翻訳と通訳の両立?【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

「翻訳ができるなら通訳もできるだろう(逆も然り)」と考えている人は少なくないのではないでしょうか。普通に生活していたら翻訳・通訳という仕事の本質を知る機会はあまりないと思うので、こう考えていたとしても無理はありません。おそらく一般の方にとって、翻訳と通訳は「1 つの言語からもう1 つの言語に意味を変えずに置き換えて伝える」という部分が共通しているので、ひとくくりにしやすいのかもしれません。

実はアメリカでも翻訳と通訳はさまざまな場面で混同されていて、通訳者を指すのに translator という人が結構多いです(正確にはinterpreter)。アメリカでは2012 年に翻訳と通訳の違いについて最高裁判所で審理され(Taniguchi v. Kan Pacific Saipan)、決定的な違いがあると判決が下ったものの、一般にはほとんど知られていません。

では実務ではどうなのかというと、翻訳と通訳の両方を高いレベルでできる人はあまり多くありません。というのは、両者は根本的な部分では似ている要素がありつつも、顧客が納得するレベルで仕事をするために必要となるスキルが決定的に異なっているからです。例えるなら、翻訳はマラソン、通訳は短距離走です。

通訳を「ブースの中のF1レース」と表現した通訳者もいます。翻訳には締め切りがありますが、基本的には自分のペースで進めることが許されているので、表現に納得がいかない場合はじっくりと調べたり考えたりして、少しずつ自分の理想形に近づけていけます。これと比べて、通訳は常に時間との勝負です。もちろん可能な限り美しく表現豊かな訳にしたいと通訳者の誰もが思っていますが、時間との兼ね合いで妥協しなければならないこともしばしば。そして自分のペースで休憩することは許されないので、体力・精神力を激しく消耗します。特に難しいトピックの同時通訳は、たった15 分訳しただけで汗だくになることも。

私はたまたま両方を仕事にしていますが、キャリア初期に両方やらなければ生き残れなかったという環境的要因があったからであって、自分の意思でそうなったわけではありません。スキル維持も大変です。通訳案件を入れてばかりいると翻訳の腕がなまっていくのがはっきりとわかりますし、その逆も然りです。ただ、両者のスキルは決定的に異なってはいますが、適切な訓練をすれば十分に獲得可能だと私は考えています。

「サイトラ」のススメ

先日、某翻訳団体の依頼で、翻訳者と通訳者の思考法を比較するというイベントで講演してきました。同時通訳者は.話の先が見えない中、リスクを取って大失敗したくないので基本的にはFIFO(first in, first out)方式で、聞こえたとおりの順番で組み立てて訳していくこと、そして.瞬時に情報価値に優劣をつけて、省いてよいと 判断 したものは訳さないことを発表したところ、とても驚いた翻訳者もいたようです。たしかに原文に書いてあることを訳さないのは本能的に裏切りと感じる翻訳者が多いかもしれません。しかし通訳者はあえて価値が低い情報を省略することで発話のペースを調整しています。すべて訳してしまうと、とても早口になってしまい、情報も多過ぎるので、聞き手が疲れてしまうのです。

私は立場上、翻訳者に「通訳をやってみたい」と相談されることが多いので、自分なりに考えを 整理 して、しっかり答えを出してみたかったのですが、イベントではうまく伝わったかわかりません。ただ通訳を試してみたいのであれば、まずはサイト・トランスレーション、通称サイトラ(sight translation)の練習から始めることをお勧めします。

サイトラとは、原文を読みながらほぼ 同時に 訳していく通訳形式です。ただ、原文が眼前にあるのと、「ほぼ同時」とは言いながら、原文を読む時間を少し与えられる場合が多いので、その意味では純粋な逐次通訳でもなく、同時通訳でもなく、翻訳でもありません。一言でいえば、翻訳と通訳のあいだのようなものでしょうか。

実際に試してみるとわかるのですが、欲を出して文章の先を読み過ぎると思考の 整理 が追い付かず舌が絡まったり、思考停止になったりしますし、馬鹿正直にFIFO をやり過ぎても論理的な文章構成にするのが難しい。何事もバランスが大事です。ちょっとだけ先を読んで話の流れを 予測 しつつ、あとで難しい構成になっても柔軟に対応できるような形で文を構築していく。何度も練習を重ねていくと、これが自然な思考パターンになってくるので、そうなったらもうこっちのもの。同時通訳に一歩近づいたといってもよいでしょう。

良い翻訳者≠良い通訳者

翻訳を収入の柱にしているプロ通訳者はあまりいません。まず 前提 として、通訳はとても体力を消耗する仕事なので、夜は激しい疲労から何も考えたくありません。私も例外ではなく、通訳メインで活動している今、まとまったボリュームの翻訳を受けるのはかなり時間的余裕がある案件か、スケジュールを調整して例えば1 週間の 作業 時間を確保できる場合に限られます。ではなぜそれまでして翻訳を続けるのか。答えはシンプルで、.翻訳スキルを維持したいのと、.翻訳をすることで通訳がうまくなるからです。

毎日のように通訳をしていると、1つの表現を突き詰めて考えたり、余裕をもってリサーチをしたりすることがあまりないので、次第に創造性が失われていくというか、端的に言うと訳が雑になっていくと私は思います。通訳はその性質上、常にパーフェクトに訳すことは不可能に近いので、どうしても妥協の連続になっていきます。でも妥協の連続で満足してしまうと、技術はゆっくりと、しかし確実に衰えていきます。

私もかつては通訳者に翻訳を依頼していた時期がありました。現場で一緒に仕事をして、「この人は間違いなくうまい」と思ったプロに依頼したのですが、届いた訳文は明らかにクライアントに納品できるレベルではありませんでした。難しい原文の表現から逃げるような訳が散見されたり、構文が雑だったりと色々問題はあったのですが、一言でいえば、ぎこちないしゃべり言葉をそのまま文字に起こしたような印象を受けたのです。

私が見誤ったのは、この通訳者は通訳に限っては間違いなくうまかったのですが、翻訳 に関して はまったくといってよいほどスキル維持をしておらず、プロレベルには達していなかったということです。そして、翻訳スキルの向上・維持に努めている通訳者はあまりいません。この事実に気付いてからは、私は通訳者に翻訳を依頼することをやめました。

関根マイクさんの本

同時通訳者のここだけの話
文:関根マイク( せきねまいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」( https://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2018年8月号に掲載された記事を再編集したもので す。

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