ENGLISH JOURNAL ONLINE

演劇専門の通訳者として、人の「身体」を訳す

演劇専門の通訳者として、人の「身体」自体を訳す

この連載では、現役通訳者として活躍する方々にお仕事内容やおすすめの英語学習法を教えていただきます。第2回は演劇やダンスなど、舞台芸術の現場で通訳や翻訳をされている山田カイルさんに伺いました!

演劇専門の通訳者として

初めまして。山田カイルです。自らも演出家として舞台作品をつくりながら、演劇やダンスなど、舞台芸術の現場で通訳や翻訳の仕事をしています。普段は、海外から招聘(しょうへい)されて日本にやってきた演劇作品の舞台裏で、技術スタッフのやり取りを通訳したり、そういう公演に付随するワークショップやシンポジウムといった場で、アーティストが話す言葉を訳したりすることが多いのですが、なにせ演劇の通訳なので、ときには僕自身も舞台に立って俳優が語る言葉を日本の観客に訳し伝えたり、お芝居が始まる前に漫談でお客さんを盛り上げたり(本当に「通訳」の仕事の一環で頼まれて引き受けました)、演劇の現場で多言語コミュニケーションが必要になった際のなんでも屋という気持ちで仕事をしています。

演劇は非常に狭い世界で、しかも舞台裏では常に人が足りていません。ですので、多くの仕事がツテで決まっていきます。僕もその例に漏れず、業界の先輩に、「演出家志望で結構英語がいける若手がいるらしいぞ」と、海外のアーティストが来日した際のお手伝いなどを頼まれたりするようになったのがきっかけで、学生の頃に通訳の仕事を始めました。

そもそも英語ができたのは父がアメリカ人だったので、幼少期に使っていたのと、専門領域である演劇の主要文献にほとんど和訳がなく、大学で専門的な英語を用いるようになったからでした。

当時は、「よっしゃ演劇にまつわる仕事で学費が稼げるぜ!」くらいにしか思っておらず、そのまま自分の仕事になるとは考えていませんでした。演劇の専門知識以外に、「通訳」という専門性を磨いていく必要がある事に気付いたのは、段々と大きな仕事も任せていただけるようになった、20代も半ばになってからの事でした。

ですので、僕は「通訳者になるため」の勉強をしたことはありません。通訳を任せていただけることが続いて、次第に語学の側面からも通訳の専門性ということを考えるようになりました。ですので、いわゆる英語の学習法は、この連載を執筆されるもっとちゃんとした通訳者の皆さんに書いていただいた方がいいと思います。僕はちょっと違った角度から、自らも演劇の作家である演劇専門の通訳者として、「演技」を見る目を養う、ということを皆さまにおすすめしたいと思います。

人の「身体」を訳す

僕は今、「Art Translators Collective」という、アート専門の翻訳/通訳集団に所属して仕事をしています。このチームの代表の田村かのこさんに、僕はよく「憑依型通訳」と呼ばれています。田村さんに言われるまで自分では意識していなかったのですが、誰かの通訳をするとき、僕はその人の身振り手振りや、語りのリズムをすごくコピーしているらしいのです。

言われてみれば確かに、誰かの通訳をしていて、「お、今うまくいってるな」と思うのは、その人の身体性が腑に落ちているときだという気がします。抽象的な言い方になってしまうのですが、人の「身体」自体を訳すことができると、その身体から出てくるあらゆる言葉を、より根拠を持って訳せるようになるという実感があるのです。

私たちは日々、社会のなかで何かを演じています。誰しも、話す相手との関係性によって、話し方や振る舞い、身体の使い方がちょっとずつ変わります。これは、一種の「演技」だと考えることができます。

取引先の社長と話しているときも、春に新卒入社したばかりの直属の部下と話すときも、まったく身体の使い方が変わらない人というのは、あまりいません。具体的には、多くの人は、自分より偉い人と話すときには瞬(まばた)きが増えたり、細かくうなずくようになったりします。こういう「振る舞い」の変化(つまり「演技」)は、当然その時々の「言葉の選択」にも影響を与えます取引先の社長に「マジでえぐいですよね(笑)」などは普通は言えません。仕事相手にはそういう言葉は使わないということではなく、「偉い人と話すときの緊張した身体」からは、そういうくだけた言葉はなかなか出てこないのです。

