お宅も訪問 しちゃいます【通訳の現場から】

お宅も訪問 しちゃいます【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

私の名刺には会議通訳者と書いてありますが、実は要人が集まる会議場から物理的にも空気的にも遠く離れた場所、なんと一般市民の自宅に上がり込んで通訳することもあります。例えばエスノグラフィー調査。もともとは文化人類学や社会人類学の研究として、コミュニティーにフィールドワークとして入り込み、その中での行動様式を記述し、価値観を見いだしていく手法として使われていました。ビジネスの文脈でもっと簡単にいえば、あなたの日常を見せてください、そこから得た知見を今後の商品開発に生かしますよ、ということです。

過去に担当した案件では、ある製品群に関してユーザーの感じ方・関わり方を調査するために、1 週間の日程で広域関東圏を走り回りました。私が担当した調査は早朝から夕方までギリギリのスケジュールで複数のインタビューが詰め込まれていたので、昼食も移動しながらスタッフと一緒にコンビニで買ったサンドイッチをお茶で流し込んだり、はたまた駅前の立ち食い蕎麦屋で「10 分あるのでゆっくりどうぞ!」と言われて、それはどう考えても論理的におかしくない?と心の中で冷静にツッコミを入れたりしながら、文字どおり走り回ったわけです。いや、個人的にはこのような案件は嫌いじゃないのですがね。

「エスノグラフィー調査」の受難

当然、仕事の内容には触れられないわけですが、今回はエスノグラフィー調査ならではの「あるある」を紹介しましょう。まず、調査に協力してくれる方のご自宅についてです。インタビューする側はインタビュアー、撮影担当、そして同時通訳の場合は通訳者2 人と、最低でも4 人のチームで訪問することになるのが普通なのですが、インタビュー対象者を入れると5 人になり、都内ではスペース的に5 人プラス撮影機材が何不自由なく位置取りができる住まいはあまり存在しません。ただでさえスペースが限られているのに、撮影担当は光の量や方向にこだわるので(自然光を好むようです)、通訳者の位置はどうしても二次的になってしまいます。

通訳者は映りこまないように、基本的にカメラの後方や横に位置取りするのですが、同時通訳だと話している人間の声が聞こえないと仕事にならないため、うまい具合に位置を決めなければなりません。あまり大きな声で通訳すると、インタビュアーとインタビュー対象者が付けているマイクに通訳者の声が入ってしまうため、通訳用マイクを口のすぐそばに持ってきて、ひそひそとウィスパーします。近過ぎてもダメ、遠過ぎてもダメ、このあたりの距離をうまく探さなければなりません。まさか人の家に同時通訳ブースを持ち込むわけにはいきませんからね。

そんな位置取りの関係上、私はこれまで台所のシンクと冷蔵庫の間のゴミ置き場(らしき場所)で通訳したことがありますし、体半分が風呂場に入った状態で通訳したこともあります。パートナーが脱衣所で通訳しているあいだ、位置的に移動することができないので、仕方なく浴槽で体育座りをして待機していたこともあります(笑)。

もちろんすべてを納得した上で依頼を受けており、私はむしろ「たまにはこんな尖った案件があっても面白いねえ」くらいな感じで対応しているのですが、初めて受けた案件がこれだったら驚いて言葉を失う通訳者もいることでしょう。

ある家庭では犬を飼っていたのですが、私がリビングのソファに座って同時通訳をしていると、足元に寄ってきてズボンの裾をかみ始めました。最初のうちは空いている手を使って、ほら向こうへ行ってちょうだいな、と受け流していたのですが、少し時間がたつと戻ってきます。よほど私に興味をもったのか、私が臭かったのかわかりませんが、何度も何度も戻ってくるのです。パートナーさんも気付いていましたが、あまり動くと私の集中力が切れると知っているので静観していました。さてどうしたものかなと思った私は、開き直って犬の頭とおなかを優しくなで始めました。右手でマイクを持ちながら、左手で犬を手なずけて落ち着かせる作戦です。「向こう行け」ではなく、「ここにおれ」ですね。犬もそれで納得してくれたようで、私の足元に伏せて静かになりました。ペット対応をしながら通訳したのはさすがにあれが初めてです。

Mileage, My Life?

調査を続けていると、当たり前ですが、世の中にはいろいろな背景をもつ人がいるのだなあと気付きます。アパレルチェーンの店員、メーカーの研究員、トラックの運転手、エンジニア、看護師、寿司職人、ダンサーなど。一人一人職業上の専門分野があり、その話になると通訳も神経を尖らせます。エスノグラフィー調査では、インタビュー対象者の基本プロフィールは事前にわかっていますが、用意した質問に対して相手がどう答えるのかはまったくわかりません。質問に対してだけ短くストレートに回答する人もいれば、質問にあまり答えずに自分が大好きなことの話ばかりする人もいます。

最近担当したエスノグラフィー調査で困ったのは、映画やゲームに関するやりとりでした。私は映画も見ますし、ゲームも時間があればやる方です。けれど、現場でいきなり『聖剣伝説(Legend of Mana)』や『俺の屍を越えてゆけ(Oreshika: Tainted Bloodlines)』 が出てきたらすぐに正しく訳せる確率は低いです。映画も然り。有名な『アナと雪の女王(Frozen)』や『千と千尋の神隠し(Spirited Away)』はまだわかるとしても、『カールじいさんの空飛ぶ家』の原題の Up なんて、正しく訳せたとしても聞き手がわかるのだろうか。『メリダとおそろしの森(Brave)』、『そんな彼なら捨てちゃえば?(He’s Just Not That Into You)』、そして『恋愛だけじゃダメかしら?(What to
Expect When You’re Expecting)』なんてもう、ファンじゃないと不可能なレベルです。近年は洋画タイトルを冒険的に意訳せず、そのままカタカナで表記するケースが増えてきています。「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「ロード・オブ・ザ・リング」あたりがいい例ですね。消費者としては、あまり芸がないなあ、昔みたいにもっと工夫してよと思いつつも、いざ現場で訳す立場になるとカタカナ表記に何度救われたことか。ただ、油断しているとたまに原題をそのままカタカナ表記したような意訳があってだまされます。例えばジョージ・クルーニー主演の『マイレージ、マイライフ(Up in the Air)』とか。そのまま “Mileage, My Life”と英訳してドヤ顔を見せたのですが、帰宅して調べたら大間違いで、やっちまったー!と背筋が凍ったのを今でもはっきりと覚えています。

関根マイクさんの本

同時通訳者のここだけの話

同時通訳者のここだけの話

  • 作者:関根 マイク
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/02/18
  • メディア: 単行本
 
通訳というおしごと

通訳というおしごと

 

文:関根マイク( せきねまいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」(http://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2018年9月号に掲載された記事を再編集したもので す。