12月24日はクリスマスイブ、25日はクリスマスでLet’s Party!?…いえいえ、「サムライENGLISH」読者のあなたなら、この2日間は仙台と片倉小十郎重綱公のお誕生日としてお祝いしようではありませんか!(※)
伊達政宗公が開き、今や東北最大の都市となった仙台と、政宗公や父・景綱公の基盤を受け継ぎ、さらに大きく発展させた片倉小十郎重綱公。今回は、そんな仙台開府と片倉家ゆかりの仙台街中スポットなどを、伊達武将隊の政宗様と重綱様にご案内いただきます。これまで見落としていたスポットや意外な発見があるかもしれませんよ。
また今回の英語フレーズは、番外編風にお二人のセリフからチョイスしました。お二人になった気分で言ってみてくださいね♪
※12月24日、25日は旧暦のため、現在の暦だといずれも1月下旬にあたります。
ハピバ☆仙台!12月24日は仙台の縄張り始め
新たな地での未来への門出。政宗公の胸中にはどのような思いが溢れていたのでしょうか。
政宗公の仙台開府の決意
I have survived numerous battles with my people.(わしは民と共に多くの戦を生きぬいてきた)
I really know they have had a hard time for a long time.(彼らが長いこと辛い思いをしてきたのはよくわかっておる。)
So , I’ll build a nation where everyone can laugh and live peacefully .(だからこそ、わしは誰もが笑って平和に暮らせる国を作るのだ!)縄張り始めという言葉は聞いたことがおありかな?ひと言に城と言っても、一つの建物ではない。いくつもの区画に複数の建物や堀、石垣、門などがあるが、それらの配置を決めるのが城の縄張り、つまり設計じゃ。当時は実際に縄を張って長さを測り設計したことからそう呼ばれておる。そして、わしが実際に最初に縄を張ったことを縄張り始めと言うのじゃが、「これより城や城下町作りを始めるぞ!」と宣言する儀式のような側面もあった。それゆえ、この縄張り始めの日を仙台の誕生日と言っておるのじゃ。
慶長5年(1600年)、伊達家は関ヶ原の戦いの一連の功により加増され、従来の居城である岩出山城(現・宮城県大崎市)が手狭となったため、新たに城を築くことになったのだ。その際に 候補 地として選んだのが青葉山、宮城野榴ヶ岡、茂ヶ崎、石巻日和山の4ヶ所であった。これを幕府に申請した結果、慶長5年(1600)11月に徳川家康公によって青葉山が認可されたのじゃ。 わしは早速、翌月の12月24日に青葉ヶ崎に登って築城の縄張をおこなった。わしが34才の時のことである。慶長6年(1601)4月にはまだまだ工事中であったが、この仙台城に移ったのじゃ。 家臣は無論、町人も岩出山から仙台に移ったので、なんとも大規模な引越しであった!その当時の仙台の戸数は約1万8百戸、人口は5万2千人で、全国でも屈指の大城下町と言われておったぞ。
ちなみに この「仙台(当時は仙臺)」という名前も政宗公が付けられました。前の領主の国分氏の時代は「千代」と呼ばれており申したが、中国の漢詩にちなみ改められたのでござりまする。「仙臺」とは「仙人の住む臺=理想の場」の意味で、政宗公は、千代が「仙人の住むような理想の国になるように」という思いを託されたのだとか。
縄張り始め スポット・1~仙台城跡とその周辺
仙台城跡にある鳥瞰図(部分)。政宗様が指されているのが騎馬像などがある本丸跡で、重綱様が示しているのが片倉家屋敷の場所です。なお、片倉邸の向かいには伊達家一門の邸宅が並んでいますが、見えますでしょうか…?
