「中高6年間英語やったのに」の呪縛を忘れよう!「大人の語学が楽しい」理由5つ

舞台芸術翻訳・通訳の世界

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。「中高で6年間も英語を学んだのにできない。だから新しい言語に挑戦なんて、とてもとても・・・」と諦めたことはありませんか?平野さんが、そう思ってしまう要因を分析し、「大人ならではの語学の楽しみ方」を提案!

祝・連載1周年&来日公演開催!

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人です。

本日は記念すべき第21回を読みにお越しくださいまして誠にありがとうございます。え、こんなキリの悪い数字のなにが記念なのかって?実はですね、この連載が始まって今月で丸1年を迎えたのです。わーいわーい!おめでとうオレ!ありがとうオレ!!

思い起こせば担当Sさんから連載のオファーを頂いたのは昨年4月下旬のこと。3月の時点で新型コロナウイルスの影響から海外との往来が事実上不可能となり、夥(おびただ)しい数の仕事(=収入)が吹っ飛んで呆然としていた私にとって、念願だった連載の依頼がどれほど希望をもたらしてくれたことか。Sさんとアルクさんにはどれだけ感謝してもしきれません。

それから半年というもの平均1万字の原稿を隔週で書き続け、今年に入ってからは心身の不調に苦しみつつもなんとか月イチで継続。がんばってきた甲斐あって八方塞(ふさ)がりだった海外との協同プロジェクト事情も去年が嘘(うそ)のように改善され再び人並みに働けるようになりましたとかご報告したかったのは山々だけど相変わらずさっぱり仕事がねえのはマジでどうゆうことだよおいジャパン。

もうね、忘れるよ?仕事でしか使わない語彙や表現もそうだし、なにより劇場での立ち回りかたを身体が忘れてしまう。作業全体の流れを把握しながらチームの雰囲気を微調整しつつ膠着(こうちゃく)しそうな場面に腹を決めて介入する、みたいな感覚は現場がなくなると覿面(てきめん)に錆(さ)びつくんですよ。あーもう知らない!働けない!うちも閉店!コロナ倒産!

などと荒ぶっていた昨日(5月30日)、驚きの吉報が飛び込んできました。なんと、スペインフラメンコ界の革命児として名高いイスラエル・ガルバンが来日に成功したのです*1!関係各位のお話によれば、絶望的な局面をいくつも乗り越えた末の奇跡的な来日とのこと。思いがけず業界に差し込んだ一筋の光明に、ダンスに明るくない私もスペインのスパークリングで乾杯しました。4月から始めたスペイン語にもますます力が入ろうというものです。いやあ、言語を学ぶっていくつになっても楽しいよねえ。

語学の相談を持ち掛けられるのですが・・・

ところで、私のところには職業柄、フランス語を学びたいという相談が多く寄せられます。相談者は現場で一緒になった俳優さんやスタッフさんが最も多く、フランス人アーティストと稽古から本番までの長い時間を共有する中で、もっと仲良くなりたい、直接やりとりできたら関係性も深まるのに、という気持ちが徐々に高まってくるのでしょう。

確かに、同じ言語で疎通するとたとえ一言二言の拙(つたな)い会話であっても心理的な距離がぐっと縮まるもの。相手のいる場所に近づけた喜びと相手が自分へ向かって一歩踏み出してくれたことへの感謝から親しみの循環が生まれます。チーム全体の雰囲気も良くなりますし、通訳さんとしても張り切って背中を押すのですが、苦笑いを浮かべてこう続ける人が多いのです。

「でも私、英語できないんです。英語もできないのにフランス語なんて・・・」

ええと。

ぴらの先生が過去に「英語偏差値31からフランス語通訳になれた理由」というnote記事を書いて軽くバズって2万件に迫る閲覧数*2を叩(たた)き出したこともあると知っての狼藉(ろうぜき)なのかな♡

