アルクの歩みとこれから──アルク創業者と代表が語る語学の未来への挑戦

アルクは創業から現在に至るまで、語学学習の在り方を根本から変える挑戦を続けてきました。その原点は、「出版はしない」と言われた日から始まった偶然ともいえる小さな一歩。そこから『English Journal』の発刊や「ヒアリングマラソン」の成功を経て、語学の楽しさを届けるという理念を貫き、デジタル化が進む現在でも新しい学びの体験を追求しています。アルクが歩んできた道のりと、これからのビジョンを振り返りながら、語学教育の未来像を紐解いていきます。

平本 照麿
平本 照麿

株式会社アルク創業者、1935年満州国生まれ、1959年早稲田大学文学部中退。国際会議の仕事をする中で、日本人の国際コミュニケーション力や使える英語力の弱さ、日本の英語教育のあり方に疑問を抱き、1969年、株式会社アルクを設立。1971年、月刊誌『ENGLISH JOURNAL』を創刊。以来、「地球人ネットワークを創る」をスローガンに掲げ、メディアミックスによる新しい語学教育を目指す。

天野 智之
天野 智之

1982年生まれ。宮城県仙台市出身。中学卒業後に単身でニュージーランドに高校留学。ニュージーランドの高校卒業後に渡米。カリフォルニア大学チコ校経営情報学部入学。2004年に大学を卒業後、大手電機メーカーに就職。その後、グローバル化支援事業を展開する株式会社トゥモローを共同設立、同社代表取締役社長に就任。

1.アルクのはじめの一歩 ―「出版はしない」と言われた日から始まった挑戦

――アルク創立のきっかけについて、当時の状況や具体的な出来事を教えていただけますか?

平本:実はアルクの誕生は、偶然ともいえる出来事がきっかけでした。当時、私は「日本コンベンションサービス」という国際会議の運営会社に関わっており、そこでの経験が始まりだったのです。当時、日本では外国からの観光客に通訳やガイドを派遣するニーズがありました。そのため、ヒルトンホテルやプリンスホテルにカウンターを設置し、外国人対応のサービスを提供していました。国際会議自体がまだ珍しい時代でしたので、外国人のお客様の「ここに行きたい」「これが見たい」といった希望を叶えるお手伝いをしていたわけです。

この仕事を通じて、私は赤坂にあった在日アメリカ軍の施設「山王ホテル」にも出入りするようになりました。そんな中、ある日、山王ホテルの支配人から「在日軍人向けのガイドブックを作ってほしい」と依頼を受けたのです。実は私は以前から出版に興味があり、「これはいい機会だ」と思い快諾しました。ところが、会社に戻って社長に相談したところ、「出版事業はやらない」と断られてしまいました。しかし、既に依頼を受けていたので引き下がるわけにはいきません。そこで「それでは、私が会社の外で個人でやってもよろしいでしょうか?」と尋ねたところ、「やっていい」との許可をもらい、独立してこの仕事に取り組むことにしました。こうして、アルクの最初の一歩は、外国人軍人向けに東京の観光案内を英語でまとめたガイドブックの制作から始まったのです。これは1960年代 のことでした。

2.『English Journal』誕生秘話 ―なぜ「生の英語」が必要だったのか?

――アルクが英語教材を作り始めた経緯と『English Journal』発刊の背景について教えていただけますか?

平本:独立して出版事業を立ち上げ、ガイドブックを制作していく中で、私は「これから日本人にとって英語は必須になる」と強く感じるようになりました。当時、周囲には英語を学んでいる人や英語に携わる仕事をしている人が増えており、そうした環境の影響もあって、英語の専門家ではない私でしたが、英語教材の制作に挑戦してみようと考えました。英語学習専門の雑誌がほとんどなかった時代に、『English Journal』を発刊するに至ったのは、そうした背景があったからです。

