自殺ではなかった?疫病の恐怖を描いたエドガー・アラン・ポーの死の真相

アクチュアルな英語文学

時代を経て読み継がれる文学の名作には、「今」を生きるためのヒントやテーマが潜んでいます。この連載「現代的な視点で読み解く アクチュアルな英語文学」では、英文学と医学史がご専門の上智大学教授である小川公代さんが、主に18世紀以降のイギリス文学から今日的な課題を探ります。第7回で取り上げるのは、アメリカのエドガー・アラン・ポーによる短編「赤き死の仮面」です。疫病をよそにパーティーに興じた国王の行く末を描いた小説ですが、書かれた19世紀当時の現実と作家の死の状況はどんなふうだったのでしょうか?

世界を長く震撼させたコレラ

新型コロナウイルスのパンデミックが世界中に広がる中、アルベール・カミュの『ペスト』やダニエル・デフォーの『ペストの時代』などの感染症文学が注目を浴びている。

実は、この2作品ほどは脚光を浴びていないが、重要なもう一つの感染症文学がある。それは、1842年に発表されたエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809-49年)の短編「赤き死の仮面」(原題:The Masque of the Red Death)だ。“red death”は「赤死病」とも訳され、「黒死病」、つまりペストを想起させるタイトルであるが、ポーがこの作品のインスピレーションを得たのは、19世紀を通して大流行していたコレラである。

コレラの歴史をたどると、1800年代初めにインドで大流行したのを皮切りに、幾度かの大流行を繰り返しながら全世界へと広がっていったことがわかる。1831年にはイングランドの港湾都市サンダーランドに出現し、それから70年間にわたって世界中で猛威を振るい続けた、驚異的に息の長い感染源であった(サンドラ・ヘンペル、p. 94)。日本でも1902年にコレラが大流行し、8012人もの死者を出した。

ポーが現実に触発されて書いた怪奇小説

「赤き死の仮面」では、そのタイトルに見られる「赤き死」なる疫病が国中に蔓延(まんえん)する。国王プロスペローは、臣民の半分が死に絶えてしまった後も、宮廷に仕える騎士や貴婦人のうち、まだ健康で陽気な者を招き、「巨大な城郭のうちでも奥の奥へと引きこもった」(ポー、Kindle版)。そこには「強靭な塀が聳え立ち、城の周囲を取り囲んでいる」(ポー、Kindle版)。

国王たちが城の中に引きこもってから半年近くが過ぎようとしていた頃、城外では疫病が猛威を振るっていた。そんな中、国王はそれを気にも掛けずに豪華な仮面舞踏会を開いてやり過ごすことを思い付く。しかし、仮面の男が現れて、最後には舞踏会の参加者が次々と疫病に感染し亡くなってしまうという、人間の無知や傲慢(ごうまん)を皮肉っているような怪奇ストーリーである。

1826年から1837年にかけて大流行したコレラは、アジアやアフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模のパンデミックであった。ポーは親友エブネザー・バーリングをこの疫病で失っている。

ポー自身はアメリカのボルチモアに住んでおり、その頃にはすでに感染がこの地域にまで広がっていたことを考えれば、彼もコレラの大禍によって引き起こされたパニックを目撃していただろう。しかも、当時の医学ではコレラが主に水系汚染で発生することはまだ科学的に発見されていなかったため、優秀な医者がいかに力を尽くしても、疫病の広がりを食い止めることはできなかった。

1831年には、近代ドイツを代表する哲学者のゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルがコレラによりベルリンで死去している。1832年にはパリでも流行し、当時フランスの首相であったカジミル・ペリエが死亡した。パリでは2万人もの犠牲者が出ている。

ポーが「赤き死の仮面」や「ペスト王」を書くきっかけになったのは、パリで開催された仮面舞踏会である。この仮面舞踏会についてはドイツの詩人ハインリヒ・ハイネも1832年4月9日に書いた手紙で言及している。豪奢(ごうしゃ)な仮面舞踏会で最も陽気であった道化の手足が冷たくなり、その仮面の下の顔は「青紫色」に変容していた。笑い声はかき消え、踊る者もいなくなった。*1

エドガー・アラン・ポー

不可解なポーの死

ポー自身の死因は長らく自殺と考えられてきたのだが、近年、コレラや別の病の可能性も示唆されるようになった。

1849年6月に、ポーは演説のツアーを開始するため、当時住んでいたリッチモンドの自宅を出発した。同年9月27日にリッチモンドの港から船に乗り、ボルチモア、それから最終的にはニューヨークにたどり着く予定であった。しかし、乗船の前夜に高熱が出てリッチモンドの医者を訪ねている。そこからボルチモアまでの足跡は不明だが、少なくとも彼はニューヨークには行けなかった。

