俳優の上白石萌音さんが、英語の翻訳に挑戦!ベテラン文芸翻訳家、河野万里子さんの指導を受けながら、作品の世界を読者に伝えるべく奮闘します。翻訳者を目指す人はもちろん、英語学習者にも役立つヒントがいっぱい!
上白石萌音さんが名作『赤毛のアン』を翻訳
こんにちは!ライターの尾野です。
1年近く前の話になりますが、ラジオの英語講座をテーマにした、朝の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』を覚えていますか?
あのドラマで、流ちょうな英語を披露していた、俳優の上白石萌音さんによる本が出版されました!
本書は、NHK「ラジオ英会話」テキストでの2年に渡る連載をまとめたもの。上白石さんが、文芸翻訳家の河野万里子さんから手紙で手ほどきを受けつつ、『赤毛のアン』の名場面の翻訳に取り組んだ記録です。
河野さんとの往復書簡を通して、英語だけでなく日本語についても考察を深めていく様子は、さながら「ことば」をめぐる壮大な冒険のよう。
英語が好きな人や、英語学習を頑張っている人なら、これは見逃せません!
「役者」と「訳者」のプロ対決
本書の各章は、翻訳に初挑戦する上白石さんと、アドバイザー役の翻訳家、河野さんの、往復書簡で成り立っています。各章の流れは、こんな感じです。
①課題となる『赤毛のアン』の一説(英文)を紹介
?語注や、文の構成・文法についての解説
③上白石さんから河野さんへの手紙(1回目の翻訳提出)
④河野さんから上白石さんへの返信(翻訳に対するコメントやアドバイス)
⑤上白石さんから河野さんへの手紙(2回目の翻訳提出)
⑥河野さんから上白石さんへの再度の返信(お手本となる試訳)
本書では、①?のところで、読者も翻訳に取り組むことを勧めています。
「わざわざノートに書いたりするのは面倒だな」という人でも、ひとまず英文を読み、自分なりの和訳を考えておくとよさそう。そうすると、本書の味わいがぐっと増すからです。
上白石さんは、もともと英語も読書も好きだというだけあって、③の1回目の翻訳もなかなか巧みなもの。
つい、「これでいいんじゃないの」などと思ってしまいますが、④の河野さんの返信には、鋭いコメントや、プロならではのアドバイスがいっぱい。
上白石さんの翻訳のいいところはしっかりほめつつ、語彙や文法に関する勘違い、もっとブラッシュアップできる表現などを、こと細かに指摘していきます。
さらに、英文和訳とは違う、文芸翻訳ならではのむずかしさと醍醐味についても触れているので、翻訳に興味がある人や、洋書好きにはたまらないはず。
また、河野さんのアドバイスをビシッと受け止め、さらに翻訳を練り上げる上白石さんの姿勢も素晴らしい!
?の初回の翻訳と、⑤の2回目の翻訳を読み比べると、河野さんのアドバイスをしっかり消化して、自分なりの表現に落とし込んでいるのが分かります。
そういえば、上白石さんは、ミュージカル『赤毛のアン』で主役を演じたこともあるそう。
俳優と翻訳者は、職能としては一見かけ離れているようですが、やはり、表現者として共通する部分があるのだなあと思わされました。
そして、上白石さんの2回目の訳を受けての⑥、河野さんによる試訳のすばらしさ。上白石さんの翻訳もかなりのものですが、日本語の滑らかさ、味わい深さは、さすが翻訳のプロという感じです。
師弟対決・・・というほどゴツゴツした感じではなく、終始おだやかな雰囲気なのですが、上白石さんにとっては表現者としての腕を磨くまたとない道場であり、河野さんにとっても、さまざまな気づきを得る機会だったのではと思いました。
「役者」と「訳者」。それぞれ、その道でプロとして活躍する者どうしの、真剣勝負を見せてもらったという気持ちになりました。
翻訳者の醍醐味とは?
