数カ月で通訳のプロになる方法なんてある?【通訳の現場から】

通訳の現場から

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

本当に数カ月でプロになれる?

昨年後半、翻訳業界をかなりにぎわせた事件がありました。業界人がほぼ誰も知らないある若手翻訳者(仮にA氏としましょう)が、自身のコースを受講すれば「半年で年収5倍」「TOEIC500点でも月50万円稼げる」「すぐに年収1000万円も可能」などと、普通に考えればかなり怪しげなオンライン翻訳コースのPRをしたところ、結構な数の人がこれを受講するために高額な授業料を支払ってしまったのです。元受講生が講座の内情を暴露したことにより、一気に炎上しました。詳しく知りたい方は「翻訳コミュニティ問題」で検索してみてください。

実はこのA氏について、私は本件が明るみに出る前から知っていました。YouTubeで翻訳・通訳関連の動画を頻繁に検索しているので、彼の講座の販促用動画も、類似コンテンツとして度々推薦されていたのです。いくつか視聴しましたが、あまり印象に残らず、「ようやく翻訳業界にユーチューバーが登場したと思ったら、この程度なのか・・・」とすぐに忘れてしまいました。彼の講座が翻訳業界を敵に回すまでは。

「業界の常識」をすり抜ける

問題は複雑ではなく、実はやろうと思えば誰でもできたことです。通常、フリーランス翻訳者としてエージェント(翻訳会社)に登録して仕事をもらおうとする場合、まずはエージェント指定のトライアル(翻訳試験)を受けます。いくら素晴らしい履歴書・実績表を持っていても、結局はトライアルの結果がとても大事。エージェントとしては、自社が決めた原文と条件を適用するので、候補者の実力を正確に評価しやすいのです。文章の構築や訳語の選択などを見て、即戦力になる人材か否か判断できます。翻訳・通訳会社は基本的に即戦力しか登録せず、実力不足判定された人材は単に登録を断るか、系列にスクールがある場合はそこで学ぶように勧めます。

会社にもよりますが、このトライアルは同じものを数年使い続ける場合があるので、内容を他者に教えないのが業界の常識です。違法ではないかもしれませんが、明らかにモラルに反する行為と考えられています。それをA氏はやってしまった。彼は国内の翻訳会社のトライアルを片っ端から集めて「分析」し、場合によってはサンプル訳を受講生に提供しました。すると、どうなったか。一人、また一人とトライアルに合格するようになったのです。事前に課題を知り、講師の指導を得て、ほかの受講生と相談しながら仕上げたわけですから、合格率が上がるのも当然でしょう。

エージェントとしては、候補者の正確な実力評価ができなくなるので、とても困ります。しかもA氏が設計したシステムがある限り、新しいトライアル課題を投入してもすぐに分析されて価値がなくなるので、お手上げです。

これだけでも大変なことですが、A氏は受講生に「授業で勉強した翻訳分野は『実績』としてエージェントに提出してよい」と指導していました。つまり、授業で航空機のエンジンや売買契約書の課題をこなしたら、実際に報酬を受け取った仕事ではなくても、それらを実績表に記載してよいと指導したのです。トライアルの結果がよくて実績表も申し分なければ登録しない理由はないので、その意味では業界の脆弱(ぜいじゃく)性が明らかになったとも言えるかもしれません。

語学に近道はなし!

「インチキして登録しても、実力がなければ結局はバレるから大丈夫じゃない?」と考える読者もいるかもしれません。確かにバレるのは時間の問題ですが、エージェントが翻訳者の真の実力を正しく把握していないと、本来は明らかに無理な案件を、その人ならできると信じて依頼してしまう可能性があります。結果として低品質の訳文が納品されると、営業部が苦労してとってきた大事な顧客を失ってしまうかもしれません。特に短納期・大型案件では、エージェント社内の訳文チェック作業が追いつかなかったり、細部まで確認されないケースもあるので、低品質な訳文でもそのまま顧客に納品されてしまう場合があります。これはもちろん、部分的にはエージェントの責任です。とはいえ、本来であれば登録されるべきではない翻訳者の失敗で大口顧客を失ったら、悔やんでも悔やみきれません。

本件が明るみに出てから、エージェント各社や業界団体などが動き、A氏の講座の受講生は基本的に登録禁止処置になっています。この問題は海外へも伝わり、一部団体からは詐欺認定をされるまでに至りました。問題の翻訳コース自体はまだ運営されているようですが、今後は大幅な方向転換を強いられるでしょう。

さて、本コラムは通訳に関するトピックを扱うはずなのに、なぜ長々と翻訳ネタが?と不思議に思っているそこのあなた。実は最近、通訳分野でも同様の動きが見られたのです。「中1レベルの英語で通訳者になれる」「週1日の週末通訳起業で月10万円の副収入」「最短60日で通訳者になれる方法」など、とにかく魅力的な言葉が並びます(既視感がありますね)。加えて「翻訳は難易度が高いが、通訳は低い」との主張も見られました。決してそんなことはないということは、この連載の愛読者の皆さんならわかっていただけるはずです。

つまり、今月のコラムを使って私が何を伝えたかったというと、語学に近道はないので、このようなビジネスには注意しましょう、ということです。ちょっと怪しいコースや教材に数十万円払うくらいなら、市販の教本を徹底的に読み込んで、本当のプロ翻訳者・通訳者が集まるセミナーやワークショップに参加して情報交換する方がはるかに有効です(参加費は数千円程度)。努力せずにすぐ結果を欲しがる人はいちばんだまされやすいものなのです。

Remember, if it sounds too good to be true, it probably is! 

関根マイクさんの本
同時通訳者のここだけの話

同時通訳者のここだけの話

  • 作者:関根 マイク
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/02/18
  • メディア: 単行本
 
通訳というおしごと

通訳というおしごと

 

文:関根マイク( せきね・まいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」(http://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年4月号に掲載した記事を再編集したもので す。

関根マイク

関根マイクフリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。FIFA(国際サッカー連盟)公式通訳者。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」http://blogger.mikesekine.com/