「英語もできないのに〇〇語なんて・・・」論法について考える

「余が如何にして(英語を克服しないまま)通訳徒となりし乎」についてはnoteに書き尽くしたのでここでは措(お)くとして、この「英語もできないのに」式の自虐論法は思えばずいぶん不可思議です。だって英語とフランス語は別の言語だもん。もちろん日本語に比べれば遥(はる)かに近い、親戚くらいの位置づけではありますが、文法や発音をはじめさまざまな面で大きく異なる特徴を有してもいます。違うものを始めるのにどうしてわざわざ過去の失敗体験を持ち出して自分の可能性を低く見積もるのでしょうか。

加えてこの論法にはもうひとつ、実に奇妙なところがあります。あたかも英語の方がフランス語よりも簡単であるかのような前提に立っているところです。「英語もできない自分がましてフランス語なんて」というのは、つまるところそういうことですよね?

でも、英語ができなかったことを気に病んでいながら英語を軽視しているって、いったいそれはどういう現象なのでせう。私も英語嫌いには自信がありますが*3いくらなんでもそれはちょっと倒錯しているのではありますまいか。まるでフランス人みたいだなあ。よくいるんですよ。わたくしのたいへん低度な英語力を知って「え?それだけフランス語ができてどうして英語ができないの?フランス語に比べたらずっと簡単でしょ(笑)」とかのたまう輩(やから)が。自分はフランス語しかできないくせに。ひどいのになると「フランス語は世界でいちばん難しい言語だからね!」とかな、おまえは世界中の言語を比較検討した経験があるんか?5億歩譲って本当だったとしても別にだからフランス語話者は偉いとか賢いとかそういうことにはまったくならないからマジで黙っとけこのクロワッサン野郎*4

言うまでもなく、義務教育に英語が設置されているのは「他の言語よりも簡単だから」ではありません。最大の理由は「他の言語よりも強いから」です。一国の外国語教育/学習事情というものは、それぞれの言語に連なる文化・経済圏の盛衰と、自国がそこから受ける影響(主に利害)の度合いに応じて変化し続けるもの。この150年くらいは英語が経済においても文化においても覇権を握っているので日本に限らず世界中で英語教育が盛んですが、江戸時代の識者はもっぱらオランダ語か中国語を修めていたわけで*5、鎖国前に強かったのはポルトガル語、さらにぐぐっと時代を遡(さかのぼ)れば南アジアから東アジア、朝鮮半島に存在したさまざまな文明と交流するための言語が奨励されていたはずです。ほら習ったでしょ、遣隋使とか遣唐使とか。

それに、そもそも言語間に絶対的な難易度の差というのはおそらく存在しないか、するとしても極めて実証が難しく、また仮に実証できたとしても実際の言語習得にはあまり関係のないことのように思います。すくなくとも、個々の学習者が持っている環境や背景に影響される部分の方がずっと大きいことはまず間違いない*6。ですから、「義務教育で学ばされる英語ですら無理だったのにまして〇〇語なんて・・・」と考えて諦めてしまう必要はまったくないのです。

「中高6年間」の呪縛を忘れよう

「英語が他の言語より易しいわけじゃないのはわかったけど、苦手意識があるのは実際に躓(つまず)いた経験があるからでしょ?」

「中高6年間やってダメだったわけだから、いくら違う言語でも出来る気がしなくて当然だよね」

前節までを読んで、そんなふうに感じた人もいるのでは?

確かに、2021年現在、日本の高校進学率は約98%。中退する人も約1.7%いますし、普通科、工業科、商業科など専門によってカリキュラムも多種多様だとは思いますが、それでも日本で生活している人の大半は中学と高校の6年間にわたり英語に接した経験があると考えてよいでしょう*7。実際、「日本人は中高6年間も授業を受けていながらロクに英語が身についていない」という嘆きは、「英語もできないのに」論法の骨子を成す定型句としておそらくもう何十年も前から流通し続けています。ほんとみんなよく飽きないよねえ。

しかしですね!

