司法通訳人の 懐事情【通訳の現場から】

司法通訳人の 懐事情【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

この原稿を執筆しているのは11 月下旬なのですが、世間では金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕された日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の話題一色です。出張から帰国したゴーン氏を羽田空港で待ち伏せして逮捕とのこと。日本を代表する大企業のトップが逮捕されたのも衝撃でしたが、通訳業界的には約24 時間後にもう一つの衝撃が走りました。

突然、「場所:霞が関検察庁、報酬:1日1万7000円(税込、交通費込)」というオファーが広く出回ったのです。捜査中案件のため、事件の詳細などの情報は一切ありませんでしたが、案件発生のタイミングと業務日程を確認する限り、ゴーン氏と日産のほかの外国人役員以外に考えられません。

このオファーを目にして私はとても残念に思いました。一定の実力と現場経験があり、事件に関連する金融と法律の知識があるプロ通訳者を雇う場合、日本では安く見積もっても5 万円/日は軽く超えるからです。もちろん本件はエージェント経由の案件ですが、仮にエージェントのもうけが通訳者の報酬と同額の1万7000 円だとしても合計3 万4000 円です。これで一流の司法通訳人が雇えるのかと聞かれたら、私にはイエスと答える自信はありません。そしてこの報酬状況は昔からあまり変わっていないのです。

司法通訳人とは

司法通訳人(司法の現場で通訳をする者)という仕事が何かわからない人も多いと思うので、簡単に説明します。日本で司法通訳人になるには、各都道府県の裁判所、検察庁、弁護士会で通訳人として登録しなければなりません(常に募集しているわけではないので、ウェブサイトなどで確認する必要があります)。

驚く方もいるかもしれませんが、特に応募資格はありません。多くの場合、すでに司法通訳をしている人からの紹介で始める方が多いようです。例えば裁判所の場合は履歴書で通訳人の実績を確認し、裁判官との面接を受け、実際の裁判を傍聴した上で簡単な感想文を提出するという流れです。検察庁もほぼ同じ流れですが、紹介を重視しているようです。

検察庁と裁判所(弁護士会経由の案件は少ないので割愛します)での通訳は昔から相場が決まっていて、今でも大きく変わっていません。具体的な金額は地域によって異なるので断言はできませんが、会議通訳者の報酬を大きく下回るのは確実です。難易度的には決して簡単な仕事ではないのですが、予算が決まっているので昇給はなく、交渉の余地もありません。

検察庁の場合は安い報酬ながらも、事前に報酬額を提示してもらえるので納得して受けることができますが、裁判所の場合は案件が終了して振り込みがあるまで自分の報酬額がわかりません。そもそも基準が不明確なのです。私が沖縄の那覇地裁で活動していた頃は公判終了からおよそ1 週間後にハガキで報酬額の通知があり、1カ月後に振り込みがありましたが、後から知ったのは、沖縄はまだ恵まれていたということでした。

ほかの地域では、公判単位ではなく、案件自体が終了するまで報酬が得られない場合もあるのです。つまり裁判が長期化すれば、報酬を得るのは1年後という可能性もあります。この理由から、知り合いの法廷通訳人は「終わりが見えない裁判を担当するのは生活的にも苦しい」と言っていました。

15 年ほど前からは裁判所も体力面に配慮して、一部案件には2 人の通訳人を選任することが増えてきました。それはとても助かるのですが、なんと報酬は1 人分を折半です。

そもそも低い報酬が半減するので、まともな専業通訳者はまず納得しませんし、実際、会議通訳の世界に入った通訳者が刑事司法の世界に戻ってくることはまれです。

今も昔も司法通訳人として活動する方の多くは兼業通訳者、実績がほしい新人通訳者、または外国語が堪能な高齢者です。とてもうまい方もいますが、全体平均を見ると、残念ですが技術レベルが高いとは言えません。私は司法通訳人訓練の講師として大阪高裁に派遣されたことがあるのですが、一部とても技術レベルが低い通訳人がいて、驚いたものです。

問題は報酬だけではありません。司法通訳の案件はそもそもいつ発生するかわからないので予定が組みにくく、資料の提供も少ないです。特に検察庁の案件は大半が翌日だったり、午前中に電話があって「本日午後の予定はいかがですか?」と聞かれたりします。具体的な内容は電話では教えてもらえないので、私は新聞やネットニュースでそれらしい事件を探していました。裁判も大型案件だと2週間以上をブロックで取られるので、スケジュールのやりくりが難しいことがあります。

訳がうまいと報酬が減る?

昔は検察の冒頭陳述や論告、弁護側の弁論要旨など、事前に用意された文書であっても通訳人には提供されていませんでした。先輩通訳人の努力のおかげで今日の司法通訳人はこれらの文書を事前提供してもらえますし、判決当日には判決文を公判前に読むことが許される裁判所もあります。しかし書面の事前提供は新たな問題を生みました。

書面を事前提供することで、当該文書の読み上げは同時通訳で行う裁判所が増えたのですが、同時通訳の速度で司法に求められる質の高い訳を出すには、文書を事前に翻訳する以外に方法がありません。ただ文書の翻訳に対しては報酬が支払われないので、通訳人としては仕事が増えて報酬が減った、というのが正直な感想です。

似たようなトピックですが、司法通訳はうまくなればなるほど報酬が減る仕事でもあります。とても悩ましいジレンマです。検察庁や裁判所は基本的に通訳人の稼働時間に対して報酬を決定するので、正確でテンポがよい訳出をすると当然ですが稼働時間は減ります。稼働時間が減ると報酬も減るので、実力がある通訳者は失望して辞めていきますし、経験が浅い通訳者にとってもうまくなる経済的インセンティブが存在しません。今後の司法通訳人の在り方を考える上で避けられない課題です。

各外国語の通訳人確保も課題です。日産の案件では、ゴーン氏はフランス人なので、彼が望めばフランス語の通訳人が手配されてしかるべきなのでしょうが、今回の取り調べは英語の通訳者が手配されているようです。

英語に比べてフランス語の通訳人手配は人材プール的に難しいという現実もあるのでしょうが、仮に十分な実力を持たない通訳人が手配されると、ゴーン氏はもとより関係者全員の不利益になる可能性があります。通訳人の重大な誤訳から新たな事件に発展しないように祈るばかりです。

関根マイクさんの本

同時通訳者のここだけの話

同時通訳者のここだけの話

  • 作者:関根 マイク
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/02/18
  • メディア: 単行本
 
通訳というおしごと

通訳というおしごと

 

文:関根マイク( せきねまいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」(http://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2019年2月号に掲載された記事を再編集したもので す。