インターネットがこの世に広まる前、私たちがイギリスの飯事情を知るには、皮肉とユーモアたっぷりに描かれたグルメ本『 イギリスはおいしい 』を読むしかありませんでした。そこにはタイトルと裏腹にいかにイギリスの飯がまずいかが、懇切丁寧に描かれています。
しかし、本が出てからもう25年。いいかげんイギリスの飯も改善したでしょう。たとえ現地メシがまずかったにせよ、ちょっと前まではEUだったわけで、イタリアやスペインから、飯を携えた移民がさぞかし多かろう……。と、私も思っていました。
ところが、ネットで留学生ブログや観光レポでは「最近はイギリスもおいしい派」「いやマズい派」の戦いが続いています。そこで、これまで6年のイギリス在住歴があり、学生メシからミシュランまで食べてきた筆者なりに、イギリスの最新メシ事情をアップデートしたいと思います。
そもそも、イギリスの飯はなぜマズいと言われるのか?
といっても、「イギリス料理」なるものが何か、あまり知られていないのではないでしょうか。イギリス人はおおむね、こんなご飯を食べています。
朝:A Slice of Toasted Bread with Chocolate Spread
トーストへ溶けたチョコレートを塗ったもの
昼:Sandwiches and a Pear, with a Packet of Crisps
サンドイッチと梨、ポテトチップス
夜:Roasted Potatoes and Fried Fish
ローストポテトと魚の揚げ物
メニューを見て「案外普通だな。あえて言うなら、品数が少ないくらい?」と思ったでしょう。ところがどっこい。イギリス飯のすごさは「味付けの薄さ」と「ルーティーンの飽きなさ」にあります。
イギリスのご飯はダシと塩味がない
まず、味付けの薄さ。イギリス人には「だし」と「塩」という2種の味付けが欠けています。例えば揚げた魚を食べるとします。 先に魚を下茹でするとしましょう。日本ならさっと茹でて、魚の味が抜ける前に食べるはずです。ですが、イギリスでは「魚がくたくたになり、全てのダシが抜けるまで」魚を茹で、それから魚を揚げます。
当然ながら、揚げた魚は味がスカスカです。日本でおなじみFish & Chips (フィッシュ・アンド・チップス)はこうして「無味」となります。
同じく、ブロッコリーは色が抜けるまでくたくたに、パスタはフォークだけで切断できるほどくにゃくにゃに茹でるのがイギリス流。「アルデンテなんて、ありえない」のです。
塩はテーブルに置いてあり、各自で味付けせよという流儀。確かに、これならそれぞれが望む味付けにできるから、ダイバーシティがあってよい。ですが、ダシがなければ塩を振っても付け焼刃です。
こちらは2006年にイギリスの寮で「クリスマスの特別ディナー」の様子を撮影したもの。ごちゃっとした写真で申し訳ないのですが、揚げただけのジャガイモ、茹でただけのニンジン、茹でただけの肉、が目に入りますでしょうか。
ただ、味付けのなさはそこまで怖くありません。恐ろしいのは、レシピの少なさです。この写真ではクリスマスなので肉が七面鳥ですが、これが牛か羊になっただけの食生活を、おおよそ365日イギリスの寮では続けられるのです。
イギリスのご飯は限られた料理を無限ループする
イギリス飯には、金曜と日曜に縛りがあります。毎週金曜日はキリストが亡くなった曜日のため、肉を控えて味のないフィッシュ・アンド・チップス。毎週日曜の昼は味のないローストビーフを食べる習慣です。
あとは味のないポテトと、ブロッコリーとニンジンを茹でたもの。冷凍ピザ。冷凍インドカレー。観光客に人気のBritish Breakfastなんて、めったに食べません。 このルーティーンに、日本人は大体4週間目で発狂します。
そもそも、日本人は世界的に見て(たぶん)、かなり多種多様な料理をたしなむ文化圏なのではないでしょうか。