そんなフレーズは忘れていいんです!!

なぜなら我々はもう大人だから!!!

そして大人の「語学」は、中高生のころよりずっと楽しいから!!!!

と、ここまで感嘆符を増やしながら盛り上げておいて読者の中に中高生が含まれている可能性を完全に排除している自分にたったいま気づいて慌てているわけですが、だっ大丈夫!どうかいったん最後まで読んでください。中高生のみなさんにも、というかこの社会を生きる人すべてに関係のある話をしますから。ずいぶん大きくでたな。たぶんねたぶん。

大人の語学が楽しい理由その1:自由に言語を選んでいい

ここはENGLISH JOURNAL ONLINEですから、皆さんの中には「中高の英語の勉強だって楽しかったよ!」という人も少なからずいるでしょうが、そういう十代は世間一般のレベルで考えるとやはりあまり多くないのではないかと勝手に思っています。ことに、「フランス語がやりたいけど、英語が苦手で・・・」と相談してくるような人の大半は、学校英語に挑んで討ち死にした層のはずです。ううう。おいたわしや。

ではなぜつらかったのかというと、端的に言って「自分で選んでいない」という点に負うところが大きいのではないでしょうか。要するに、勉強しているわけではなく勉強させられている(という意識を持ってしまいやすい)ということです。高校のとき、試験前で追い詰められた同級生が「なんで日本人なのに英語なんかやらなくちゃいけないんですか!なんでアメリカ人は日本語やらなくていいんですか!」と先生に詰め寄っていたのを覚えていますが、思えばあれは滑稽なようでいて問題の本質に迫る指摘でした。なんでって言われても先述のとおり向こうの方が総合的に見て「強い」からなんだけど、そんな理由で義務化されてもねえ。英語に興味の持てない人にとってはたまったもんじゃないよねえ。だって「強い」って「良い」でもなければまして「正しい」でもないですからね。強いものが即(すなわ)ち良いものだったら世界はもっとシンプルだよまったく*8

でも、大人の語学は違います。大人は、自分の学びたい言語を自由に選んでいいのです。純然たる興味、関心、好奇心の赴くままに勉強していいのです。仕事の役に立つかどうかなんて考えなくていい。いや別に考えてもいいですけど、大人の、というか勉強の理由なんて本来は「楽しそうだから」で十分。それ以外の要素が入ってくるからつらくなるんじゃないかなあ。

大人の語学が楽しい理由その2:自由に目標を設定していい

何事もそうかもしれませんが、新しくなにかを学ぶに際してはなるべく具体的な目標や目的があると日々の勉強もより充実します。もちろん義務でする勉強にも「定期考査」「追試*9」「入試」のような目標はありますが、これは「具体的」である以上に「切実」と形容すべきものであって、しかも悲しいことに「切実」は多くの場合、「楽しい」と非常に相性が悪い。まあそれはさすがに仕方ない。なんせ義務だから。

翻って大人の勉強は目標も自分次第。

「映画が直(じか)に聴き取れるようになりたい」「翻訳の出ていない本を読みたい」「外国人の友人ともっとおしゃべりしたい」「好きな曲の歌詞を自分で訳したい」「海外のサッカーチームのサポーターズクラブに入って現地ファンとも交流したい」「本場のルチャ・リブレを観に行きたい」「外国のマッチングアプリに登録して恋人をつくりたい」「SNSで有名語学アカウントとしてマウントをとりたい*10」「モテたい。とにかくモテたい*11」などなど、とにかくどんな目標だっていいんです。大丈夫、「どうせならもっとためになることをしなさい」とかうぜーことを言ってくる大人はいない。なぜなら今や自分が大人だからだ!はっはっは。ざまーみろ。おとなさいこう。「義務」だったときはうまくいかなかった勉強でも、好きなことのためならがんばれる気がしませんか?