写真にてご紹介している鳥瞰図にあるのが、ここ片倉邸跡でござりまする。…と言うても、ここに住んでいたのは某の後の片倉家当主で、それから幕末までずっとこの地に屋敷を構えており申した。なお、某の屋敷は現在の西公園にござりましたが、その時は伊達安房守屋敷がお隣にございました。(※)
※亘理伊達家。当時は伊達政宗公の九男で、伊達成実公の養子になった伊達宗実公が住んでいたようです。なお、安房守とは官職名です。(編集部)
鳥瞰図で見ても重綱の話からもわかるように、片倉家はつねに伊達一門と近しい場所に屋敷を構えておった。つまり、それほどの重臣であったという事じゃ。ここで、「片倉家は白石城の城主だったのに、なぜ仙台に屋敷があるの?」と思ったおぬしはなかなか鋭い!当時、有力な家臣は、伊達家の家臣の務めとして自身の領地とこの仙台城下の屋敷とに交代で駐在しておった。仙台藩内での参勤交代のようなイメージかのう?それゆえ、仙台市内にも屋敷跡が残っておるのだ。
鳥瞰図に記された片倉小十郎屋敷跡。政宗様の右奥に見えるのは仙台城跡の看板です。現在は仙台市博物館ですが、江戸時代には仙台城三の丸として使用されていました。こうして見ると、片倉邸は本当にお城の近くにあったのですね。 それにしても重綱様、スヌードが良くお似合いです。看板までも同じ紫で完璧にコーディネートされています…!
縄張り始め スポット・2~野中神社
野中神社は城下建設にあたり、政宗公が城下の中心点と定めたところでござりまする。町割をする際に使った縄を集めて土中に埋め、その上に建てられたと伝わっております。そのため、縄にちなんで縁結びと商売繁昌の神として多くの方から崇拝されておりますぞ。
現在、野中神社周辺はサンモール商店街となり、神社も四方を高いビルに囲まれて建っておる。昔も今も、ここが町の中心的な場所であるということがわかるであろう? 他にも、街中で仙台の街づくりの名残を見られる場所はいくつかあるぞ。例えば、仙台市の繁華街である国分町は、重綱の話にも出た国分氏にちなんだ名であるし、仙台城下町の中心であった十字路には、小さいが「芭蕉の辻」の碑が建っておる。 ちなみに この「芭蕉」、松尾芭蕉とは関係ないので間違えぬようにな。詳しいことはぜひ実際の碑文を読んでみていただきたい。
迷路のような参道に奉納された無数の絵馬。良縁祈願が多くて微笑ましいです。「いや、●百万円欲しいですという現実的なのもあるぞ。」ま、政宗様……。
拝殿と隣のビルとは、赤い柵越しに会話できるほどの近距離です。
【ハピバ☆12月25日は片倉小十郎重綱公の誕生日!】
To 重綱様">From 政宗様 To 重綱様
目上の人から目下の下へのカジュアルなフレーズHappy Early Birthday!(少し早いが、誕生日おめでとう!)
Thanks for being born. (生まれてきてくれてありがとう。)「 Thank you for coming into my life.」とも。ネイティブもよく使うフレーズです。
You have to get older, but you don’t have to grow up. (歳は取っても大人しくなるなよ。)鬼小十郎への、政宗様らしい祝福の言葉ですね。
To 政宗様">From 重綱様 To 政宗様
目下の人から目上の人からへの丁寧なフレーズThank you very much.(ありがとうございます。)「 Thank you so much.」より丁寧さのある表現です。
I am really honored that you are my lord.(政宗様が私の主君で本当に光栄です。)もう少しカジュアルに言う場合は「I‘m glad you are my lord.」でも。
I will never ever forget your wishes.(お言葉、決して忘れませぬ!)「You have to get older~」という政宗様の言葉に対する返答です。
もっと知りたい!重綱公・1~ 生まれる前から続く、政宗公との深い縁
「政宗様!落ち葉団子にございます!!」「…虫がついていそうじゃな。」落ち葉と戯れる重綱様を生温かい目で見守られる政宗様です。