家庭でイタリアン、中華、スペイン、フランス、アメリカ、タイ、インド料理、そして和食が平気で登場するのは、日本くらいです。イギリスでも食事にオープンな都市部ではタイやインド、中華を家庭で食べますが、テイクアウトか冷凍。それも、限られたメニューです。
そして、この定番レシピ数の違いが「観光として短期滞在した客が、イギリス飯を思ったよりまずくなかったと語り、長期滞在者は二度と食いたくないと嘆く溝」を生んでいます。 短期滞在なら「ちょっと薄味だな~」くらいで乗り切れちゃうんです。
こちらはイギリス人が作ったピザ生地。チーズをふんだんにかけても、やはり味は薄いのです。
さらに苦痛を深める受難節(レント)
そして、毎年春先になると「レント(Lent)」という悲しい期間がやってきます。レントとは、キリストが断食をした40日間のこと。この期間は「好きなものを一つ諦める」のがイギリスの習慣です。なお、2017年にイギリス首相は「ポテチ」を諦めています。
ポテチ? と笑うことなかれ。ポテトチップス、英語でCrispsは昼夜の野菜代わりに消費されるご飯のお供。日本で言うお味噌汁的な存在です。 ただでさえ貧しいレパートリーから、1品削ることの重みよ……。
とはいえ、かつて厳しいキリスト教の宗派では、キリストの受難を味わうためラマダンに似た断食をしていたようです。よかった……! 1つ諦めるくらいで済んでよかった……! なお、2017年のレントに諦められたもの3位にはTwitterがありました。ツイ禁40日、けっこうキツくない?
長期在住者の味覚は劣化するのでアテにならない
閑話休題。こんな状況でHP(ヒットポイント)を削られた在英日本人は、こう考えます。 「そうだ! 日本人に聞けばうまい店が分かるに違いない!」ところが、長期滞在すると味覚は劣化するんです……。
私はこれまで、日本人に紹介された「ロンドンいい店うまい店」をいくつも試し、そして涙してきました。マズい。というか、やっぱり茹で過ぎて味が薄い。人のことは言えません。 私の味覚も当時、めちゃくちゃに劣化しました。 帰国時、奮発して乗ったJALの機内食のおいしかったこと! と、感じるくらいには舌が終わります。だから、紹介を信じても当たりは少ないのです。
イギリスにだって金があればうまい飯はある
好き放題言ってまいりましたが、さきほどの写真は2006年のもの。
それから約10年。2016~2017年に再訪したロンドンはかなりご飯のレベルが上がっていました。ただし、おいしくなったのは外食が主。そしてロンドンは投資目的の不動産価格高騰に伴い、飲食店も家賃がバカ高いのです。つまり、人件費は安いはずなのに、料理代は跳ね上がります。
これは日本食のお持ち帰り弁当。2000円弱くらい。味は察して。他にも日本のカツカレーはイギリスで定番メニューですが、カレールーに味がないので、無を食すことになります。
これも2017年にロンドンで見かけた日本の弁当。野菜を茹でただけで食べる文化は10年前から変わりません。
はやる店=おいしいお店じゃない
とはいえ、ロンドンではやる店もあります。条件は「音楽が大きめにかかった、暗い照明の店」です。 「おいしい店=よい店」という価値観は、日本人と、ごく一部のグルメ国の価値観でしかありません。 内装にお金をかけなければ、味がどうであれ店は潰れます。
そして、内装と家賃が高いからこそ、さらに価格帯は上がります。日本発の「寿司屋・ARAKI」はランチ価格も5万円。ミシュラン3つ星の「Fat Duck」はランチで7.5万円です。日本はミシュラン3つ星といえど、約4万円くらい。 1 そして、イギリスでは ミシュランでも「味が当たり」の率は私は1割くらいだと思っています。グルメをどこまで苦しめれば気が済むんですか?*