大人の語学が楽しい理由その3:自由に教材を選んでいい

目標が自分で設定できるなら教材だってそれに合わせて自分で好きなものを選ぶのがいちばん。さすがに基礎から初級くらいの段階では地道に文法を学ぶ必要がありますが、そこだけちょっと我慢して(あるいはそれと平行して)好きなものにガンガン触れてゆきましょう!

聴き取りの練習としていろんな映画を観まくるのもいいし、好きなアーティストのインタビュー動画を繰り返し観ながらシャドーイングしてリズム&イントネーションを鍛えてもいいし、ひたすらサッカーの記事だけ集めて読解するのもいいし、マッチングアプリで気になった人にメッセージを送りまくってライティングするのもいいでしょう。

学校指定の教科書に載っている1ミリも興味のない話は苦痛でも、「知りたい!」「わかりたい!」という気持ちに従って自分で選んだものなら難しくてもなんとか食らいついてゆけるもの。好きなアーティストの顔や声ならどれだけ見聞きしても飽きないし、気になる人とのやりとりなら辞書を引くのも苦にならないはずです。大丈夫、「動画は1日1時間!」とスマートフォンを取り上げる大人はいない。なぜなら今や自分が大人だからだ!はっはっは。まいったか。おとなさいこう。

大人の語学が楽しい理由その4:「4技能」をバランスよく伸ばさなくていい

「でもそのやり方だと4技能をバランスよく伸ばすことができないでしょう」

「知識や語彙も偏るから対応できる場面が限定されるよね・・・」

良識的な方からの懐疑の声がいまにも聞こえてきそうです。確かに受験や検定試験のための勉強ならそのとおりかもしれません。

けれど断言しましょう。

大人が自分の楽しみのために学ぶ場合には、いわゆる外国語4技能(読む、聞く、話す、書く)をバランスよく伸ばす必要はありません。いや、結果的に伸びたら伸びたで結構な話ですけど、別に意識してそこを重視しながら学習計画を立てる必要はないんです。

だって、どの技能がどれくらい必要かは学習者それぞれの目標によっても違うから!

映画が聴き取りたい人はビジネスレターが書けなくたっていいし、本が読みたい人はレストランで注文できなくたっていいし、歌詞が訳したい人は政治について議論できなくたっていいし、マッチングアプリで気の利いたメッセージを送りたい人は詩が読めなくたって・・・いやそれは読めた方がいいな。修辞はむしろインプットが基本だ。まてよ、しかし詩から得た修辞をアプリに援用したら逆に引かれるのでは・・・夜中に書いたラブレター的な・・・ちょ、ちょっと無駄に深みにハマりそうだからやめとこうこの話は。

ともあれ、ひたすら興味の持てる分野のものにばかり触れていると、その分野に共通の語彙や表現、構文などが繰り返し登場するので、自分にとって優先順位の高いものが自(おの)ずと身につき、学習効率もどんどん上がってゆきます。バランスを重視して興味の持てない作業をこなすよりも、そんなもの気にせず好きなものに思う存分偏りまくって、自分に必要な能力だけ伸ばしちゃえばいいんです。

そうやってゆくうちにもしも興味の枝が分かれて幅広くなってきたら、その都度新しいことにも挑戦してみればいい。小説の舞台になっている場所へ行ってみたくなったから旅行会話も始めてみるとか、歌詞に政治的な主張が出てきたから新聞も読んでみるとか、よりグッとくるメッセージを書きたいから詩を・・・いかん、その話はしないんだった。

そういえば以前、こんな経験をしたことがあります。

あれはパリ行きの飛行機に乗り込み離陸を待っていたときのこと。隣席の女性から「日本の方ですか?」と韓国語アクセントの日本語で話しかけられました。なんでも、大好きなアーティストの曲の歌詞を理解して、覚えて、コンサートで一緒に歌いたい!と日本語を始めたのだとか。

ぴらの「すごいですね。ちなみにそのアーティストというのは?」

女性「東方神起です!!」

・・・えっ。

あっ??

