なぜ日本にはネイティブと「対等に話せる」大人がほとんどいないのか?英語教育改革法

米大学博士の英語独習法

どうして日本には英語ネイティブスピーカーと「対等」に渡り合える人が少ないのか?英会話力「ほぼゼロ」の状態から、英語を独自に猛勉強して単身渡米し、米名門大学院で神経科学の博士号を取得した、さかいとしゆきさんが、自身の経験を基に、世界に通用する英語力、思考力、表現力、コミュニケーション力を身に付ける方法を紹介します。第3回は、「日本の英語教育の変革法」です。

出身地よりも何をするかで評価される

アメリカの大学で研究者として働く私には、さまざまな人々と接する機会があります。

現在のアメリカの大学には、「人種の壁を超えた」アメリカ型教育システムがあり、もう誰がどこの出身なのかという問いがほぼ意味のないものになりつつあります。この国は、どこの出身かよりも、今何をして、これから何をするかのみで評価される、究極の実力主義だからです。

そこでは、さまざまなバックグラウンドを持つ人々と、柔軟にコミュニケーションし協力し合える社会的コミュニケーション能力が必須になっています。自分の知識や経験を最大限に生かすには、多様な他者と積極的に理解し合えるコミュニケーション能力は、この上なく重要です。

このアメリカ型多様化の波は、いずれ他の国にも到来し、多様性に柔軟に存分に対応できるスキルは極めて重要になっていきます。

こういった観点から、私は日本の未来が非常に心配です。

現在でも、外国人と対等に英語でコミュニケーションできる大人が国内外問わず非常に少ないからです。

英語コミュニケーション力は独創的アイデアの実現に必須

日本では、学校で英語を習うことが何年間も義務付けられているにもかかわらず、義務教育を終えた人たちの英語コミュニケーション能力は驚異的に低いです。

この義務教育英語の非効率性はもう何十年も解決されておらず、ほとんどの日本人が英語を満足に話せない大きな原因の一つとなっています。

日本の学校教育では、ネイティブスピーカーが使う本当の意味での「生きた英語」を無視した、「日本人にとって重要な英語」、すなわち日本語英語が教えられています。子どもたちに十分な英語コミュニケーション能力を習得させるという重要な目的は、ほとんど達せられていません。

そこには、英語を単なる娯楽としての「語学」と見る日本社会全体の認識も大きな影響を及ぼしています。

アメリカに渡って私の英語力が最も伸びたのは、英語を「生きるためのツール」として脳が強く認識したアクティブ・イマージョン(積極的英語漬け)の状態のときでした。当時、英語をマスターすることは、私にとって生きるか死ぬかを左右するほど重要なことでした。ただ、当時の私は、それはアメリカに生きる私が遭遇した特殊な状況だと感じていました。

しかし、時代は流れ、現在の世界では、多様化の波は世界中に拡大しています。それに伴い、その変化に柔軟に対応し、独創的で革新的なアイデアを生み出す力は極めて重要になっています。

そして、それを達成するには、現在紛れもない世界共通言語となった英語で柔軟にコミュニケーションできる能力が、全ての日本人にとって極めて重要になっていきます。特に、これからますます多様化が加速する世界で生きていく子どもたちにとって、英語コミュニケーション能力はまさに人生を左右するような極めて重要なツールです。

ですから、日本における英語教育の根本的変革はもう「オプション」ではなく、「われわれ大人の義務」であると強く感じています。

日本の英語教育における3つの問題点

日本に外国人と真の意味で対等にコミュニケーションできる大人がほとんどいないのには、大きく分けて少なくとも3つの理由があります。

1. 生きた英会話力に役に立たないことを強調し過ぎる「日本語英語」の浸透

2. 英語マスターに必須のアクティブ・イマージョン(積極的英語漬け)の欠落

3. 英語を日常的に練習できる多様な英語話者*1の友達の欠如

これらのことを、さらに詳しく説明していきましょう。

「日本語英語」を根本的に見直さなければ、われわれはこれからもずっと英語のネイティブスピーカーと対等に対話できません。本当の意味での「生きた英語」とかけ離れた日本の義務教育英語を根本から変える必要があります。

私は、中学、高校を通して、英語の授業では常に好成績を取り、自分の英語に根拠のない自信を持っていました。しかし、いざネイティブスピーカーが見るテレビを見ても、内容がさっぱり分からないし、無理やり英語で話そうにも、片言にすらなりませんでした。

私の英語力には決定的な「何か」が足りなかったのです。

アメリカに渡り、とうとう生きた英語を身に付けた私は、その「何か」が、日本の英語教育全体に足りないものであるということに初めて気付きました。それはシステムの問題だったのです。

