イラスト:Alessandro Bioletti
プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!
これまでENGLISH JOURNAL という、英語学習に積極的な読者向けのメディアに連載してきたわけですが、通訳者の勉強についてはまったくと言っていいほど言及していませんでした。
日本でプロの通訳者になりたい人は、まず通訳学校に通って数年間勉強するのが普通です。大半の学校では時事問題を含む広範な分野を学習材料に使い、「狭く深く」より「広く浅く」学んでいきます。これはひとたびフリーランス通訳者として自立すると、少なくとも最初の数年はあまり仕事を選べないことと関係しているのかもしれません。
経験を積んで自分の得意分野と専門性が明確になった中堅やベテランは、通訳会社やクライアントとの間に構築されてきた信頼関係もあるので、自分である程度は仕事を選べるようになります。しかし、新人はそうはいきません。今日は医療機器のワークショップ、明日はIT 企業の取締役会、明後日は日帰りの国内出張・・・体力的に 厳しい のはもちろんですが、初めて対応する分野・業界の連続なので、事前準備にかなり時間を使います。繁忙期には頭の疲労が限界まで達するでしょう。
ただ、体力的にしんどくても、通訳会社との信頼関係ができていない時期は「ノー」とは言いにくい。仕事が途切れるのが怖いですし、通訳会社にとっても採用した新人通訳者の最初の6カ月~ 12 カ月は試用期間のようなものです。きちんと仕事をこなせるか、時間を守れるか、通訳仲間や依頼者と仲良くできるかなど、通訳者の技能と人柄が観察されています。
「実践」で業界を学ぶ
では学校を卒業して現場で活動を始めた通訳者は、どのようにスキルの向上・維持を図るのでしょうか。通訳者は売れれば売れるほど基礎学習の時間がなくなりますので、普通は業界の閑散期である8 月や12 月に通訳技術を磨き、それ以外の時期は本業をこなしながら(そして本業に 影響 を与えない程度に)さまざまな業界について「広く浅く」学ぶケースが多いようです。以前にスポーツ雑誌の記事で、プロ野球選手はシーズン中にフォームを崩して成績を落とすのが怖いので、打ち方や投げ方の抜本的なフォーム改造はシーズンオフに行うケースが多いと知ったのですが、通訳者も似たような感じかもしれません。
私は今年でキャリア18 年目になりますが、まだ学ぶことが多く、今でも「広く浅く」学習するように心掛けています。本は「カネで買える実力」なので読書は欠かしません(脳の筋トレだと思っています)。ただ、それ以上に今は「実践すること」に重きを置いています。
例えばIR( investor relations、いわゆる投資家向け広報)通訳の依頼が増え始めた頃、学ぶことが多過ぎて普通に勉強していたら時間がどれだけあっても足りないので、効率よく学習する方法を探した結果、自分で投資してみるのが一番だと結論付けました。自分が汗水流して稼いだおカネですから、すべて失ったらどうしようという恐怖はもちろんありましたが、それ以上に、自分でやってみれば投資家の心理を理解できるし、投資家が何を重要視するかが自然と見えてくるので、学習が 効率化 されるという確信がありました。あわよくば投資資金を数倍にしてやろうという考えも十分過ぎるほどありました(笑)。
市場 傾向 や財務諸表に関する本を読むのと、自分の資金を市場に突っ込んで勝負するのは全然違います。投資を始めた頃の私は投資に関する基礎情報をまったく持ち合わせていなかったので、いま振り返るとかなり無謀なことをしていたなと思いますが、大損したくない私は少なくない心理的プレッシャーの中、猛スピードで学習をしましたので(あまり調べずに最初に購入した銘柄群が一時期500万円の「含み損」を抱えて悶絶したものです……もう一生 unrealized loss という言葉を忘れることはないでしょう)、結果的には短期でIR 通訳に必要な要素を学べたと思います。
カジノ! 障害物レース! 有機農業!
カジノ関係の仕事に関わるようになってからは、ポーカーを始めました。クライアントは日本でのカジノ開業を睨にらんで色々と調査・検討を進めていたのですが、それまでカジノとは無縁だった私にはわからないことばかり。そこで、実際にプレーヤーになってみたら学びが加速化して通訳にも活きるのではと思ったのです。当然、上手くなったらマカオかシンガポールあたりで大会に出場して大金を稼げるかも!という甘い考えも十分過ぎるほどありました(笑)。
日本では賭博は違法なので、いわゆるアミューズメント・カジノと呼ばれる娯楽施設でプレーしました。実際に遊んでみると、現場でクライアントが話していたことが体感的に理解できます。例えばフロアに配置するゲーム用のテーブル数はこれくらいが最適だ、という話があったときに私は訳しながら「それだと狭過ぎるんじゃないかなあ」と思っていたのですが、国内の大きなポーカー大会に参加してみて、テーブル間隔が適度に狭いくらいがプレーヤーの熱気が強く感じられてビジネス的にはとても良いとわかりました。なんだかフロアの盛り上がりを直に感じられて、自分も勝てそうな気がしてくるのです。デザインの妙ですね。この後にマカオで仕事をする機会があったのですが、導線や照明の位置など、ユーザー目線になって初めて深く理解できたことが山ほどありました。
今年の5月には日本初上陸したスパルタンレース(大規模障害物レース)に参加しました。翻訳のクライアントが主催者の一人だったので付き合い的な要素もあったのですが、フィットネスの知識が 今後の 通訳活動に活きる かもしれない とも考えていました。そして当然、優勝して賞金10 万円ゲット、ヤフーニュースのトップを飾って一躍時の人!という安易な考えも無視できない程度にありました(笑)。
実際に走ってみると、さすがにもう若くないというか、一応昔はバリバリのアスリートだったのだけど、もう頭で描く理想の動きに体がついていけません。なんとか完走はしましたが、肉体はもうボロボロ、心も折れそうな一日でした。しかし参加したことで得た学びもやはりありました。各障害物を説明する英文がとてもシンプルに書かれていて(子どもも参加するレースなので、平易な表現で統一されている)、普段は法務案件ばかりこなしていて冗長な英文になりがちな私にはとても勉強になりました。
ちなみに この原稿を書いている今は新潟で有機農業を体験中です。最近はFinTech 案件が増えてきたので、秋になったらビットコインを購入しようかなとも考えています。「広く浅く」で、とにかく体験あるのみです!
関根マイクさんの本
フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」( https://blogger.mikesekine.com/ )