実は重綱が生まれる際、ひと騒動あってのう…。 片倉小十郎景綱は、妻が懐妊した折に「主君より 先に 子を成すとは不忠極まる!」と、生まれてくる子を殺そうとしておったのだ。それを知ったわしが、子が生まれる前に景綱に書状(※)を送り、どうにか子を助けてくれないかと必死に説得し、景綱を止めたのじゃ。 そうして生まれた子がこの重綱である。その重綱が長じて二代目小十郎となり、わし亡き後も二代・忠宗、三代・綱宗と三代にわたり伊達家に仕えてくれたのだから、感慨深いことであるな。 なお、この話は我ら伊達武将隊の演武にもしておるので、機会があればぜひ見ていただきたいものじゃ。
※この政宗公から景綱公へあてた手紙は現存しています。「私自身、この先どうなるか分からないのにお前の事をあれこれ言うのも如何なものかとは思うが、お前の事も子供の事も、どうか私を信じて任せて欲しい。」といった内容の非常に人間味のある手紙で、主従を超えたお二人の深い絆を感じさせられます。 ちなみに この時、政宗公18歳、景綱公28歳。お若いです…!(編集部)
重綱公にとって、政宗公は偉大な主君であり、命の恩人であり、時に父のようでもある大きな存在だったことでしょう。
某が生まれる頃は、政宗公が伊達家ご当主となり、東北の覇者たらんとされていた頃にござりまする。若くして重責を負った我が父上は、伊達家への忠義心一方ならず、思う所も多々あったのでございましょう。しかし政宗公のおかげで、伊達家にお仕えすることができたうえ、父上が築きし基盤を固め、さらに片倉家の石高を1万3千から1万7千余石に増やすまで発展させることもできたのでござりまする。(※)
※伊達家二代当主・忠宗公の時代には、片倉家は御一家にも取り立てられました。これは伊達家と血縁関係の無い家臣にとっては最上位の家格です。(編集部)
もっと知りたい!重綱公・2~真田幸村も見込んだ、最強の二代目
二代目小十郎の決意
Let me lead the vanguard for the Dates! (伊達家の先陣は我にお任せあれ!)「vanguard」や「van」で「先陣」、対義語は「rear guard(後衛、しんがり)」です。
そんな重綱であるが、やはり真田信繁、つまり真田幸村殿との話は有名であるな。 大坂冬の陣・夏の陣では、父・景綱に代わって堂々と先陣を務めあげ、後藤 基次(後藤又兵衛)ら多くの敵将を討ちとる大活躍を見せおった。その際の勇猛果敢な戦いぶりから「鬼小十郎」と呼ばれるようになったのじゃ。…まあ、景綱には「一軍の大将ともあろうものが真っ 先に 突っ込んでいくとは何事か!」と説教されておったがな。
普段はたおやかで柔和なイメージの強い重綱様ですが、鬼気迫る表情はさすが「鬼小十郎」です…!
幸村殿は大坂の陣で討ち死にいたしましたが、その際、三女の阿梅(おうめ)や次男大八など、子女4名を我が元に託されました。これは某を頼ってというより、主君である政宗公や伊達家をご信頼されたからでござりましょう。その後、姫達は白石城内にて養育し、阿梅は某の後妻となりました。 しかし、大八の存在は隠し通さねばなりませぬ。家康公の敵である真田家の男児が生き残っておれば、大八だけでなく、伊達家にも累が及ぶ恐れがござりまする。そこで伊達家では、「大八は8歳のときに京都で死んだ」という情報を九度山の蓮華定院に流したうえで、家系図を操作し「真田幸村の叔父の孫だ」ということにいたしたのです。 そしてその大八の血筋は、今もなお「仙台真田氏」として仙台・宮城に脈々と受け継がれておりまする。
ハピバまでカウントダウン♪Let’s ☆スイーツparty!
仙台のずんだスイーツでお祝いしましょう!
It’s rich in vitamins and effective for beauty. (ずんだ餅はビタミン豊富で美容に効果的!)おまけに低カロリーと、女性には嬉しいこと尽くしです。
I have a sweet tooth. (某は甘いものには目がないのだ。)「甘い歯を持つ」、つまり、「甘党」「甘いものに目がない」となります。逆に甘いものが苦手な場合は「I’m not fond of sweets.」となります。
仙台と重綱のめでたい誕生日(※)を、仙台生まれと言われておるずんだ餅などで祝おうではないか! このずんだ餅、わし政宗が出陣の際に用いた陣太刀(じんだち)で豆をすりつぶして食したことから、陣太刀がなまって「ずんだ」になったという説がある。(古い話なので、申し訳ないがわしも記憶は定かではないのだが…。) 誕生日には一足早いが、何事も先取りは良いことじゃからな。ずんだを食してたっぷりと英気を養うがよい!