俳優の「役作り」というのは、台本を読んで、そこに書かれた言葉から登場人物の身体を想像するというプロセスです。この人は、この場面ではどういうふうに歩くだろうか。どういうふうに表情を変えるだろうか。相手の立場が変わると何が変わり、反対にどういう部分は変わらないままだろうか・・・この深い考察が、説得力のある「役」を生み出すのです。

僕は普段、通訳者として、いわば、この逆のことをしています。自分が通訳する人の身体をよく観察し、「この身体からはどういう言葉が発されるか」を考えます。そして、その人の身体性において、さまざまな動きや発話のルールを決めている、いわば「中心となる歯車」を探します。その歯車が見つかると、一気に訳しやすくなるのです。

例えば、何度か一緒に仕事をしているスコットランド出身の劇作家がいます。彼は非常に内気で思慮深い人で、よく指を縦にそろえて口元を隠し、伏し目がちに笑っています。僕は初め、どうしても彼の言葉をうまく日本語に置き換えることができませんでした。もちろん、訳としては間違っていません。しかし、どこか、彼が発している言葉とは、その集団の中で果たしている「役割」が違うなという感覚が抜けなかったのです。

言葉の意味するところは同じかもしれないけれども、僕は彼とはぜんぜん違う「せりふ」を話している気がしてならない。トイレ休憩明けの “Okay, let’s begin.” という言葉ひとつ、しっくり来ないのです。しばらくして、彼の会話のリズムは手の動かし方に深く繋がっているのだと気付いてやっと、彼のせりふとして言葉を訳していくことができるようになりました。トイレ明けは「再開しましょう」ではなくて「そしたらですね、」だとわかったのです。

身近な人の身体を、よく観察してみてください。その人はどういう風に動き、どういう言葉を選び話していますか?その人の動きや発話の特徴のいちばん根っこの部分、その人の身体を再現しようとするうえでいちばん重要な、「中心となる歯車」はなんだと思いますか?

手であったり、肩であったり、歩き方であったり、人によってさまざまだと思います。そこを意識したうえで、(その人が普段日本語を話している人なら)その人の身体で、英語で話せるか、一人で演じてみてください。自分で話してみて、「その人のせりふ」という感じがしましたか?もしそうなら、成功です。通訳者である自分のせりふという感じがしているようなら、まだ役作りが足りません。もっとその人の身体を観察してみましょう。

これは「英語」の学習法ではありません。しかし、「通訳者としてどのように言葉を選ぶか」の訓練としては、僕はこの方法は有効だと思っています。いい通訳者とは、いい俳優のように「他者の言葉を説得力をもって伝えることができる」人だと、僕は思います。

そして、俳優がさまざまな役を演じなければならないのと同じように、我々通訳者も日々、さまざまな人の言葉を担うことになります。その人々の身体をより観察し、その身体性を引き受けることで、あらゆる言葉の訳し方が大きく変わるはずです。通訳をひとつの「演技」、訳す相手の(身体の)ことを知ることを「役作り」、訳した言葉を「せりふ」と考えることで、通訳者として実現できるコミュニケーションの形が、あるように思うのです。

山田カイル

山田カイル(ヤマダ カイル)演出家/ドラマトゥルクとして自らのカンパニー「抗原劇場」で活動する傍ら、翻訳家、通訳者として舞台芸術の現場に幅広く携わる。大学院在学中より主に舞台芸術にまつわる通訳を始め、国際交流事業の運営面でのサポート、人材育成事業でのワークショップ通訳、海外からの招聘演目での技術通訳などをつとめる。また、2019年より、横浜市の民間アートセンター「若葉町ウォーフ」のアシスタントプロデューサーとして、国際事業の運営を担当している。