学習法や教材を工夫するのも大切ですが、確立されたメソッドや良質の教材だけでは、高いレベルでの外国語習得は難しいでしょう。しかし、「自律的学習者」になれば、おのずと英語力は上がっていきます。語学やそれ以外の学びにも一生役立つヒントを、第二言語習得の専門家、新多 了さんが紹介します。第2回は、複数言語を習得することで得られる「マルチコンピタンス」です。
「ツール」としての英語
昨年の春、約20年ぶりに東京に戻ってきました。 久しぶり に生活する東京で感じた大きな変化の一つが、街を行き交う外国人の多さです。
日本政府観光局 の統計によると、2000年に約475万人だった訪日外国人観光客は、2018年には約3100万人まで急増。また、日本で働く外国人労働者は、企業に届出を義務化した2007年は50万人程度であったのが、2018年には146万人に増えています( 厚生労働省 )。
これらの数字は日本全体の統計ですが、肌感覚では東京にいる外国人の多さは圧倒的です。
現代の東京で生活していると、1998年ごろのロンドンの姿がよみがえってきます。
当時、私は大学生で、1年間のイギリス留学中でした。時々、小旅行でロンドン中心部に行くと、さまざまな人種、民族の人たちが入り乱れていて、その光景に圧倒されたことを今でも鮮明に覚えています。
ダイバーシティ(多様性)が圧倒的な規模とスピードで進行することを「 スーパーダイバーシティ 」と言います。ロンドンから遅れることおよそ20年、 東京でも今まさにスーパーダイバーシティ現象 が起こりつつあることを実感します。
さまざまな国の出身者が集まった場で、主なコミュニケーション手段となるのは英語です。これを、「 リンガフランカとしての英語 」(English as a lingua franca)と呼びます。
もちろん、東京であればリンガフランカの第一 候補 は日本語。でも、外国から来た人たちと複雑で深いコミュニケーションをするなら、英語ができると便利です。スーパーダイバーシティ社会において、この「コミュニケーションツール」としての英語の価値は疑いようがありません。
英語を学ぶ必要がない時代がもうすぐやって来る?
現代社会を特徴付けるもう一つの大きな変化は、AI(人工知能)技術の進歩でしょう。英語との関わりで言えば、「〇〇翻訳」「〇〇トーク」などの、AI翻訳・通訳技術が急速に広まっています。
例えば、Facebookを見ていると、誰かが英語で書いたコメントが日本語に自動翻訳されているのを目にすることがあります。まだ不自然で不正確な翻訳が多いですが、おおよそ意味を捉えるだけなら十分なレベルです。
私たちの日常会話のほとんどは、どこかで誰かが繰り返し使ってきた定型表現(formulaic sequences)の組み合わせです。そのため、ネット上で誰かがつぶやいた言葉が言語データとして蓄積され、翻訳の精度がどんどん高まっています。もっと正確で、瞬時に通訳 処理 が可能な〇〇トークが登場するのは時間の問題でしょう。
そしてそのとき、私たちは英語を学び続けるか、それともやめてしまうかの決断を迫られることになります。より洗練されたAI通訳機が世にあふれたとき、現在のような国民的英語学習熱は冷めてしまう、というのは十分にあり得るシナリオです。
でも、 ツールとしての英語の価値が失われてしまうことは、英語を学ぶもう一つの(より重要な)価値に気付かせてくれる きっかけ にもなるかもしれません。
デジタルを排除した「テックフリースクール」
英語を学ぶ「もう一つの価値」について話す前に、テクノロジーに関する話をもう少し続けます。
「テックフリースクール」をご存じでしょうか?その言葉通り、テクノロジー(tech)を使わない(free)学校のことです。日本では、パソコン、タブレット、電子黒板など、テクノロジーがどんどん教育現場に導入されていますが、それとは正反対のアナログ的な教育の場です。
実は、IT界の巨人であるスティーブ・ジョブズ氏やビル・ゲイツ氏も、自分たちの子どもにはスマートフォンやタブレットの使用を禁止し、いわゆるテックフリー 教育を取り入れていたそうです。
なぜテックフリースクールかといえば、 便利な機器がさまざまな学習機会を奪ってしまう からです。
例えば、何か分からないことがあるとき、Googleで検索すれば簡単に答えを見つけられます。一方、辞書や本を調べるのは時間と労力がかかり面倒です。でも、時間がたったときに、どちらの手段を取った方が答えを覚えているかといえば、時間と労力をかけて調べた方でしょう。簡単に手に入れたものは、簡単に失ってしまうものです。
また、本を使って調べるときには、ピンポイントで答えが見つからないことも多いでしょう。そこで、何冊かの本を調べて、その内容をつなぎ合わせて自分なりの答えを形成していくことになります。そうすることで、知識の獲得だけでなく、 途中のプロセスからさまざまなことを副次的に学ぶ ことができます。これを 付随的学習 (incidental learning)と言います。
「自分」をつくるために英語を学ぶ
この先、「AI通訳機があるから、英語はもう勉強しなくていい」と考える人がたくさん出てくるでしょう。でも、それで簡単に英語学習をやめてしまう人と、AIがある にもかかわらず 学習を続ける人とでは、その途上で得られる経験と付随的に獲得する能力に大きな差が生まれるはずです。
英語を学ぶプロセスから得られることは数多くあります。何より重要なポイントは、その全てが 「自分」をつくっていくことにつながる という点です。
私は、人生とは最後の瞬間まで「自分」をつくっていく 作業 だと考えています。そして、母語である日本語に加えてもう一つの言語を学び続けることは、自分をつくるために最も 有効 な手段の一つではないかと考えています。
「ネイティブスピーカーの英語」を目指す必要はあるか?