以前、とある名店へ夫婦で行ったところ、数皿目でiPhoneのイヤホンをつけさせられました。流れるのは海の音。そこへ登場した砂浜っぽい器。海岸に横たわるSashimi (刺身)。こんな感じのコースに15万円でした。ショー、すごかったです。天井からのライトで特殊効果を出したり、液体窒素で食品を加工したり。ただ、私はまずかった。シンプルに。
イギリスではやる店は、視覚や音のスペクタクルが多いです。 そして、多くの日本人は「それより味をつけてくれ」と思うことでしょう。よくイギリス人は素材の味を生かすと評価するルポライターがいますが、 素材の味を活かすつもりなら、なぜミシュラン星付きの店内でも味覚がぶっ飛ぶほどドゥンドゥン爆音を流したがるのか、小一時間問い詰めたいです。
こちらは、ロンドンではやっている某お店。どういう内装がはやるか、お分かりいただけただろうか……。
イギリスで「インド料理と中華がおいしい」は半分ウソ
よく、イギリスでは元植民地だったインドと、香港料理が人気とされます。確かにインドカレーと中華は、地方の保守的な人も食べるくらい浸透しています。一方、 インド人や香港人の移民も、現地のマーケティングに長けてくると「気にするべきは味じゃない」と悟る問題があります。
味が評価されない国で店を開くのに、味を磨いてもしょうがないわけです。 それより、スペクタクル溢れる内装がいい。マーケティング意識があればこそ、インド人・中国人が作ったからといって、おいしくなるとは限らないのです。
イギリスの美味は、地方の名産品にあった
でもいったいなぜ、イギリスご飯はそこまでおいしくないのでしょうか。 有力とされるのは、産業革命で地方農村部の人口が都心部に集まり、地方の伝統的なご飯が継承されなくなったという説です。 確かに、イギリスでは地方でも都心でもフィッシュ・アンド・チップスやスコーンを食べます。これって、日本の東京、大阪、九州でみんな同じ名物の食べ物を食べているくらい不思議な話です。
ただ、 「いくら地方のご飯がすたれたといっても、少しは残っているだろう」……と、私は考えました。 さらに、イギリスでは冷凍するときに「ご飯をおいしく冷凍しよう」とそこまで考えていないのではないか、と想定しました。
つまり、 冷凍前、地方でとれたての素材はおいしい可能性があります。 というわけで地方に行ってみたら、けっこうご飯がおいしい地域がありました。 代表的なのが、ロンドンの南、治安もよいケント州にあるWhitstable(ウィッツタブル)。生牡蠣の名産地です。
イギリス王室では万が一に備え、牡蠣を食べることが禁じられています。しかしチャールズ皇太子はこっそり食べているというわけで、英国王室御用達の牡蠣となっています。あっさりしたテイストで、ねっとり生牡蠣が好きな人には物足りないかもしれませんが、軽いからこそたくさん食べられます。 スモーキーなウイスキーをぶっかけて、とぅるとぅるっと牡蠣を吸うのがたまりません。
また、地方でそのまま取れた果実もおいしいです。 市場で姫リンゴを買って、そのままがぶりと噛みつくと、酸味と甘みのバランスがよい果肉がぎゅっと心をくすぐります。 日本のフルーツが甘過ぎて苦手な人にとっても、これはたまらん。
プラムも種類が豊富。熟す前の硬過ぎるプラムは、シャリシャリとほどよい甘みが何もかもちょうどいい。小腹がすいたときには、最高のおやつです。
ヨークシャー地方ではルバーブという野菜が人気で、イチゴのように酸っぱいのですがジャムにするとほろりと甘い素敵な味になります。とれたての野菜・フルーツをそのままジャムにしちゃうなんて、贅沢だなあ! イギリス人はこれをオートミールと混ぜる虚無を好みますが、個人的にはトーストに乗せて、生クリームと合わせるのがおすすめです。 旬の果実とホイップしたての生クリームをかけたカリカリのトーストって、うんまい!
