この連載では、洋楽歌詞の翻訳や海外アーティストの通訳を数多く行い、音楽分野で活躍してきた佐々木南実さんが、歌詞対訳の仕事を取り巻く現状やヒット曲に込められたストーリーをご紹介。歌詞対訳ならではの面白さ・難しさをひも解いていきます。第1回で扱うのは、カーペンターズの「Bless the Beasts and Children」。アメリカで過ごしたご自身の幼少期を振り返りながら、empowermentについて伝えます。
「私は女性」と抑圧からの脱却を歌った1970年代のヒット曲
皆さん、Empowermentにはどんな訳語を使っていらっしゃいますか?近年のOccupy Wallstreet 1 やBlack Lives Matter 2 をはじめとするさまざまな市民の動きの文脈の中でちょくちょく目にする単語ですが。「勇気付ける」?「力付ける」?それとも片仮名表記でそのままがしっくりきますかね?
私も定訳はいまだ見つけられていないのですが、意味としては動詞のsilence(沈黙させる)の対局に位置する状態だなと理解しています。 声を持たない、持てない人々、なんらかのpowerによってsilenceされてきた非抑圧者に対し、抑圧からの脱却を可能にする力を授ける 、というイメージです(誰が「授ける」のかを考えるのはちょっと置いておくとして・・・)。
市民運動の時代といえば1970年代。当時アメリカで暮らす日本人の子どもだった私は、その詳しい意義など知る由もありませんでしたが、テレビドラマの中でブラジャーを火の燃える暖炉の中に投げ込んで、乾杯する女性たちが出てきたシーンを見たのは覚えています。女性を締め付ける抑圧の象徴であるブラジャーを燃やして、liberation(解放)を祝うWomen’s Lib(女性解放運動)を描いたシーンだったんですね。
その頃ラジオから流れてきた曲にHelen Reddyの「I Am Woman」がありました。 立ち上がる女性のパワーを歌い上げた曲 です。マネージャーでもあったヘレンの夫が、レコード会社の人に「ウーマン・リブの歌なんか歌わせるのやめときなよ。売れないよ」と言われたといいますが、 時代を代表するヒット曲になりました。 ”I am just an embryo, with a long long way to go”という歌詞があって、そこで私はembryoという単語を初めて聞きました。invincibleという単語もこの曲で覚えました。懐かしいなぁ。
カレン・カーペンターが私たちに届けるメッセージ
そして同じ頃、The Carpentersの大ヒット曲「Superstar」のB面に「Bless the Beasts and Children」という曲がありました。これが本日の主役です。カレン・カーペンターのあの澄み切った声で”Bless the beasts and the children...”という歌い出しを聞いたとき、このchildrenには私のことも含まれているのかな?と思いながら聴いた覚えがあります。子どもだったので。
Bless The Beasts And Children - YouTube
この曲はGlendon Swarthoutの小説『Bless the Beasts and Children』(1970)が映画化されたときの主題曲。1972年のアカデミー賞楽曲賞にノミネートされました。 小説(映画)の内容はググっていただくとして、いわゆるcoming of age系のストーリーであるこの小説は、今でもアメリカの読者にたいへん愛されているとのことです。
Bless the beasts and the children...と歌うこの曲。でも、物語の最後では子どもたちは自ら立ち上がることを覚え、まさにempowerされます。子どもたちが無力な存在として認識されていた時代だったのだなぁと感じます。子供たちと動物たちに神の恵みを・・・
For in this world they have no voice...
この世界で彼らは声を持たないから・・・
They have no choice...
選ぶすべを持たないのだから・・・
半世紀が過ぎ、子どもに対する意識も変わりました。最新の教育学の見地では、子どもたちは、変化をもたらす個、agency(行為主体の能動性)を持った(持つべき)存在として語られます。 agencyを持った人は、 すなわち voiceもchoiceも持っている、empowerされた存在 ということになります。
拳を振り上げることだけがempowermentじゃない
The Carpentersは1969年にA&M Recordsより「 Offering 」というアルバムでデビューしました。同時期にA&Mで活躍したアーティストにRita Coolidgeがいます。2005年に彼女がアルバム「And So Is Love」のプロモーションのために来日したとき、私は通訳として同行したのですが、リタがカレン・カーペンターの思い出を懐かしそうに話してくれたのを覚えています――「A&Mの地下駐車場で、止める場所がいつもカレンの隣だったの。トランクからドラムセットの積み下ろしをしていた彼女の姿が忘れられないわ」。
カレン・カーペンターが歌いながら優雅にたたいていたあのドラムも、彼女自身がトランクに積んで、A&Mのスタジオまで運転し、積み下ろし、セットアップしていた頃があったんですね。そしてリタ・クーリッジとあいさつを交わして、それぞれの仕事場へとエレベータを昇る。まさに彼女たちの青春のワンシーンが目に浮かびます。ハリウッドで、音楽で、夢を叶えていく――誰にも止められないエネルギーが彼女たちにはあふれていたはず。これこそ、 自らの声を持ち(声を聞き)、進む道を選択し、人生を自分のものにしていくagencyの体現、まさにinvincibleな力を感じます。 彼女たちの夢と才能と情熱が彼女たちをempowerしていたんでしょう。
そんなすてきな風景を思い浮かべつつ、もう一度The Carpentersのアルバムを聞いてみるとしましょう。拳を振り上げることだけがempowermentじゃない。カレンの優しい歌声に、彼女らしいエンパワメントを分けてもらうことができそうな気がします。
第2回は2021年7月28日(水)公開予定です。
お知らせ ">オープンキャンパスの お知らせ
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*2 :黒人に対する暴力や形式的な人種差別の撤廃を訴える社会運動。2012年に起きた白人警官による黒人銃殺事件が発端となっており、2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスで発生したジョージ・フロイドさん死亡事件により抗議運動は世界中へ広がった。
佐々木南実(ささきなみ) 都留文科大学 国際教育学科専任講師、開智国際大学 非常勤講師、(株)ミーム・コミュニケーションズ代表。通訳・DJの田中まこのアシスタントとして音楽翻訳・通訳の世界へ。歌詞の翻訳やアーティストの通訳など洋楽の現場を数多く経験。近年は研究対象を国際教育に広げ、国際バカロレア機構(IBO)Japanese Translation Lead、OECD/TALIS短期専門研究員を経て現職。