これまで、何十年もの間、日本人がバイリンガルになるのをことごとく阻んできた日本の英語教育にはいくつかの解決法があります。私は、次に述べる解決法の全てを実践し、アメリカ人と対等にコミュニケーションできる能力を独自に身に付けました。

▼著者が日本で英語を独学しアメリカに留学するまで↓

gotcha.alc.co.jp

▼渡米後に英語で挫折し真のコミュニケーション力を獲得するまで↓

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解決法1:「英語の話せない英文法専門家」の量産をやめる

日本の受験教育では、英文法を必要以上に掘り下げ、アメリカ人が普段絶対に使わない表現ばかりを丸暗記させる傾向があります。

日本の受験参考書も、アメリカ人が実際に使う頻度を無視して、難解な英語表現ばかりに焦点を合わせているものが多くあります。

このような日本的英語教育から生まれるのは、「英語の話せない英文法専門家」の量産です。実際に、難解な英文なら読めるのに、英語コミュニケーション能力が完全に欠落している大人を国内外で何人も見てきました。

しかし、急速に多様化する世界において、めったに使われない英文法にはめっぽう詳しいのに、「全く話せない」では、本末転倒です。

英文法偏重教育の弊害は他にもあります。それは、英語を「日本語で考えて解読する対象」として見る癖がついてしまうことです。

文法の構造、パターンを全て日本語で把握しているため、英文を見るたびにまず日本語で考え、それを分析し、そして意味を把握することになります。しかしこれでは、手間が掛かり過ぎていて、時間を使い過ぎます。実際にネイティブスピーカーの意見を理解するのには遅過ぎますし、普段の会話もままならないでしょう。

英語を理解するには、全て英語で考える癖をつけるしかありません。

日本的な英文法などを一切習わないアメリカ人の子どもたちは、あっという間にペラペラになってしまいます。このプロセスを私は英語の「自然的ラーニング」と呼びます。

逆に、この「自然的ラーニング」のプロセスを全て飛ばして、難解でレアな英文ばかりに焦点を合わせる学習を「逆流性ラーニング」と呼びます。この逆流性ラーニングでは誰もバイリンガルになれないのは、私たち日本人の多くがもうずっと長い間知っていたことです。

自然的ラーニングでは、膨大な英語の波の中で、脳に、より自然なやり方で、何度も繰り返されるパターン(頻出する単語や文の構造など)を、経験を通して認識させます。それは、ネイティブスピーカーが実際に使う「生きた言葉」にのみ焦点を合わせた学習スタイルです。

この自然的ラーニングの概念は、私が、ネイティブスピーカーが実際に聞いたり読んだりするメディアを使って、情報の波に脳を置き、頻繫に見られるパターンを集中して学ぶという学習につながりました。そして、渡米してからは、積極的に現地のアメリカ人と交流して、英語の情報の波に自分の脳をさらし、頻繫に使われる「生きた英語」からまず吸収するということを心掛けました。

この自然的ラーニングの一番の強みは、自然に覚えた英語は、また自然にアウトプットできるということです。これは、日本の学校で英文法偏重の逆流性ラーニングをしていたときには、感じたことのない、より「自然な」言語の吸収プロセスでした。

確かに、基本的な文法の知識は重要ですが、それ以上に文法にのめり込むことはおすすめしません。話せない文法専門家になっては、これからの多様性社会でとても苦労します。

これからますます重要になるのは、多様性社会で自由自在に英語でコミュニケーションできる、柔軟な社会コミュニケーション能力です。それを、決して忘れないでください。

日本の英語教育が根本的に変われない大きな理由があります。それは、現役の英語の先生の多くもまた、バイリンガルではない、話せない英文法の専門家だからです。

そして、このサイクルは、誰かが勇気をもって止めないと、これからもずっと続いていきます。

英語教師の「生きた英語力」の向上は必要不可欠です。子どもたちは、どんなに頑張っても、先生より英語がうまくはなりません。ネイティブスピーカーの発音もままならない、英会話もできないような先生に習っていては、子どもたちにはネイティブレベルの英語力は付きません。

子どもたちに英語力を伸ばせという前に、まず、われわれ大人が自分の英語力を根本から見つめ直し、学び直さなければならない時が来ています。これは日本の英語教育をより短期間で根本から変革するための大きなテーマです。

