【舞台芸術通訳の仕事】演劇ワークショップで外国人演出家による謎の指示をどう訳すか?

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。第2回は、演劇ワークショップでの通訳の仕事がテーマです。

正解を出さない通訳

こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人と申します。

前回 は初回ということもあり、マニフェストのような感じに終始しましたが、せっかくすてきな連載タイトルとトップ画像を頂けたことですし、今回はずばり、私が舞台芸術の通訳を始めたときのお話をいたしましょう。

舞台芸術ってなんだ?

まず、ひと口に舞台芸術といっても、演劇、ダンス、舞踏をはじめ多種多様なジャンルがあります。

私はひと通り対応していますが、中でも最も深く関わっているのは演劇です。やはり作品の内に「言語」の占める比重が最も大きいので、当然といえば当然でしょうか。

とはいえ、昨今はジャンルごとの線引き自体も難しくなってきていて、一つの作品に俳優とダンサーと美術家が 同時に 出演しているようなケースも珍しくないので、あれもこれもひっくるめて「パフォーマンス」という魔法の言葉で呼んだりもします。

あ、 ただし オペラとクラシックバレエだけは厳然と別のくくりに入れられていて、両方ひっくるめて「金持ち」という経済の用語で呼びます。すみません、うそです。ちょっとほんとだけど。

さて、演劇を中心とした舞台芸術の通訳をやっています、という話をするとたいてい、「あまりよくわからないけれど大変そうですね」という反応をされるのですが、実は演劇の通訳というのはある意味でとっても「楽」な仕事だったりします。

少なくとも私個人 に関して 言えば、通訳学校に通ったこともなく、フランスに継続して滞在した経験も9カ月ほどにすぎない にもかかわらず 、曲がりなりにも通訳を名乗れているのは、演劇という分野の孕む(はらむ)特殊性のおかげでしょう。

なぜなら演劇の通訳は、必ずしも正解を出すことを求められないからです。

余は如何にして演劇通訳となりし乎

演劇の通訳の仕事は、日本へ公演に来る海外アーティストを数日アテンドするだけのものから、長期にわたる滞在制作(例えば、外国人演出家が日本人俳優と新作を作るような場合)への参加、あるいは逆に、海外へ公演や滞在制作をしに行く日本人アーティストに随行しての通訳業務など、多岐にわたります。

私の場合、初めての仕事は2週間のワークショップ(以下WS)でした。

当時、大学院でフランス植民地史を専攻していた私は、ちょうど研究に行き詰まりを覚え・・・るほど研究もしておらず、それどころかわざわざ仏政府給費留学生試験を受けて最終面接まで残っておきながら、面接官の「あなたからは本気で研究したいという熱意が伝わってこない!」という圧迫に対し、「あ、わかります? 実はそんなにしたいわけでもないんですよねー」と誠実に答えて不合格になるというファインプレーをかます始末で、見かねた指導教授が話を持ってきてくださったのです。

聞けば、平田オリザ氏が主宰する「青年団」の俳優が参加し、駒場東大前の「こまばアゴラ劇場」稽古場で行うとのこと。演劇好きな親の 影響 で幼い頃から観劇に親しんでいたこともあり、一度きりのアルバイトのつもりで引き受けたのでした。

岩石と謎と私

ところがこれが、蓋(ふた)を開けてみると、それはそれは大変な仕事でした。

まず、演出家がとにかく偉そう。

長身でがっしりとした年配男性だったのですが、不機嫌な岩石みたいな面構えで、何か 指示 を出すときも、「そこへ立て」「これを持て」と常に命令形。間に入る私としては、初対面の俳優さんたちが相手ですし、「そこへ立ってみてください」「これを持ってもらえますか」と自主的に丁寧に訳すわけですが、この時点ですでに大変ムカついています。オレに気を遣わせずにおまえが丁寧にしゃべれ。ていうか偉そうなおっさんてシンプルに不快。という気持ちでいっぱいです。

さらに衝撃的だったのが、WSの内容。

まず稽古場の床にテープで2メートル四方くらいの四角形を作ります。俳優はその四角の中に入り、しばらく精神を統一しながら、インスピレーションの窓が開くのを待ちます。窓が開いたら、すかさずその中へ飛び込むようにして身体表現を行う・・・。

これを、生まれて初めて演劇の現場にやって来た人間がすわけです。

そもそも 私はそれまでの人生で、「インスピレーションの窓」が存在するという 前提 で他者と話をした経験がありません。なんなの?演劇界にはよくある窓なの?みんなそんなにしょっちゅう開け閉めしてんの?

自分で自分の訳した内容にさっぱり確信が持てないまま俳優の方を見ると、皆さん真剣な表情で次々と四角に入ってゆくではありませんか。

すんなりやるのかよ!