イギリスでおいしいものを食べたいなら
ここまでを、まとめます。イギリスでおいしいものを食べたいなら以下を検討してみてください。
- インド料理ならインド人、中華なら中国人と「その国の人」で混んでいる店を探す
- BGMがうるさい店を避ける
- 高くても内装やスペクタクルが派手なマズい店があると警戒しておく
- おいしい素材を求めて地方へ行く
日本と違って、ふらっとおいしい店は少ないかもしれません。けれど、その分地方の旅ができたり、現地の人に紛れてソウルフードに出会えたり。そこには新たな発見があるはずです。
ロンドン長期滞在者向け、おいしいお店リスト
とはいえ、ロンドンから毎週旅に出るのも難儀だし……というわけで、なぜかロンドンに長期滞在する必要ができてしまった方へ、本当においしいオススメ店リストをお渡ししておきます。(カッコ内は最寄り駅)
Royal China (Baker Street)
ロンドン各地に支店がある、中国料理店。昼は飲茶(点心 Dim Sum)が楽しめます。Baker Streetならシャーロックホームズの家や、マダムタッソーのろう人形館を見てから行くのにちょうどよいのがBaker Street店。
www.royalchinagroup.co.ukLes 110 de Taillevent London (Oxford Circus)
巨大ショッピング街、オックスフォードストリートの脇にあるフランス料理店。かなりの値段はしますが、それに見合う食事を提供してくれます。イギリスで感動した数少ないお店。
www.les-110-taillevent-london.comMacellaio RC (South Kensington)
イタリア料理店。肉料理でこれ以上は望めないくらい、鮮度の高い良質な肉を食べられます。ハツやレバーもぷりっぷりのムチムチで大変おいしく、日本でもここまでおいしい肉ビストロはそうないと感じます。
www.macellaiorc.comIppudo (Tottenham Court Road)
一風堂です。前菜をつまみつつ、シャンパンや高級ビールを飲みながら優雅にラーメンを待つのがロンドン流。現地の限定メニューも。ロンドン各地にありますが、通っていた駅の店舗をご紹介。
www.ippudo.co.ukUmu (Bond Street)
お値段はかなりしますが、それでもこれならと納得する料金。ヨーロッパ各地の調理法と、京都のフュージョンはここでしか楽しめません。
www.umurestaurant.comMiyama (St. Pauls)
ロンドンの現代美術館を訪れた後に、立寄りやすい立地。日本人が足しげく通う、歴史ある寿司屋です。いわゆる「ちゃんとした」寿司を食べられるのは、ロンドンでもここぐらい?
www.miyama-restaurant.co.ukTrishna (Baker Street)
インド料理でも飛びぬけておいしいお店。騙されたと思って行ってみてください。ミシュラン店なのにUber Eats対応なのもうれしいポイントです。
www.trishnalondon.comBa shan (Leicester Square)
激辛中華を楽しめる方は絶対に行った方がいいですが、翌日に予定を入れないことも強くおすすめします。何を食べてもタンパク質のうまみと辛さが滝のように襲ってきます。脳天にくるうまさです。
bashanlondon.comYauatcha (Oxford Circus)
老舗の中華です。ライトは青くて薄暗い、いわゆる「ハズレ店」そのものなのですが、点心が激烈においしいため偏見がなくなります。オシャレ寄りなのでデートにも向いています。
www.yauatcha.comSeta (ミラノ・イタリア)
イタリアかい!!! って、突っ込まないで……お願い! ロンドンから片道2,000円台で飛べるのでぜひ来訪を。数あるイタリア料理店でも、喜び、新規性、味わい深さ、全てを備えていました。
www.mandarinoriental.com私が案内できるのは、ここまでです。長期滞在者のみなさん、Good Luck。
アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」
文:トイアンナ
慶應義塾大学卒。P&Gジャパン、LVMHグループでマーケティングを担当。独立後は主にキャリアや恋愛について執筆しつつマーケターとしても活動。新著『モテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門』が2万部を突破。
ブログ: トイアンナのぐだぐだ /Twitter: @10anj10
この記事は、株式会社アルクの英語発話トレーニングアプリ「トーキングマラソン(TALKING Marathon)」に関連した特別お題キャンペーン開催を記念し、 「わたしと英語」 をテーマにトイアンナさんに参加していただいたエントリーです。
日本の生活や食文化の中に英語はすっかり入り込んでいます。海外に住んでいたり、長期の旅行や滞在を経験している方も多いでしょう。英語を通じて外国の生活に触れた思い出や、英語を通じた異文化コミュニケーションの楽しみ、あるいはトラブルを乗り越えたエピソードなど、英語にまつわる幅広いストーリーをお題 「わたしと英語」 で募集しています。
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