10月3日にボルチモアの酒場で発見されたとき、彼は意識不明のひどい状態で病院に運ばれたのだが、着ていた服も誰かほかの人のものであった。10月7日に絶命するまで、意識は混濁し、幻覚を見たり、意味の通じない言葉を話したりしていたという。

こうして振り返ってみると、記録されているポーの死をめぐる状況は「不可解」としか言いようがない。

言葉の分析から明らかになった診断

ポーの自殺説が有力だったところに、昨年、情動障害の専門誌(“Journal of Affective Disorders,” April 2020, Vol. 266)に、彼の手紙や短編に見られる特定の言葉を解析した結果、「自殺ではなかった」と判断する根拠がある、とする研究論文が掲載された。つまり、自殺以外の可能性、例えばコレラの可能性まで示されることとなったのだ。

ポーの死はあまりに謎めいていたため、当時からさまざまな憶測が飛び交っていた。自殺のほか、選挙の立候補者に雇われた人間が、身元不明と思しき人に無理やり酒を飲ませて投票所で投票させる「クーピング(cooping)」や、狂犬病、てんかん、梅毒、髄膜炎、振戦せん妄などの可能性も提示されてきた。自殺が改めて否定されるとなれば、彼の死はますます謎に包まれるばかりだ。

先述の研究論文を発表した、英ランカスター大学のライアン・ボイドと米テキサス大学ハンナ・ディーンらは、ポーの309通の手紙、49編の詩、63作の短編を時系列にして、どの時期にどのような語彙がより頻繁に用いられているかを調べた。ボイドらは、5つの傾向に分けて、ポーのうつ病の診断をした。

(1) 一人称単数の代名詞(I、me、myなど)の頻度が増える

(2) 否定的な感情を表す言葉(bad、sad、angryなど)の頻度が増える

(3) 思考の働きを表す言葉(think、understand、knowなど)の頻度が増える

(4) 肯定的な感情を表す言葉(happy、good、terrificなど)の頻度が減る

(5) 一人称複数の代名詞(we、us、ourなど)の頻度が減る

このように、一人称単数の代名詞や否定的な感情を表す言葉など特定の語句の使用頻度を解析した結果、ポーのうつ状態が最も顕著だったのは妻の死後であったそうだ。また意外なことだが、文学的な成功を収めた1843年、45年、それから49年にもうつ状態のピークを迎えていたこともわかった。しかし、研究論文では、自殺を引き起こすようなうつ状態にはなかったと結論付けている。

ポーの死因が自殺である可能性は低いとして、それではどのようにして亡くなったのかは、いまだ解明されていない。コレラなのか、あるいは狂犬病なのか。ただ、コレラで友人を失ったり、疫病をテーマとした小説を書いたりしたポーという人物が、コロナ禍の感染症時代に生きる私たちにとってより近く感じるようになったのは確かである。

次回は2021年4月30日に公開予定です。

参考文献

■エドガー・アラン・ポー「赤き死の仮面」、『黒猫・アッシャー家の崩壊――ポー短編集I ゴシック編』巽孝之訳(新潮社)

■サンドラ・ヘンペル「コレラ」、『ビジュアル パンデミック・マップ』関谷冬華訳(日経ナショナルジオグラフィック社、2020年)、pp. 92~101

■「感染症の基礎知識

■The Editors of Encyclopedia Britannica, “The Mysterious Death of Edgar Allan Poe

■Hannah J. Dean and Ryan L. Boyd, “Deep into that darkness peering: A computational analysis of the role of depression in Edgar Allan Poe’s life and death,” Journal of Affective Disorders, Vol. 266, April 2020, pp.482-491

■Stacy Liberatore, “Computer analysis of Edgar Allen Poe’s work concludes he did NOT commit suicide because the words he used are not consistent with psychological markers of depression,” Daily Mail, 2 February, 2020

■Chris Semtner, “Cholera Pandemic Terrified and Inspired Edgar Allan Poe,” 30 June, 2016

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小川公代

小川公代(おがわ きみよ)上智大学外国語学部教授。英国ケンブリッジ大学卒業(政治社会学専攻)。英国グラスゴー大学博士号取得(英文学専攻)。専門は、イギリスを中心とする近代小説。共(編)著に『幻想と怪奇の英文学IV』(春風社、2020年)、『Johnson in Japan』(Bucknell University Press, 2020)、『文学とアダプテーション――ヨーロッパの文化的変容』(春風社、2017年)、『ジェイン・オースティン研究の今』(彩流社、2017年)、『文学理論をひらく』(北樹出版、2014年)、『イギリス文学入門』(三修社、2014年)など。
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