※政宗公の頃は誕生日を祝う習慣はなかったと言われています。当時は誰もが新年に一斉に一つ年を取る数え年制であったためです。ただ、加賀藩の前田利常公は誕生日祝いに赤飯などを食べて祝っていたという記録もあるそうで、個人では祝っていた人もいたのかもしれません。
ありがとうございまする!しかし、一口にずんだと申しても色々な菓子がござりまするな。餅や団子、鯛焼きなどの和菓子はもちろん、ロールケーキやフィナンシェ、シェイクといった洋菓子も非常に美味でございます。それにしても、伝統を持ちながら、日々新たな進化を遂げ続ける…ずんだはまさに我が仙台のようでござりまするな! そうそう、ずんだの原料である枝豆は、カルシウム・ビタミンB1・B2・Cを多く含んでおり、美容と健康にも大変効果的とのこと。加えてカロリーも低いゆえ、ダイエット中の姫君もぜひお召し上がりくだされ。
数あるずんだスイーツからお二人がチョイスしたのは、鯛焼きとロールケーキ。史実の重綱公がどうかは不明ですが、伊達武将隊の重綱様は「甘いものは正義♪」のスイーツ武将様。この後、一通りのずんだスイーツを美味しそうに口にされていました。 ちなみに 政宗様は「頭から食べるか尻尾から食べるか」をしばし悩んだ後、尻尾から召し上がっていました。
そうそう、菓子と言えば、我ら伊達武将隊のオリジナルスイーツ(※)も発売されたぞ。チョコマシュマロとアイシングクッキーの二種じゃ!美味なだけでなく、我々のイラストが描かれておるので、見ても食べても楽しめる逸品であるぞ。 そんな逸品のとっておき情報を一つ教えるといたそう。スイーツの箱の上蓋の水玉シートをめくると…なんと、写真入りで我らの紹介がされておるのだ!そこのおぬし、くれぐれも我ら(の紹介シート)を捨てないように気を付けよ!
※伊達武将隊オリジナルスイーツの詳細については、伊達武将隊ホームページにてご確認ください。(編集部)
この青い水玉模様のシートをめくると…
伊達武将隊の写真入り紹介シートに!
今年からはクリスマスパーティーなどをされる際、仙台とこの片倉小十郎重綱のことも思い浮かべていただけると幸いにござりまする。 なお、我ら伊達武将隊では、皆様方からのプレゼントなどの品は受け付けておりませんため、祝うというお気持ちだけありがたくお受けいたします。また我らにとっては、仙台に来ていただければ、それが何よりの嬉しきプレゼントとなりまする。 仙台にてお会いできますことを、政宗様ともども心から楽しみにしておりますぞ!!
「サムライENGLISH」第2回で、政宗様が仙台城跡について詳しくご紹介されています。ぜひ、あわせてご覧ください!
次回予告
更新 日:12月14日(水)
担当:オールメンバー
テーマ:「仙台宮城にございん音頭」コラボ企画★良い所たくさん、宮城においでよ!
奥州仙台おもてなし集団・伊達武将隊(The Oshu Sendai Welcome Squad Date Busho-tai)
杜の都・仙台の魅力を広めるため、 仙台藩祖である伊達政宗公と家臣団などで結成。 仙台城跡を 拠点 に、日本国内から海外まで、仙台をPRするために日夜出陣中。 最新情報は公式サイトや Twitter にて随時配信。また、週2回の英語 更新 がある Facebook や、今すぐ仙台に行きたくなる美麗な Instagram も要チェック!
企画・構成:理桜
ご先祖は東北武士。今は東京女子。GOTCHA!プランナー