イラスト:Alessandro Bioletti
プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!
通訳をする際のプレッシャーについて書いてくださいと編集部からの脅し、もとい依頼がありました。実はプレッシャーに打ち勝つメンタルタフネスは通訳者には必須の能力で、その意味で私は昔から通訳者はアスリートだと考えています。といっても野球選手やプロレスラーのように手足を動かしたりするアスリートではなく、時には過熱でシャットダウンしそうになるまで頭をフル回転させる、チェスプレーヤーや囲碁棋士と同じようなカテゴリーのメンタルアスリートです。
通訳において、ノーミスで終わる現場は年に1 回あればいい方です。経験を積めば大きな誤訳は回避できますが、通訳者のパフォーマンスはその日のコンディションや環境、話者の話し方・速度などの要素にどうしても 影響 されるので、小さなミスはほぼ必ずあります。ミスは起こるか起こらないかではなく、いつ起こるかなので、その現実をありのままに受け入れて適切に対応する精神力が必要になります。
目の前の状況をありのままに受け入れる。こう書くことは簡単ですが、実践はとても難しい。どうしても緊張してしまう、こればかりはどうにもならない、という人もいるはずです。ただ、もちろん極度の緊張は問題ですが、緊張自体は悪いものではありません。大事なのは緊張度を適度に保つことです。緊張感が 不足 していると凡ミスをしがちですし、緊張し過ぎると効率よく集中できません。
緊張との付き合い方
女優の宮沢りえは、ベテランになった今でも、自分の出番がくる直前に舞台袖で震えていることが共演者に目撃されています。「どうしよう、今日、私死んじゃうかも」などと弱気なことを言ってガタガタ震えているらしいですが、一度観客の前に立つと一変し、命が尽きるんじゃないか、というほどの熱量で芝居をするそうです。
私もスタート直前はブースの中で緊張していることが多いです。なぜこんな難しい案件を受けたのだろう、どれだけ勉強しても理解した気がしないよ、と思うこともしばしば。けれど長年の経験からか、それとも逃げられないなら精一杯頑張ってみるかという開き直りなのか、仕事が始まった後は腹をくくって一点集中ができるようになりました。
1000 人規模の会議で通訳した経験もありますが、実は人数が多いから緊張するということはほぼありません。それだけの規模の会議ですと同時通訳が普通ですし、ブースは会場の最後部に設置されることが多いので、会議参加者にジロジロ見られることもなく、同じ会場にいながら気分的には切り離された感覚があります。100 人の会議でも、1000 人の会議でも、気分的にはさほど変わりません。ただ、通訳を聞き慣れていない参加者が多い会議の場合、例えば女性の通訳者から男性である私に交代したとき、参加者が「ん?」という表情でブースの方を振り返るときがあるのですが、あれは何度経験しても緊張します。特に十数人が一斉に振り返って視線を私にロックオンした瞬間は思わず私の方が視線をそらしてしまいがちです(笑)。あまり自信がないけれどやむを得ずに出した訳で一斉に振り返られたら、もう地獄ですね!
あるゲーム会社がツイッチというライブストリーミング配信プラットフォームを使って資金調達放送をした案件もある意味では緊張しました。出演者は日本人の開発者やプロデューサーで、新しく制作するゲームの資金を欧米の個人ゲームファンから直接調達するため、ネット生放送でゲームのコンセプトを紹介したり、裏話をぶっちゃけたりするという内容でした。 事前に 目標金額が設定されており、この目標金額と、それに対して集まった合計金額は視聴者にリアルタイムでわかるようになっていました。
放送が始まり、調達額は順調に伸びていきます。私はゲーム好きなので通訳も特に難しくありません。開発者が所々でビッグニュース(例えば新作では〇×機能を盛り込むなど)を発表すると、私がそれを訳した瞬間からスポンサーの数と金額が急速に増えていきます。ただ、開発側からするとビッグニュースのはずなのに、発表後も数字があまり動かないと、ユーザーがそのニュースにあまり興味がないのか、私がうまく訳しきれてないのが理由なのか不安になりますし、緊張もします。
そして残りの放送時間が15 分の時点で、目標金額達成まであと5%程度になり、いよいよラストスパートです。出演者の方々もこの 展開 を想定していたかのように、スティーブ・ジョブズの one more thing 的な秘密兵器を最後に持ってきます。熱量と共に出演者が話すペースも上がり、私とパートナーはそれに追いつくのに精一杯で、緊張度もかなり上がっていますが、出演者側の頑張りに呼応するように最後になって数字も急増しているので、通訳者もアドレナリンで満たされて走り続けます。放送終了直前に目標金額に到達したときは、思わず Yes! と言いそうになりました。
現場に「予定調和」なし
逐次通訳でも、話者の話が長過ぎてメモの量が多くなり、いざ訳すときに自分の殴り書きメモが読めなかったり、読めても意味がわからなかったりして、緊張感が瞬時に最高になることも。現場慣れしているのでクライアントにバレるようなしぐさは見せませんが、実はかなり動揺しているというか、縁側でまったり昼寝をしていたらバケツ一杯の冷たい水をぶっかけられたような感覚です。それが少人数、例えば参加者6 ~ 7人で難しい交渉をしているときに発生すると一気に血の気が引きます(経験者談)。注目を一身に浴びたところで、「すみません、先ほどのところをもう一度聞かせてもらえますか」とお願いするのは本当につらいです!
一定の経験を積んだ通訳者は、当たり前のことですが、「現場に予定調和はない」ことを知っています。一生懸命に準備しても、 予想 外の飛び道具が自分の背中めがけて飛んでくることもしばしば。ミスはしたくないけれど、ミスをするのは時間の問題だと、一種の悟りを開いているのかもしれません。
ちなみに 私は仕事の内容で過度の緊張をすることはもうなくなりましたが、現場で初めて組む通訳者とまったく相性が合わずにイライラして自分のペースが乱れてしまうことはたまにあります。どちらが悪いというわけではなく、単に相性の問題なのでそれ以降は組むことはないのですが、目の前の仕事が終わるまではなんとか心の平静を保つように努力します。通訳者って個性的な人が多いですから!(←お前が言うな的な)
関根マイクさんの本
フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」( https://blogger.mikesekine.com/ )
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