「桜を見る会」から学ぶ、人と人とのコミュニケーションの本質とは?

「桜を見る会」から学ぶ、人と人とのコミュニケーションの本質とは?

連載「言葉とコミュニケーション」第22回。今回は、先日、ニュースなどで取り上げられた「桜を見る会」から、コミュニケーションの本質について考えます。

「桜を見る会」について以前から疑問に思っていたこと

内閣総理大臣が主催して毎年、新宿御苑で開かれてきた「桜を見る会」のことが、先日、話題になった。

メディアを通して配信されるこの会の写真や映像を見ると、首相の周りに著名な芸能人やスポーツ選手などが集まって楽しそうにしている。もともと注目のイベントだったけれども、違う理由で注目を集めてしまった。

「桜を見る会」については、いろいろ言われているようだけれども、それとは別に、以前から疑問に思っていたことがある。

しばしば配信される「集合写真」だ。「桜を見る会」というとそのイメージが強い。しかし、撮影するのはおそらく一瞬のはずで、それ以外の時間は何をしているのだろうかと思う。

「桜を見る会」という名前が付いているけれども、そもそも実際に桜を見る時間はどれくらいあるのだろうか。(温暖化の影響もあって、ソメイヨシノが咲く季節は年々早まっている。「桜を見る会」が開かれる4月中旬だと、散ってしまっているのではないかと心配になるけれども、みんなが見ているのは「ヤエザクラ」だから問題ないという。)

あの広い新宿御苑を、1万人とかいう大勢の人たちが歩き回っているわけだけれども、それって、気疲れしないだろうか。首相や、その他の有名な方と写真を撮りたい、という理由で全国から来ていらっしゃる方々も多いのだろうけれども、そのチャンスをうかがったり、やきもきしたりしているところを想像すると、随分と大変そうだ。

「同じ場を共有する」ことの価値

コミュニケーションの本質は、「今、ここ」の詳細にある。一枚の写真や短い映像では、そこで過ごす体験の本質に迫ることはできない。「桜を見る会」という経験はどんな内実なのか、参加したことのある方にうかがってみたい。

「桜を見る会」については、その招待客の選定についてあれこれと言われているようだ。もともとは功績のあった方をお招きするというのが趣旨だったのに、政治家の方が身内を呼ぶ場になっているという指摘がある。

もっとも、一般の花見のことを振り返っても、空気が温かくなって、花が咲き始めたときに楽しい時間を過ごしたいという人間の気持ちには切実なものがある。そのとき、気心の知れた友人や、自分を支持してくれる人を呼びたいというのは人情なのかもしれない。花や緑の中、知り合いや友人にたくさん会って「やあ!」「どうも!」「元気かい?」などとやるのは楽しいのだろう。

だから、「桜を見る会」についてあれこれ言われていることは、人の心の機微としては理解できないわけではない。ただ、やはりルールは守らなくてはいけないし、あくまでも公的な行事であるということも忘れてはいけないだろう。

ところで、花見や、同じように人が気楽に集まるパーティーのことを考えてみると、そのコミュニケーションには大きな特徴があるように思われる。それはすなわち、「同じ場を共有する」ということの価値である。

もちろん、あれこれと話をしたり、情報を交換したりということはあるけれども、それよりも脳の感情の回路や記憶のシステムに刻まれるのは、「あの場所、あのときに私も、あの人もいた」という経験だろう。

パーティーに出かけることをためらう人へのアドバイス

実際、参加人数が多いパーティーなどでは、遠くに知り合いを見つけても、直接話すことができないということはよくある。

目が合って、ああ、あの人もいるな、程度のことで終わってしまう。たまたま近くを通りかかって、「やあ、こんにちは、お元気ですか?」くらいの言葉を笑顔で交わせればそれで十分で、それさえもできないことはある。

立ちどまって、数分間話せれば幸せだけれども、そんなゆったりした時間もないこともしばしば。また、話したとしても、その内容はあとから振り返るとなんだかはっきりしない。

それよりも、何年経っても印象に残るのは、「同じ場にいた」ということで、「桜を見る会」に集まる方々が求めているのも、結局そのことではないか。

やはり、「一つの時間、場所を共有する」ということの価値にフォーカスした方が、花見やパーティーなどの意義は理解しやすいようだ。

そうなると、そのような場に出かけていくときに躊躇(ちゅうちょ)してしまう人の悩みも、ほとんど解決するのではないかと考える。すなわち、大人数の来る場所に出かけて行っても、何を話したらいいかわからないという懸念である。

何かを話さなくてはならないという強迫観念、プレッシャーがあるから、たくさんの人が集まるパーティーなどには出かけないという人がいたとしたら、それはもったいない。物怖じしていたら、大切なチャンスを逃してしまう。

極端なことを言ったら、一言も話さなくてもいい。ただ、その場にいればいい。自分の身体が、他の人たちの身体と同じ空間、空気を共有しているということさえあれば、そのことに価値は尽きている。

一番もったいないのは、会場にいる間、何か話さなくてはいけない、黙っていてはみっともないと焦ってしまうことである。それではその場を楽しめない。最初から最後まで、一言も口を開かなくてもだいじょうぶと最初から納得して出かければ、こんなに楽しいことはない。あとは終始ニコニコしていればいい。もちろん、気が向けば何か話してもかまわない。

ずっと残る時間や場所を共有した記憶

参加人数の多い「桜を見る会」。今までの参加者の中には、直接の知り合いもあまりいないからということもあって、新宿御苑についてから離れるまで、誰とも一言も口をきかなかったという人もいたに違いない。

それでも、その人は幸せだったろう。よく晴れた空の下、それだけたくさんの人たちと時間や場所を共有したという記憶が、ずっと心の中に残る。それ以上でも、それ以下でもない。

人と共有し、触れ合うためには、必ずしも言葉は要らない。そんな人間のコミュニケーションの真実に気づくきっかけを与えてくれるとすれば、「桜を見る会」をめぐる今回のあれこれは、決して無駄ではなかったということになるだろう。

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茂木健一郎(もぎ けんいちろう)

1962年東京生まれ。脳科学者、作家。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京大学大学院物理学専攻課程を修了、理学博士。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。

写真:山本高裕