『カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話』(メアリ・ノリス著、有好宏文訳、柏書房)は、特に中上級者の英語学習者におすすめの本です。そしてもちろん、校正者、校閲者、編集者にも・・・。英文法や文学や校正にまつわるマニアックな体験と意見が詰まった本書の面白いポイントを紹介します。
校正という職業
『 カンマの女王 「ニューヨーカー」校正係のここだけの話 』の著者は、アメリカの有名誌『 ニューヨーカー(The New Yorker) 』 1 で1978年から働いた校正者の メアリ・ノリス(Mary Norris) さん 2 です。
『ニューヨーカー』は、アメリカの週刊誌で、ニュース、小説などの文芸、エッセイなどを幅広く掲載しています。その「スタイル」を守る一翼を担うのが、ノリスさんら校正者たちです。
日本では、テレビドラマ『地味にスゴイ!校閲ガール』(日本テレビ系、主演:石原さとみ、原作:小説『校閲ガール』宮木あや子著)が2016年に放送され、視聴した人もいるかもしれません。
「校正」と「校閲」の違いは?という言葉の定義は、人によっても微妙に違ってくるようですが、基本的には、校正では誤植、言葉の用法の間違い、表記などをチェックし、校閲では(それらに加えて)事実確認や内容の矛盾などをチェックするとされています。
校正では例えば、「ガラスを割れた」→「ガラスが割れた」と 指摘 するなど(「ガラスを割った」と書いてから、動詞部分を「割れた」に変更したが、助詞を変更し忘れた、という場合などに発生する書き間違い)。校閲では例えば、「人物が午前8時に自宅を出発し、徒歩5分の最寄り駅である〇〇駅から△△線に乗車して、午前8時16分に□□駅に到着する」という描写が、実際的に不可能だと 指摘 する、など *3 。
英語でも、つづり( principle と principal 、 spit とspite、stairとstareとstar!ああ、壮大なる間違い探し・・・)、文法(詳細は後述)、句読法(3つ以上列挙するときに、andの前にカンマを入れる?入れない? *4 )はもちろんのこと、あらゆる点をつぶさに見ていることが、本書で紹介されています(でもきっと、紹介されているのは著者の仕事のごく一部でしょう)。
「正しい」も「間違い」も絶対ではない
ただし 、校正者や校閲者が一概に「この記述は誤りだ、だから『 修正 』する」となるわけではありません。あくまでも、(編集者を通して執筆者に伝えて)執筆者が 判断する のが普通です。
例えば、「手ををを洗った」とあれば、通常は2つの「を」はトル(削除する)とします。しかし、もしかしたら、ある場合には、あえて3つの「を」を記すことで、言いよどみや、いわゆるどもり(吃音)を表現しているのかもしれません。また、「本が置いた」は通常「本を置いた」に「直す」でしょうが、ある世界では「本が」意志を持って何かを「置いた」こともあり得るのかもしれません。
小説の『アルジャーノンに花束を』(ダニエル・キイス著)や『フォレスト・ガンプ』(ウィンストン・グルーム著)では、主人公が「間違った」つづりや文法で書く文章が使われており(原文の英語でのそうした表現が日本語にどう翻訳されているかも面白いところです)、それらはもちろん「直す」べきではありません( ただし 、その部分の「間違い方」が不自然である、などの 指摘 は入ったかもしれません)。
あるいは、実際に最近遭遇したものとして、新聞に掲載された文体の例があります。複数の書き手による書評が毎週いくつか載っていて、通常は「常体(だ・である)」で書かれていますが、その日の1つの書評だけ、「敬体(です・ます)」でした。あれ?と思ったのですが、その書評では取り上げている本について、「です・ます調を使って、わかりやすく書いています」ということが述べられていたので、おそらくあえて敬体にしてあったのでしょう *5 。この場合、常体に統一しないのは「正しい」選択なのだと思われます。
文脈が少し違うかもしれませんが、本書でも、著者は、詩に使われる関係代名詞のthatと which について語る前に、次のように述べています。
書き手たちは、われわれが 基準 に合わせようと文章にルールを押しつけたり突っついたりすると思っている かもしれない が、同じくらい身を引くし、例外もつくるし、すくなくとも、やりすぎとやらなすぎのバランスをとろうと努めている。(中略)「thatと which のどちらを使うべきか」の問題も、書き手が何を表現したいかによる――解釈次第であって、機械的な 判断 ではないのだ。『カンマの女王』p. 55
なお、本書によると、『ニューヨーカー』の校正者はcopy editor(s)と呼ばれているそうです。
ちなみに 私たちの英語教材業界(?)では、ネイティブスピーカーの校正者に英文をチェックしてもらう際、proofread *6 という英単語を使うことが多いです(少なくとも弊社=アルク内では)。これは本当に「間違い」を正すための 工程 ではありますが、それでも複数の「ネイティブ」の意見が分かれることもあります。さらに本の著者の意見がそれとは違う場合もあり、編集者は、読者が学習者という点を考慮しながら、どういう選択をすべきか、著者らと一緒にあれやこれや検討することになります。
between you and meか? between you and Iか?"> between you and meか? between you and Iか?
