪と口ずさむと、 同僚 であるモス(リチャード・アイオアディ)が、Yes, you do. You’ve just used a double negative.と言います。
Yes, you do.はYes, you do need education.なので、このセリフは「いや、教育が要るよ。今ダブルネガティヴ使ったとこでしょ」という意味になります。これはつまり、ダブルネガティヴが標準英語ではなく、 教育がある人は使わないということをネタにしたジョーク です。
「非標準」というより「生きた英語表現」
今回は、チョーサーから最近のドラマまでいろいろな例を紹介しました。
覚えておいていただきたいのは、ダブルネガティヴは標準的な英語ではないと言われていますが、実は 古い歴史がある もので、さらに 最近でも結構よく使われていて、歌などにも出てくる 、ということです。
なんだかんだでちょっと複雑な表現なので、自分で使ってみるのは特におすすめしませんが、出くわしたときに理解できるよう覚えておく必要はあると思います。
そして、こういう英語は標準英語ではないから、などと言ってばかにしないことが重要です。その点、『ハイっ、こちらIT課!』のモスのような態度はお手本にせず(モスはまったく空気を読まないキャラクターという設定なので、そういうところが面白いわけですが)、こういう表現は 生きた英語だと思ってしっかり理解する ようにしましょう。
参考文献
※シェイクスピアのソネットの引用はフォルジャー版、チョーサーの引用はリヴァーサイド版により、日本語訳はすべて拙訳です。
■William Shakespeare, Complete Sonnets and Poems, ed. Colin Burrow, Oxford University Press, 2002.

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武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。著書に『 シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち──近世の観劇と読書 』(白水社、2018)、『 お砂糖とスパイスと爆発的な何か──不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門 』(書誌侃侃房、2019)など。
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