意表を突かれ過ぎて一瞬完全にリアクションを見失うわたくし。かっ韓国の人が韓国のグループで日本語を・・・えーとえーと。うん。はい。まったくわかりません。意味が。

気を取り直してよくよく聞いてみたところ、東方神起の出している曲の中には日本版アルバムにしか収められていない日本語バージョンの曲があり、日本へ追っかけにくるほどのファンである彼女はどうしてもその曲もマスターしたかったのだそう。さらに、日本語の達者な彼らが出演している日本の番組も網羅すべく片っ端から観ているうちに、日本の文化や社会にも深い関心を抱くようになって、最近は日本の小説にも挑戦しているんです、とうれしそうに話してくれました。

いやあ、やっぱ「好き」と「楽しい」は最強だね!!

大人の語学が楽しい理由その5:他人と競わなくていい

いちいち学校教育を悪者にしたくはないのですが(先生方すみません)、中高生の勉強のなにがつらいって、どうしても他人と競う機会が多いところ。相対評価の学校は言うに及ばず、絶対評価の学校でも模擬試験をすれば順位がつくし、なにより入試には一般に入学定員がありますから、限られた席を勝ち取るための競争を余儀なくされます。

でもここでは、日本の学校教育の批判はしません。

最新の教育事情を知らないし、よく知らないままイメージで批判するのは現場で闘っていらっしゃる方たちに失礼なので。

ただ、とにかく大人の語学は競わなくていい。自分のペースで、楽しく、満足のゆくようにやればいい。そのうえで、評価は自分ですればいい。

新しい単語を10覚えたつもりが翌日には3つしか覚えていなくても「3割とれた!野球なら4番!」と思っていいし、忙しくて10分しか勉強の時間がとれなかった日でも「昨日は5分だったから今日は倍できた!」と思っていいし、相手の質問にうまく答えられなくても「質問内容は聴き取れたから疎通自体は成立している!」と思っていい。習熟度を他人と比較して自分の評価を決めるのではなく、自分で自分の努力を認めてやる自由が、大人の勉強にはあります。とりわけ言語のようにどうやっても「完璧」になり得ないものと地道に、へこたれずに付き合ってゆくためには、自分なりのがんばりに積極的に目を向け、最大限評価してやることが、明日の自信を培い、継続のための気力を養うのです。

当たり前に「できなかった」私とあなたへ

さてさて、大人の語学が楽しい5つの理由、いかがでしたでしょうか。こういう内容っていつも書きながらどんどん不安になってくるんですよ。こんな当たり前のことばっかり書いておもしろいんだろうか、「知ってるよ!」と呆(あき)れられて終わりなんじゃなかろうか、と。

それでも書かずにいられなかったのはなぜかといえば、序盤で述べたとおり、「学生時代に英語ができなかった」ことでコンプレックスを抱えている人、もっといえば、英語に限らず十代のころの学力(の低さ)にとり憑(つ)かれ、引きずり続けている人が世の中にはあまりにも多いと日頃から感じているからです。

先日も、ある有名放送局のアナウンサーが番組の中で「自分は〇〇大学出なのがいまだにコンプレックス。同期も先輩も後輩もみんな一流大学出だから」と発言していました。キー局で立派にアナウンス業務をこなしているベテランなのにです。でも、それも無理もない話かもしれません。「学歴ロンダリング」などという哀(かな)しい言葉まで発明されてしまうほど、十代の頃の成績で自分のことも他人のことも評価し規定する病から逃れられない人がこの国には多過ぎるように思えてなりません。

私は今でこそ語学の仕事をしていますが、小学校に上がったころから大学に入るまでずっと、英語はおろかあらゆる勉強が、ほんとに、ぜんぜん、できませんでした。つらくて、苦しくて、当時のことは思い出したくもないくらいです。そして、いったいどういうわけで、浪人の末に他に行くあてもなく流れ着いたフランス文学科で渋々始めたフランス語だけはできるようになったのか、今もって謎のままです。