本書の原題は『 Between You & Me: Confessions of a Comma Queen』です。前半部分は私たちにもおなじみの、このフレーズですね。
between you and me実はこのフレーズは、本書の「英文法」を考える章で取り上げられています。前置詞の between の後に目的格のyouとmeが来る形ですが、これを between you and Iとする人たちがいるというのです。なんと、バラク・オバマ元アメリカ大統領でさえも、 for Michelle and Iと言っていたのだとか(本書pp. 110-111より)。ここだけの話で(あなたと私の間だけのことに)
Iは主格だから、 between you and Iは文法的には間違っているはず。それなら、なぜ人は時にIを使うのでしょうか?その理由を本書の著者は、「Iはmeのフォーマル版」(本書p. 111)と捉えられているからではないか、と書いています。言われてみれば、なんとなくわからなくもありません?!詳細はぜひ本書を読んでみてください。
It’s me.かIt’s I.か?
電話で「私です」と言うとき、It’s me.を使いますか?It’s I.はあまり聞き覚えがありませんよね?(電話では、自分を指してThis is he/she/them.も使われます)
ところが、文法的には、It’s I.が本来「正しい」のです。なぜなら、be動詞の後に来る名詞は主格になるから。それでも、It’s I.と言うことは少なく、It’s me.が定着しています( ただし 、本書p. 114で、著者のボスは、夫との電話でIt’s I.と言う「堅物」だったとのエピソードが紹介されています。また、社内ネイティブスピーカースタッフに聞いてみたところ、It’s I.は「シェイクスピア風に聞こえる」とのこと。youなら、主格も目的格も同じ形なので、その点ではややこしくないのですが!)。
こうした英文法の楽し~い(?)話は、本書の第4章「屈折してるね、あなたとわたし」で読めるので、英語学習者にも強くおすすめします!