自分をつくる手段の一つとして英語学習を捉えれば、「ネイティブ」の英語を目指すことにあまり意味はありません。
もちろん、英語として美しい発音や流ちょうなコミュニケーション、適切な表現を参考にすることは有益です。でも、もし「ネイティブのような英語を話さなければ」というプレッシャーを感じ、そのために英語を使うことをためらうなら、考え方を変えた方がいいでしょう。
「ネイティブ英語の呪い」から解放 されると、英語を使うことがもっと楽しくなります。そして、楽しく学習すれば必ず上達します。
「マルチコンピタンス」とは?
母語以外にも言語を学ぶことに関連して、SLA(Second Language Acquisition 、第二言語習得)では、「マルチコンピタンス」(multi- competence )という考えがあります。これは、複数(マルチ)の言語を使用する能力(コンピタンス)を指します。
日本語に加えて英語を学ぶ人はみんな、マルチコンピタンスを備えています。
英語を学習していれば、英語的な考えが私たちの中に入ってきます。 日本語しか知らない自分と、日本語も英語も知っている自分は、異なるアイデンティティ を持つはずです。
また、英語を学ぶことは、日本語を相対化して見ることでもあります。常に 日本語と英語を比較することで、言葉に対する感覚が鋭く なるのです。言葉は、使うことに意識的になると、より上手に適切に使えるようになります。つまり、英語を学べば、日本語力もアップするのです。
マルチリンガルとしての英語を目指す
さらに、マルチコンピタンスの考えは、「ネイティブ英語の呪い」から私たちを解放してくれます。
母語能力は、生まれたときからその言語に触れ続けることで自然に習得されます。一方、後から学習を始める第二言語が、母語話者と同じレベルに達するには相当な時間とエネルギーが必要です。
私たちが第二言語として使う英語とネイティブスピーカーの英語がさまざまな点で違うのは当たり前です。その「違い」を「劣っていること」と捉えているなら、それは呪われているようなものです。
私たちは英語を学ぶときに、アメリカ人やイギリス人(の一部)のようなモノリンガル(単一言語話者)のネイティブスピーカーを理想化しがちです。でも、マルチコンピタンスの概念においては、 マルチリンガル(多言語話者)の持つ能力はユニークで、本質的にモノリンガルとは異なっている と考えます。
本質的に異なっているのだから、単純には比べられません。理想とすべきは、アメリカやイギリスの英語ネイティブではなく、第二言語として英語を身に付けた人 かもしれない のです。
英語学習はメタ認知能力も鍛える
マルチコンピタンスには言語以外の能力も含まれます。他者とコミュニケーションを取るとき、本を読むとき、自分の考えを文章にするとき、私たちはさまざまな能力を複合的に使っています。
英語を学ぶとメタ認知能力が鍛えられます 。考えたり、推論したり、計算したり、いわゆる「頭を使う」活動時に使っているのが認知能力。メタ認知とは、認知活動を行っている自分を「上から」観察する力です。
長期的な視点から自分の状態をモニターし、 修正 しながら学習を進める活動も、メタ認知活動です。こうした能力は、英語に限らず、 あらゆる学習の成功のカギ を握っています。
もちろん、英語は何よりも世界中の人たちとコミュニケーションをする手段です。でも、その学習の途中で得られるさまざまな力も、私たちの人生を豊かにしてくれます。
英語を学ばないのは本当にもったいないと思いますが、どうでしょう?
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文:新多 了(にった りょう)
立教大学外国語教育研究センター教授。著書に 『はじめての第二言語習得論講義――英語学習への複眼的アプローチ』 (共著、大修館書店)、 『「英語の学び方」入門』 (研究社)など。現在は、立教大学の新しい英語教育プログラムの開発と運営に取り組んでいる。
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