『English Journal』は、カセットテープ付きで販売されたことが非常に画期的でした。当時、ちょうどカセットテープという便利なメディアが普及し始める時期と、ネイティブスピーカーが話す「生の英語」を聞きたいというニーズが高まる時期が重なったのです。ラジオを使った英語学習はありましたが、英語はまだ多くの人にとって遠い存在で、ハードルが非常に高かった時代でした。そんな中、カセットテープで「生の英語」を気軽に聞けるというアイデアは、多くの人に歓迎されたのではないでしょうか。実際、需要があったことがそれを証明しています。

当時の日本では、学校でいくら英語を勉強してもネイティブスピーカーの英語が理解できず、実際に使える人もほとんどいない状況でした。大半の英語教師自身が英語を話せないという問題もありました。ある国際会議で英語教師たちが集まった場面では、発表内容こそ立派でしたが、懇親会になると日本人の教師たちが固まってしまい、誰一人として外国人と会話しようとしませんでした。この光景は、私が「日本の英語教育には根本的な問題がある」と痛感した出来事の一つです。

当時の日本の英語教育は、文法に基づいた文章を教えることが中心で、教科書もそのルールに基づいて作られていました。その結果、実際に使われている自然な英語、いわゆる「生の英語」を学ぶ機会がほとんどなかったのです。こうした状況への不満や苛立ちを感じる人が多い中で、私たちは「文法の正確さにこだわるよりも、実際に使われている『生の英語』を学ぶことが大切だ」という考えに至りました。そして、それを実現する手段として、カセットテープ付きの『イングリッシュ・ジャーナル』というアイデアが生まれたのです。

3.「マラソンをしながら勉強するんですか?」―ヒアリングマラソンの裏話

――『English Journal』に続く「ヒアリングマラソン」の誕生とその影響についても教えていただけますか?

平本:「生の英語」に焦点を当てた『English Journal』に続き、「ヒアリングマラソン」は、より実践的な教材として広まりました。当時、『English Journal』に対して「少し難しい」という声が多く寄せられたため、さらに解説を加えた教材を作成することとなりました。これが「ヒアリングマラソン」の誕生の背景です。

「ヒアリングマラソン」という名前はとても魅力的ですが、当時は「マラソンをしながら勉強するのですか?」と真剣に尋ねる方も少なくありませんでした。その名の通り、非常に斬新な教材だったのです。そこで、「ヒアリングマラソン」を広く知ってもらうために、思い切って新聞広告を出す挑戦をしました。当時のアルクにとって広告費は決して安くはありませんでしたが、大きな効果を発揮し、「ヒアリングマラソン」は瞬く間に評判を呼びました。朝から電話が鳴り止まず、「これはすごい!」と感じました。昔は現金での支払いが主流だったため、出社した経理担当の社員が「社長、どうなっているんですか? たくさんの現金が届いていますよ!」と驚いていたことをよく覚えています。今でもその時の驚きは忘れられません。それが「ヒアリングマラソン」に対する最初の反応でした。

「ヒアリングマラソン」は、まさにアルクの発展の起爆剤となりました。『ヒアリングマラソン』の登場からわずか4年で本社ビルを建設することができたのです。それ以前は、銀行からの融資をお願いしに行っても、話が進まないことが多かったのですが、「一度会社を見せてください」と銀行側から依頼された際に、たまたま「ヒアリングマラソン」の申し込みが大量に届いていたことがありました。それを見た銀行担当者が驚き、すぐに融資が決まりました。やはり、何がきっかけになるかは予測できません。新聞広告を出したタイミングも非常に良かったのです。売上が9億円しかなかった会社に対して、銀行から10億円の融資を受けることができました。翌年には売上が20億円に達しました。これがなければ、現在のアルクは存在しなかったかもしれません。

4.語学は楽しい!アルクが届けたい新しい英語体験

――アルクは創業当初から、『English Journal』や「ヒアリングマラソン」など、時代のニーズに合わせた挑戦を続けてこられたのが印象的です。では次に、これからのアルクや英語教育について、天野さんはどのようビジョンをお持ちかお聞かせいただけますか?