特に大学受験の勉強中、英語の長文読解をする上で、「構造」がいかに大事かを少しずつ学び、パズルや建築みたいに「組み立て」を見極めることが必要なのだなあと思いました。英語を母語とする校正者の英文法解説が載っている本書は、 改めて とても勉強になります。
かくも楽しき校正という職業(病)
編集や校正の仕事をしていると、「こんな細かいことにごちゃごちゃ悩み、どうするか考え続けているなんて、私は頭がおかしいのではないか?」とふと不安になることが(たぶん)あると思います。
しかし本書を読むと、「頭がおかしいのは私だけではなかった!」、それどころか、「もっと頭のおかしい人がいる!」(←「もっとず~~~っと有能な人がいる」の間違いです、赤字を入れましょう[笑]。なお、この3つの「~」は、程度の大きさと感情の強さを表すため、あえて3つ重ねています *7 )と思えます。
校正者はきっと、本書の著者のように何十年やっていても、いつまでも悩み、新しい問題に直面するのでしょう。その分、出版前に文豪やさまざまな書き手の文章と向き合える、この上なく楽しい職業なのかもしれません。本書の「そで」にも印字されている、人生のあらゆる経験が校正に生きてくる、という序章の言葉も心に響きます。
ちなみに 、校正者、校閲者、編集者にとって、「1編の文章や1冊の本に誤植が多めだと、気になって内容が頭に入ってこない」のは「あるある」ではないでしょうか?しかし自分も見落とすことは当然あるため、読者でいるときは「寛容」でいるよう努めています(笑)。それでもあまりに多い、あるいは「これはわざとなのか、見落としなのか?」と疑問が湧いてしまったときは、版元に 問い合わせ たくなってしまうのです・・・。職業病かとも思いますが、まさか同業者?と疑ってしまうほど、英語の細かい誤植を教えてくださるお客さまからのお 問い合わせ を目撃したこともあるので、性格によるのかもしれません(それともまさか本当に同業者?!笑)。
最後に、本書から次の文章をお届けします。この表現に「しびれる!」という方は、ひょっとしたら(英語の、あるいは日本語と英語の)校正者に向いているかもしれません!
コロンのほうがセミコロンよりふさわしい場合が多いのは、センテンスの 推進 力が前に向かっているときである:何かを敷衍したり、定義やリストや実例を与えたりするときだ。セミコロンがつくる関係はこれとは違う;後に続くものはもっと微妙な形で前に来るものと関係する。ダッシュはどちらの役割も果たせるが、もっと緩くて、くだけている。『カンマの女王』p. 190
ルールは厳格で理論的(例外もたくさんありますが!)かもしれませんが、文字列からは雰囲気や感情が伝わってくる。そんなことを思い起こさせてくれる一節です。そうした機微も感じ取れる人だからこそ、メアリ・ノリスさんは長年素晴らしい校正者であり続けられるのだろうかと思いました。
この一節に続く次の発見、考察も素晴らしいので、詳細はぜひ本書をお読みください。
ヴィクトリア朝の作家たちは、句読記号で顔文字(エモーティコン)をつくるのではなく((((:>))、句読記号に感情(エモーション)を込めたのだ。『カンマの女王』p. 190、かっこ書きにしている片仮名は出典ではルビ
著者メアリ・ノリスさんのTED動画
著者が校正についてプレゼンテーションをする、英語音声・日本語字幕付きのTED動画です。英語のリスニング練習にもぜひ!
(日本語訳が「校閲」になっていますが、本書の翻訳に合わせるなら「校正」がいいですね!)
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*2 :2021年5月現在、ご本人の Twitter の自己紹介には「 Former copy editor @NewYorker」とあるので、ご退職したのでしょうか。
*3 :漫画で同じ人物の利き手が変わっていたり(両利きなのかも?)、映画で(別々に撮影した映像を編集時に組み合わせた結果)同じ場面の同じ人物の髪形が少し変わっていたり、ということもあるらしいですね。気付くことさえできれば、現代なら技術的にはすぐ 修正 できそうですが(?)。
*4 :この場合に入れるカンマは、シリアル・カンマ(serial comma)やオックスフォード・カンマ(Oxford comma)と呼ばれます。
*5 :いや単なる勘違いかな?どうかな?とか思いながら、ついそんなことを考えてしまいます。まさかこの評者は常に敬体でしか書かない人なのか?といった推測もしてみましたが、仕事ではなく読者の立場で読んでいるものだったので、そこまでは調べませんでした(笑)。
*6 :『ニューヨーカー』サイトの メアリ・ノリスさん紹介ページ では、 query proofreaderという言葉が使われています。
*7 :校正中はこういうふうに、書き手の意図をいろいろと推測したり、その説明を考えたりしています(笑)。やみくもに 指摘 するのではなく、なぜそういう 指摘 をするのか?という説明ができるように校正しなければならないと思うからです。
Irene 言葉とPCに向き合っていることが多いが、絵、旅行、ダンスなども好き。別名アンズ。
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