「プロの翻訳者」が、「プロの役者」を鍛え上げる本書は、英語学習者にとっても役立つ教えの宝庫。
本書を通して、何度も出てきたのが「疑問に思ったら辞書を引くように」というアドバイスです。
翻訳に挑戦しようとする人は、そもそも英語に自信がある人でしょうが、それでも、辞書は欠かせないとのこと。
特に、英英辞典をまず1冊手に入れることを勧めています。
例えば、アンがアヴォンリーへ向かう途中、花ざかりの並木道を通り過ぎたシーン。
この道の美しさに感激したアンは、prettyでもbeautifulでもまだ言い足りないと、この道にぴったりくる表現を探します。そして出てきた単語がwonderful。
これは中学生でも知っている単語です。「wonderful=すばらしい」ですよね?上白石さんもそう訳しますが、河野さんからアドバイスが。
最後に出てくるwonderfulは、アンが「prettyでもbeautifulでもなくて……」と、一生けんめい探して見つけた言葉。だから、wonderful=「すばらしい」という当たり前の訳語から自由になって、それ以上の日本語で、訳者として応えたいのです。応えられたら、これは最高にテンションが上がりますよ!
アンのように想像の翼を広げ、自分の頭や心、経験のなかからも、ピタッと来る日本語を探してほしい、と河野さん。
さらに、改めて英英辞典を引いてみて、その単語のコンセプトやイメージをつかみなおすといいとのこと。
ネットのロングマン現代英英辞典で調べてみると、wonderful は、making you feel very happy、または、making you admire someone or something very much。類義語として、greatやamazingが挙げられています。
さて、このアドバイスを受けて、上白石さんはwonderfulをどう訳したのでしょうか?英文と併せて紹介しますね。
‘Pretty? Oh, pretty doesn’t seem the right word to use. Nor beautiful, either. they don’t go far enough.Oh, it was wonderful-wonderful.
「きれい?いいえ、きれいって言葉はふさわしくないわ。美しい、でもない。そんな言葉じゃ足りないわ。そうだ、夢みたい。まるで夢みたいなところだったわ」
和英辞典には、「wonderful=夢みたい」とは載っていないかもしれません。
でも、上白石さんが、白い並木道を思い浮かべ、空想好きなアンならどう言うかと考えて導き出したこの表現。ぴったりだと思いませんか?
河野さんも、「アンならきっとこういうだろう」と太鼓判を押しています。
また、国語辞典も活用するようにとのアドバイスも。翻訳者にとっては、英語力はもちろん、日本語の表現力も欠かせないのです。
翻訳というと(中略)、たしかに英語が読めないと始まらないのですが、「勝負は日本語の力、日本語の表現力」です。翻訳が本の形になって書店や図書館に並んだら、みんなできあがった日本語だけを見て読もうかどうか判断するわけですし、読むときにも日本語を通してしか、その本のおもしろさ、すばらしさを味わうことができません。
そう考えると、翻訳者の責任は重大ですね!ある作家、ひいてはある国の文化大使みたいな感じさえしてきます。
正確な訳であることも大事ですが、その作品の魅力をどれだけ伝えられるかが肝心なのですね。
河野さんは次のようにも述べています。
英文和訳とは違って、翻訳では一対一で「言葉→言葉」にするのではなく、「内容→内容」に。でも原文から逸れてしまってはいけないので、日本語を書いたあとにもう一度、英語の確認を。
翻訳者は、意外と職人気質の仕事なのかもしれません。最大限に腕を振るいつつ、依頼主(原作者)の意向にピタッとあったものを作り上げるという・・・。
翻訳者は、登場人物になりきる役者。さらに、文化大使にして、職人。翻訳者の仕事は本当に厳しいものですが、それだけに、やり遂げたときの喜びは格別のものでしょう。
まとめ
本書には、英語を日本語に翻訳する上での心得や、細かなテクニックも載っているので、翻訳に興味がある人にとっては、格好の手引書になりそう。
また、もともとハイレベルな英語力を持ちながらも、河野さんのアドバイスに真摯に耳を傾け、表現を磨き続ける上白石さんの姿は、英語学習者としても見習いたいもの。
何より、「英語に触れるのはやっぱり楽しい!」そんな気持ちにさせてくれる1冊でした。