ただひとつ確かなのは、子どものころは「たいへんだった」ということです。これはなにも私に限った話ではありません。子どもって、生きてるだけで「たいへん」なのではないでしょうか。

もちろん大人もたいへんです。ただ、大人と違って子どもは絶対的な意味で保護者とそれに連なる環境に依存しなければ生きていられない。にも拘(かかわ)らず、自分で自分の環境を選ぶことはまずできない。つまり、与えられた環境でサバイブしてゆくことを余儀なくされる。

十分に健康で文化的な暮らしに恵まれる子もいれば、日常的な暴力に晒(さら)される子もいます。幼いころから塾や習い事の選択肢がいくらでもあるような地域で育つ子もいれば、自宅から遠く離れた隣町にある公民館の図書室が唯一の文化施設という地域で育つ子もいます。自由時間を自分のために使える子もいれば、家庭内労働や親、きょうだいの介護などに明け暮れている子もいます。いつも友達に囲まれている子もいれば、いつも独りぼっちの子もいます。いつも誰かと一緒なのに孤独な子もいれば、いつもひとりで満たされている子もいます。目に見える障害をもっている子もいれば、目に見えない障害を秘めている子もいます。

成長するにつれて身体も変化してきます。声変わりもあります。精通や初潮もあります。初恋もあれば初失恋もあります。その過程において、自分が周りと違うのではないかと思い悩み始める人もいます。同性に惹(ひ)かれている自分に気づいて悩んだり、身体と性別が一致していないことを自覚して混乱したり傷ついたりする人もいます。幼くして誰かと結ばれる人もいれば、幼くして誰かに犯される人もいます。学校でいじめられて泣いている人もいれば、自分を守るために学校へ行かない選択をする人もいます。

そんな中でも、絶えず年齢が上がるにつれて勉強は容赦無く競争の度合いを増し、子どもにかかる負荷は重くなってゆくばかり。

もちろん、子どもはみんな不幸で生きづらいなんて言うつもりはまったくありません。それに、つらく苦しい環境にあっても見事に結果を出す人もいれば、その逆だってあるでしょう。勉強ができても悩んでいる人もいるし、勉強ができなくても楽しく毎日を過ごしている人もいるはずです。人間の数だけ人間がいる以上、「子ども」というだけでひとまとめに語るわけにはいきません。

ただ、2020年には国内で479人の小中高生が自殺しています。調査開始以来過去最多だそうです。

2019年は339人。2018年は333人。原因は多い順に「進路に関する悩み」「学業不振」「親子関係の不和」(人が死を選ぶ理由を軽々に分類するのは憚[はばか]られるべきですが、文部科学省の調査によればこのように報告されています)*12

また、やはり文科省の調査によれば2019年のいじめの発生件数は小中高合わせて61万2496件*13。こちらも過去最多を記録しています。そして言うまでもなく、これは確認されている限りでの数字に過ぎません。

さらに、不登校児は小中合わせて18万1272人。前年度より1万6744人増えています。主たる要因は多い順に「無気力・不安」「いじめを除く友人関係をめぐる問題」「親子の関わり方」*14(それにしても、「いじめを除く友人関係」って、かなりひっかかる表現ですね)。

私たちは、毎日1人以上の子どもが死を選び、いじめが約1678件起き、小中学生のおよそ100人に2人が学校へ行けない国で暮らしています。

そして生き続けることを断念する子が1人いるということは、そのすこし手前にいる子はそれよりもずっとたくさんいて、そのさらに手前にいる子はさらにさらにたくさんいるということに他ならない。

