イラスト:Alessandro Bioletti
プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!
通訳者みたいな翻訳家?
2020年2月末にアルクさんから『通訳というおしごと』が出版され、その後、販促イベントがいくつか企画されていたのですが、すべて新型コロナウイルス問題で吹っ飛んでしまいました。その中には本誌で「英米文学この一句」を連載している柴田元幸さんとの対談も。
最初は「うわー、庶民が知識人との対談なんて無理だわー」と思いながらも、最終的には僕が公開処刑されても本が売れればいいのかな、と割り切って受けていました。文芸分野の邦訳書を全然読まない私は(そりゃそうだ、だいたい原著を読むので)、柴田さんのことを「めっちゃ頭よさそうな村上春樹の友人」くらいにしか思っていなかったので、まずは「敵」を研究するために柴田さんの本を10冊くらい購入しました。
当然、彼の新刊である『ぼくは翻訳についてこう考えています 柴田元幸の意見100』も読んだのですが、これを読んで柴田さんのイメージがずいぶん変わりました。柴田さんは現場でたくさん汗を流した翻訳者・通訳者であれば誰でも実感している本質を気持ちよく言い切るし、「僕にとって翻訳は遊びなんですよ」と言いながらも、言葉について真面目に向き合わないと出てこない考えにあふれています。その中でも、今回は通訳者にも通じる柴田さんの考えをいくつかピックアップしたいと思います。
いかに丁寧に間違うか?
理想の翻訳について、柴田さんは「『どう間違うのがいちばんいいのか』を細かく考える」しつこさが翻訳者にはあるといいと述べています。通訳者の場合はまさにこれが真理。通訳学校では「正確に!」「忠実に!」と厳しく指導され、これはこれで間違いではないのですが、ひとたび現場に出ると、何が正確なのか明らかではない場面に出くわします。それも思った以上に頻繁に。
私自身は通訳学校に通わなかったのですが、キャリアの早い段階で正確性の呪縛にとらわれてはいけないと悟り、それからは「いかに丁寧に間違うか」を研究するようになりました。通訳においてミスをするのは時間の問題。現場はすべて負け戦です。ならばミスをしても、柴田さんが言う「10対0で負けるのではなく、10対9で負ける」方法を身に付けなければならない。いつもうまくできるわけではないですが、この工夫の積み上げが今の自分を作っています。
日本語のインプットについて柴田さんは「・・・テレビなんかの日本語はあまり入れたくない」と書いています(その下で「教授会なんかの日本語」に訂正)。私は特に意識していなかったのですが、そういえばテレビはもうほとんど見なくなりました。
私の場合は、今は必要な情報を必要なときに拾いに行くのが生活習慣と化しているので、テレビのように局が決めた情報を指定された時間まで待って見るのがとても苦痛です(録画するのも面倒)。それに 改めて 考えると、「表現の美しさ」という意味では参考になる話し方をするタレントはほとんどいません。聞き手に失礼のない、それでいて聞き手が消化しやすく美しい表現は、良質かつ豊富な読書から生まれると考えています。
また、柴田さんは意味の等価と同じくらい自然さの等価も大事だと書いています。通訳の世界でも、学校を出たばかりの若手(といってもこの業界では30代半ばくらいが普通ですが)は意味の等価に集中し過ぎて、自然な日本語や英語になっていないことが結構あります。情報を漏らさずに拾うことが最も重要だと教える学校が多いからなのです。
しかしメッセージをしっかり伝えるためには思い切った意訳をして、言語としての自然さを保持する必要もあります。意訳はどうしても訳者の主観に基づくものですから、やり過ぎたり、意訳したのに踏み込むべき所に踏み込まず消化不良になったりすることもあります。この「聞き手が許容できる意訳の範囲」は現場で数をこなさないとなかなか身に付きません。
私自身、これまでたくさんの意訳をしてきましたが、大成功したときもあれば、大失敗してクライアントとの 取引 を失ったこともあります。満足していないクライアント担当者の冷たい視線は、本当に心に刺さるほど痛く、あまりの心理的インパクトで一時は夢にまで出てきてうなされたものです。でもそれくらいの覚悟と打たれ強さがないと、この仕事は長くやっていけません。
通訳者的思考の翻訳者
「原文を見ずに訳す」の項で、柴田さんは「調子が乗っているときは、長いセンテンスは文末まで見ずに訳していきますね。5、6行もあるような長いセンテンスを後ろから訳していくと、だいたいろくなことがない・・・」と書いています。これを読んだとき、とても驚きました。
文末まで聞かず(見ず)に訳していくのは同時通訳者も同じですが、通訳者は文末まで待つと訳出がかなり遅れてしまうので、仕方なく見切り発車しているのです。つまり本当は嫌だけど、状況がそうすることを求めている。翻訳の場合は原文がそこにあり、最後まで読む時間があるのに、あえて読まないで訳すのはとても不思議です。柴田さんは「先のトーンがある程度わかっているときは」と条件を付けていますが、こうなると柴田さんは通訳者的な思考で翻訳をしているように感じます。
「読点は人格上の問題だ」の項では、「・・・呼吸っていうことをちょっと軽視してるんじゃないか」と書いていますが、実は通訳業界で長年活動しているベテランは、聞き手の呼吸や感覚をとても意識して訳しています。話者がマシンガントークでまくしたてても、聞き手が消化しやすいように(たとえ情報価値が低い詳細を落としたとしても)ゆっくり訳したり、話者がゆっくりしゃべっても理解しやすいようにあえてテンポを上げて訳出したりするのです。
逆にスキルが低い通訳者は、呼吸を意識せずに猛スピードで駆け抜けて訳し、聞き手を置いてけぼりにすることも。クライアントはその場で不満を言うことはありませんが、裏では通訳会社に「次回は別の人を」とお願いしているかもしれません。
ほかにも、語学力を身に付けるにはとにかく読書量を上げろ、可能であれば1カ月でいいから英語圏で暮らせ、など私の考えにかなり近いものがあるのですが、もっと知りたければぜひ実物を手に取ってみてください。通訳者・志望者にも役立つ内容がたくさんありますから。