解決法2:アクティブ・イマージョンの導入

私の英語力が飛躍的に伸びたのは、渡米後、地元のアメリカ人たちに囲まれて生活、勉強した時期でした。英語力を伸ばせなければ生き残れないという状況で、私の脳が英語を、単なる言葉ではなく「生きるための最大のツール」だと、経験を通して強く認識し始め、アクティブ・イマージョンの状態にあったときのことだったのです。

このアクティブ・イマージョンは、日本国内でも条件さえそろえれば、十分に導入可能なメソッドです。

そのためには、アクティブ・イマージョンの時間を、毎週少なくとも数時間から数十時間つくり、脳に英語の習得を自然に促す必要があります。

そこでは、英語授業内でも、日本語を完全にシャットアウトする必要があります。教科書、辞書などは全て英語のものを使い、逐一訳すのをやめ、英語で考え、話し、聞くことを、脳に慣れさせる必要があります。

先生はもちろん英語で教え、生徒同士も英語でコミュニケーションします。そして、試験も全て英語のみで行います。

これを長期間続けることで、頭の中の思考を全て英語で完結させるという習慣をつけるのです。

このような状況では、英語は単なる言葉ではなく「生きるツール」になります。

これだけは、はっきり言えます。脳は必要でない(実際価値のない)言葉は覚えません。そのため、アクティブ・イマージョンの時間を通して、英語に「実際的価値」を与えることで、脳にその吸収を促すことが必要なのです。

そして、前回も述べたように、アクティブ・イマージョンの経験の初めには、強い孤独感が付き物です。しかし、これは新しい言語を学ぶ全ての人間が経験するごく自然な感情です。

孤独感に正面から向かい合い、英語力を向上させることを辛抱強く継続してください。孤独感から逃げてしまうと、英語が飛躍的に向上する機会を逃してしまいます。

子どもたちや学生にアクティブ・イマージョンを経験させる上では、こういった孤独感は自然と起こるということを、前もってはっきりと伝えておくと、より心の準備がしやすいかもしれません。

解決法3:英語を日常的に話す環境をシステムレベルで確立

真のコミュニケーション能力は、英語話者との継続的会話を通してのみ得られます。

アメリカの大学で学んだ経験は、私の英語能力を飛躍的に向上させました。しかし、それだけでは、本当の意味での柔軟な社会コミュニケーション能力は付きませんでした。

大学での勉強と同じくらい私の英語力の向上に重要だったのは、英語話者の友人たちと共に過ごした時間でした。放課後や週末にはよく彼らと外出したり、食事をしたり、遠出して遊んだりしていました。

地元のアメリカ人たちとじかにコミュニケーションをすることで、さまざまな社会的スキルを学びました。

人種的に多様な友人たちの中で、どのように振る舞えばこちらの敬意がうまく伝わるのか。友人たちがどのようにお互いを助け合ったり、建設的に、好意的に意見を交わしているのか。どうしたら、多様な友人たち皆が共に笑い合いながら交流することができるのか。

そこで学んだ社会コミュニケーションスキルの一つ一つが、今でも私を助けてくれています。それは、かけがえのない人生の学びです。

多様性の中に身を置き、さまざまなバックグラウンドを持つ人々とじかに英語で交流することは、日本国内でも十分に可能です。特に現在、日本には多くの英語話者の外国人が住んでいます。

日本に住む外国人と、日本の子どもたちが、積極的、継続的に英語でコミュニケーションできるようなプログラムをシステムレベルで確立することは、日本人の英語力の底上げに非常に重要です。そういった経験を通して、英語のみならず、多様な世界で生きるスキルを学ぶことが、これからますます多様化が進む中で生きていかなければならない子どもたちにとって、極めて重要になるでしょう。

最後に

今回、私の経験を皆さんにお伝えできる機会をアルクさんに与えていただいて、本当に感謝しております。

この連載は今回で最後ですが、私のミッションはこれからも続きます。日本にいらっしゃるお子さんや学生さんたち、そして日本の教育の未来を心配する全ての方々に、何らかの発信を続けていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

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さかい としゆき:日本の大学を、体調を崩して休学後、英会話力「ほぼゼロ」の状態から英語を独自に猛勉強し、単身渡米。世界有数の米名門大学を優秀な成績で卒業。その後、米名門大学院で神経科学の博士号を取得し、研究者の道ヘ。アメリカ在住。英語を全く話せなかった自分が、どうやって現地のアメリカ人と「対等」に話すための「生きた英語」を習得したかを伝えるため、日本での執筆活動を開始。ブログ:https://note.com/bigocean

編集:GOTCHA!編集部

*1:いわゆるネイティブスピーカーだけでなく、第2(や第3など)言語や外国語として英語を流ちょうに使いこなす人も含む。