だとすれば、そんな状態で生き抜いている人たちはそれだけでもすごい人たちです。有形無形の「たいへん」を抱えながらそこそこ日常を送れているなんてほとんど英雄的な人物です。そのうえ勉強までできなくても無理はありません。むしろ出来る方が奇跡なのかもしれない。冗談を言っているのではありません。いま、大人として生きている人が大人でいられるのは、大人になれたというのは、決して当たり前のことなんかではなくて、その存在自体が、毎日どこかで誰かが諦めてしまう未来にたどり着けた証(あかし)なのです。たくさんの運と、努力と、巡り合わせの先にある未来に。

せっかくそうやって子ども時代をサバイブして、せっかくこうやって大人になったのに、どうしていまさら子どものころの成績なんか引っ張り出して「できなかったから」なんて言うのでしょうか。十代の偏差値で今とこれからの自分の可能性の芽を摘んでしまうのでしょうか。やりたいことをやろうとする前から諦めるのでしょうか。やりたかったこともやりたくなかったことにしてしまいこむのでしょうか。すぐになにかの役に立つとか立たないとかいう寂しい尺度で未知の経験を切り捨てようとするのでしょうか。

子どもの務めは勉強ができるようになることではありません。子ども時代をなんとか生き抜いて、大人になることです。いま大人になっているあなたは、その務めを立派に果たしたのです。だから胸を張って、ひとりの大人として、好きなことを好きなように学んでほしい。できないなんて思わないでほしい。いまさらなんて言わないでほしい。

諦めなければ夢は必ず叶(かな)うなんて嘘だと思う。誰にでもなにかしら才能があるなんて保証もない。それでも、あなたは生きている限り、生きてゆけるのだから。

次回は2021年7月8日に公開予定です。

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*1:https://danceconcert.jp

*2:すみません見栄を張りましたほんとは1万6千件ちょっとですごめんなさいごめんなさい。

*3:天下のENGLISH JOURNAL ONLINEでこのような忌憚(きたん)のない発言をするぴらの先生はたいへん信頼のおける人物なのでぜひとも応援するべきといえる。

*4:※このように特定の対象の名誉を毀損(きそん)する表現はいかなる局面においても許容されるべきではありません。心よりお詫(わ)びいたします。クロワッサンに。

*5:フランス留学時代、オランダ人のクラスメートにこの話をしたら「は?うちの国が??日本と???特権的に????なんでまた?????」と鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていたのが忘れられません。まあ現代の感覚からしたらそうだよね・・・。

*6:フランス話者に学びやすいのは同じロマンス語系のイタリア語やスペイン語、ポルトガル語、ドイツ語話者なら同じ西ゲルマン語系のオランダ語や英語、とかね。ちなみに日本語話者にはだんぜん韓国語だと思う。なんせ文法構造がそっくり。ただし発音の苦手な人や、新しい文字を覚えて読み書きするのが極端に苦手な人にはちょっとつらいかも。

*7:文部科学省「数字で見る高等学校」(2011年12月15日)

*8:なんか私が個人的な恨みとコンプレックスにあかせて悪口言ってるみたいになってますが、英語の帝国主義的な振る舞いとそれが再生産する特権と抑圧の構造についてはちゃんと研究している人たちがいるので、興味があったら調べてみてくださいね。

*9:ここにわざわざ「追試」を入れてしまうあたり、学年で233人中230位くらいだったぴらのせんせいの輝かしい高校時代が偲(しの)ばれます。

*10:まあ個人的にはSNS上で語学の神みたいな口調で御託宣を発信している人を見かけると正直ダサいと思いますが(あっ)、ダサさは罪ではない。ダサくても楽しいならやるがよい(byぴらの神)。

*11:しかしですね、ちょっと語学ができるくらいでモテるならいまごろぴら(※かなしい話になるので以下自粛)

*12:リセマム「小中高生の自殺、コロナ禍の2020年は過去最多479人」2021年2月18日

*13:文部科学省「令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」2020年11月13日

*14:同上

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平野暁人

平野暁人(ひらの あきひと)翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。
Twitter:@aki_traducteur