天野:まず、平本さんにこれまでお話しいただいた成功の背景には、アルクのプロダクトやコンテンツに込められた語学の「楽しさ」という価値があったと思います。これは、私自身の英語学習の原体験とも通じるものです。私は、15歳のときにニュージーランドの高校へ留学し、大学生活もカリフォルニアで過ごしたのですが、その時に経験した世界と繋がる楽しさを、アルクの教材を通じてより多くの人に届けたいという想いがあります。そして、それが事業の成長へと挑戦していく原動力のひとつになっています。

その上で、私が日々感じていることの一つに、「完璧な英語を話す必要はない」という考えがあります。日本では文法ミスを過度に恐れ、完璧さを求めすぎる風潮があります。ですが実際に海外で英語を使うと、多少の文法ミスがあってもコミュニケーションは十分に成り立ちます。私の経験では、外国の友人たちは私の英語のミスを気にすることなく、むしろ会話を楽しんでくれました。この経験から、英語は「完璧に伝えようとすること」よりも「不完全でも使ってみること」が大切だと強く感じています。そう考えてみると、学校で習う受験のための英語とは異なり、言語学習は辛いものではなく、むしろ楽しいプロセスであると言えるのではないかと思います。

例えるなら、語学にはスポーツに似た側面があります。たとえば、テニスを始めたばかりの人が、正しいラケットの持ち方やフォームを知らなくても、とりあえずボールを打ち返してみることで「楽しい」と感じるように、英語も最初から完璧でなくても、実際に使うことで楽しみながら学べるものだと思うのです。これが、私が「言語を学ぶことは辛いものではない」と考える理由の一つです。言語は単なるコミュニケーションの手段に留まらず、その学びのプロセス自体を楽しめるものです。特に、アルクが大切にしてきた「生きた英語」や「使える英語」を学ぶことは、受験英語とは異なり、実践的で楽しい体験に繋がると感じています。

5.感動する学びをデジタルで実現―アルクの未来図

――現在アルクは、英語学習アプリの開発など、語学のデジタル化への取り組みにも注力されていますが、語学の「楽しさ」という観点を踏まえてそれについても教えていただけますか?

天野:アルクがデジタル化に力を入れている理由は、学習体験そのものを進化させたいという想いにあります。アルクのプロダクトは、カセットテープ、CD、インターネットなど、デジタルメディアの進展に常に伴走してきましたが、近年のデジタル技術の進展により、効率的な学習が可能になっただけでなく、感情に訴えかけるような学習が可能になりました。デジタルでの表現が可能になったことで、紙媒体では実現できなかったアイデアを形にすることができ、「学ぶ楽しさ」をより豊かに伝えられるようになりました。これこそ、私たちがデジタル事業に注力する理由の一つです。例えば、アルクの「ファンタスピーク」のようなプロダクトは、英語学習をより楽しく、感情的にも深い体験に変えることを目指しています。

実際、『English Journal』が創刊当初から多くの人に受け入れられた理由のひとつには、カセットテープという新しいメディアがもたらす新しい体験が重要な側面だったと思います。もちろん、カセットテープで英語の音声を何度も繰り返し聞くことができるという利便性という点でも注目されていましたが、実際には、臨場感のある外国人の生の声を簡単に聞くことができるという「体験」にこそ、本質的な価値があったのではないでしょうか。

現代では、留学や海外体験に匹敵する感情や興奮を、日常の学習の場で味わえる時代が訪れているのではないかと思います。テクノロジーの進化は、学習を単なる効率化の手段にとどめず、エンターテインメントの要素を加えることで、楽しさや没入感を一層高めています。英語学習を単なる「ツールの習得」としてではなく、感情を揺さぶる体験として捉え、その学びを通じて世界中の人々が共感し、繋がり合える場を提供し続けることが、これからもアルクが実現していくべき道だと思います。

アルクが掲げる「地球人ネットワーク」というビジョンも、こうした学びの体験を通じて、世界中の人々と繋がることを目指しています。語学を通じ、より多くの人々が国境や言語の壁を越えて交流できる世界を実現することが、私たちのミッションです。

デジタル化とグローバル化が進む中で、アルクは新たな挑戦を続けています。これからも世界中の学習者とともに、より豊かで感動的な学びの体験を提供し続けたいと考えています。

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