「医者と患者」というエチュードもありました。長机の上にさまざまな品物(食器、衣服、本など )を並べます。次に、2人1組でペアになり、医者役と患者役に分かれます。患者役は長机の前へ行って「インスピレーションの窓」が開くのを待ち、開いたらそれに沿って品物を選んで、自分の症状を「表現」します。それを受けて医者役も、患者役を癒やす「表現」を編み出し、「治療」するのです。もちろん、言葉による説明は一切禁止。こうして今思い出してみても、本格的にわけがわかりません。

訳している本人がまったくわかっていないのに、俳優に伝わるはずがない。お願いだからもうやめようよ!この岩石野郎に「そんなわけのわからないことできません!」って言ってやってよ!!

そう思って俳優を見ると、とっくに2人1組に分かれているではありませんか。

あっさりやるのかよ!!

俳優とはもっと自己 主張 の強い生き物だと思い込んでいた私は、あまりに従順なその様子に疑念が募り、WSが始まって数日たったころ、参加俳優の一人だった兵藤公美さんに思い切ってこう尋ねました。

「あのー、俳優さんって、演出家に『嫌だ』って言わないんですか?」

すると公美さんは目をぱちくりさせ、髪をいじりながら少し考えた後、こう言い放ったのです。

「いや、よっぽどっすねー(意訳:普通はそんなこと言わず 指示 に従います)」

ちーーーん。

さてはおまえらもだな!!!

正解がわからないことの恐怖

こうした、特殊な 指示 によるインプロ(improvisation =即興)の通訳でいちばん恐ろしいのは、「正解がわからない」ことです。

これは通訳者に限ったことではないのですが、人間は誰かと話をするとき、仮説を立てながら話を聞いているものです。相手が「AがBでさー」と言えば、(つまりCだったのだろう)と自分の中で無意識の想定が働きます。

だからこそ、例えば「すごくお寿司(すし)が食べたくなって、回転寿司に入って、タピオカを食べた」と言われたら、(寿司はどこへ!?)と思うわけです。まして通訳中はこうした「仮説による先取り」を、日常の何十倍も稼働させています。

ただし 仮説を立てるからには、発話者と受話者の間で一定の論理(≒常識)が共有されていることが 前提 となります。

翻ってインプロの場合、「インスピレーションで物を選んで治療を表現しろ」のように、 指示 内容からして常人の論理 展開 からかけ離れているため、通訳者は仮説を立てることが困難になり、次々に繰り出される謎を前に右往左往するばかりで、自分の通訳が本当に発話者(=演出家)の意図を適切に言い表せているかの 判断 もおぼつかなくなります。

さらに、なんとか自分なりに 指示 を訳して、参加者たちが 作業 を開始しても、「正解/不正解」が演出家個人の感性のみに立脚しているので、目の前で行われているエチュードが「アリ」なのか「ナシ」なのかも一介の通訳者にはわかりません。

せめて表情から読み取れればいいのですが、何しろ敵は常に不機嫌な岩石顔。エチュード後のフィードバックも、褒めるのか貶す(けなす)のかのニュアンスすら読めないまま、見切り発車で絶えず軌道 修正 しつつ訳すことになります。「さっきあそこでああなっちゃったのが・・・よ、よかったですよ!逆に!」みたいな。逆ってなんだよ。

正解を出すのは自分ではない

しかしそんな、暗闇でもぐらたたきをするような危機から私を救ってくれたのはほかでもなく、一度は「敵」と認定しかけた俳優たちでした。

兵藤さんが教えてくれたとおり、俳優は常に演出家の 指示 に全力で応え、イメージを可能な限り具現化してみせようと努めます。それがプロの俳優の役割だからです。

演出家という、自分と異なる発想を持つ他者の 指示 をいったんすべて受け入れる。口で言うのは簡単ですが、実際やるとなれば相当な度量が問われます(しかも、青年団は本来こういう謎前衛とは180度違う作風で、このWSは参加俳優にとっても未知との遭遇だったと後から聞いて知りました)。

まして通訳を介すと、ただでさえ難解な話がいっそう不可解になり、余計な負荷がかかりがち。それでも俳優は、至らない通訳の話を最大限くみ取って迷わず行動に移る。取りあえずやってみる。そうして提示されたものが演出家にとって満足のゆくものであれば、通訳も結果的に役目を果たしたことになるのです。

もうおわかりですよね。

これこそが冒頭の「演劇の通訳は必ずしも正解を出すことを求められない」というテーゼの意味するところなのでした。

ちなみに 、今回は演技WSの話なので俳優さんに焦点を当てましたが、既述のとおり演劇通訳の仕事は多岐にわたるので、場面が変わればその都度「正解を出してくれる人」も変わります。

照明、音響、舞台機構、音楽、振付、美術、衣装、制作などをはじめ、あらゆる分野の人たちが、専門家ならではのリテラシーを最大限発揮して、通訳者のひねり出す至らない言葉から発話者の真意をくみ取り、形にしてみせてくれるからこそ、私のようなメモの取り方ひとつ知らない人間が今日も劇場で、稽古場で、通訳として立っていられるのです。

今日まで舞台芸術の仕事を通じて私の代わりに正解を出し続けてくださっているあらゆる方々に、この場をお借りして心からお礼を申し上げて、連載の第2回を終わります。

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