翻訳・通訳者の意外な仕事、外国語演劇に欠かせない「字幕オペレーター」の舞台裏

舞台芸術翻訳・通訳の世界

フランス語・イタリア語と日本語の翻訳家・通訳者である平野暁人さんの連載「舞台芸術翻訳・通訳の世界」。ご専門の舞台芸術通訳の仕事や趣味とする短歌など、多角的な視点から翻訳・通訳、言葉、社会についての考察をお届けします。第4回は、翻訳家や通訳者が務めることも多い「字幕オペレーター」の仕事がテーマです。

※今回は記事の最後に大事なお知らせがあるのでぜひお読みください!

翻訳家の意外な仕事

EJOをお読みのみなさん、こんにちは。翻訳家で通訳者の平野暁人と申します。

前回は「訳者は役者」という有名な格言から出発して文芸翻訳と演劇づくりをあれこれ比較したあげく最後は壮大に逆ギレして締めくくってみたわけですが、実は国際演劇に関わっていると、訳者が文字通り役者、とは言わないまでも「影の共演者」として大活躍する仕事があります。

その仕事とは・・・「字幕」です。

でも、字幕が共演者って、具体的にはいったいどういうことなんでしょうか?

演劇の字幕と映画の字幕の違い

「字幕」と聞いて多くの人が最初に思い浮かべるのは、やはり映画に代表される映像作品の字幕だと思います。でも、映像の字幕と舞台の字幕って、実はびっくりするほど違ったりします。

そもそも「どう出すか」からしてぜんぜん違う。映像字幕が二次元の画面の中にフラットに埋め込まれているのに対して三次元メディアである舞台芸術では、なんらかの方法を用いて字幕を舞台上に、直(じか)に表示しなければなりません。

また、ひと口に字幕と言っても、昔懐かしい電光掲示板を使う場合もあれば、大型プラズマテレビに表示したり、舞台上にスクリーンを吊(つ)ってプロジェクターで投影したり、あえてスクリーンを吊らず舞台壁面に直に映し出したり、さらには「プロジェクション・マッピング」と呼ばれる技術で人体を含む舞台上のあらゆる立体物に映し出したり、と最近はさまざまな方法がありますから、劇場の広さや構造、舞台美術、照明をはじめとする演出的な意匠に鑑みて最適な手段を選択する必要があります。

他方、「どう出すか」と併せて重要になるのが「どこに出すか」です。字幕ですから当然、お客さんからいちばん見やすい位置を選んで設置する必要があるわけですが、これが意外に難しい。

考えてもみてください。劇場という場所の性質上、「お客さんからいちばん見やすい位置=お客さんの視線が常に向けられている位置=俳優が演技をしている位置」なのです。かといってそんなところに字幕をどーん!と出してしまえば、俳優にとっては演技の妨げになるうえに、観客にとっても興ざめもいいところ。

また、舞台美術の趣を損なうという意味でも、字幕が目立つのを嫌がる演出家はとても多いです。本来なら異世界であるはずの舞台空間に字幕という「メタ」な存在を混入するわけですから無理もないでしょう。

かといって、一切邪魔にならないところをみつけるのも、これまた簡単な話ではありません。演技空間や舞台美術を避けた目立ちにくい場所には、すでに照明やスピーカーがたくさん吊られていたりしますから、みんなで協力し合ってスペースを捻出することになります*1

しかも、です。そうして幾多の困難を乗り越えなんとか設置した字幕でも、上演後のアンケートには必ず「字幕が見づらかった」という声が寄せられます。ほぼ確実に書きやが・・・お書きになるお客さまがいらっしゃるのです。もうずいぶんいろいろな字幕をやっていますが、「見づらかった」と言われるのは今でもいちばん、もとい、2番目くらいにつらい言葉といえます。

君は生字幕を知っているか

さて、二次元の字幕と三次元の字幕の違いについて具体的にイメージしていただけたところでもうひとつ、舞台と映画の最も大きく異なる点を申し上げるなら、やはり前者が「生」だというところでしょう。

なにしろ舞台芸術はフランス語ではSpectacle vivant(直訳:生きた公演、生身の上演)と表現するくらいで、事前に稽古こそすれ、ひとたび幕が上がれば舞台上と客席が同じ時間と空間をアクシデントも含めて共有し、ともに駆け抜けるのが醍醐味というもの。ですから当然、字幕も生で操作しています。

具体的には、事前に翻訳してデータ化し、パワーポイントなり字幕ソフトなりにインプットしておいた字幕をPCで操作するのが一般的です*2。操作と言っても、たいていは俳優が台詞(せりふ)を言うのに合わせて「Enter」を押すだけなので、作品の中で話されている言語ができる人(例えば日本語の芝居なら日本語、仏語の芝居なら仏語、両方出てくる芝居なら両方ができる人)であれば誰にでも務まりそうなものですが、いざやってみるとなかなかどうして難しい。

まず、お芝居の流れに沿ってテンポよくEnterを押すには、その作品の全体像から細部までを熟知しておく必要があります。しゃべり出す前やしゃべっている途中でどこにどのくらいの間をとるかも俳優によって違いますし、それどころかその日によって違う人までいたりするので、常にベストのタイミングで字幕を出すのは至難の業。俳優がまだしゃべり出していないのにうっかり字幕だけ先へ行ってしまうと、静謐(せいひつ)の支配する空間で字幕だけが異様に雄弁な存在感を放ち続ける羽目になり、気分はすっかり晒(さら)し者です。こういうとき、ブース*3で字幕オペ*4をしている人は薄暗がりでひそかに頭を抱えたり、自分にしか聞こえない奇声を発したりしながら変な汗を大量にかいていると思って間違いないでしょう。

といって、このリモート晒し者状態に耐えかねていったん出した字幕を戻してしまうのはいちばんの悪手です。字幕付き演劇に明るい方ならご存じだと思いますが、一度出たものがペロッと戻って、少ししてからまたしれっと出てくる様子はいかにも悪あがきという感じで、客席からはなんとも間が抜けて見えるもの。どんなにつらくても心を無にしてやり過ごすしかないのです。って誰に言ってるんだ。すみません主に自分に言ってます。

他方、字幕は正確でも俳優の方がバグってしまうというケースもあります。いくら日頃から鍛錬を積んでいる俳優とはいえやはり生身の人間ですから、時には思い掛けないところで台詞が飛んでしまったり、段取りを間違えてしまったりもするのです。私の見ている限り、こういう失敗はとりわけ一人芝居に顕著な傾向があるような気がするのですが、たったひとりで高度に修辞的かつ長大な台詞を詠ずるような作品も多いですから無理もありません。

ただ、一人芝居でこういう事件が起きても実は(字幕的には)さほど困りません。舞台上に一人しかいないということは、どんなに派手に間違えてもそのせいで共演者が巻き込まれる心配もないわけです。「一人で勝手にやっていいならとりあえずなんとかなる」。私の知っている、一人芝居の経験がある俳優さんたちは口をそろえてそう言います。とはいえ、段落をひとつ丸々飛ばしたり、そうかと思えばかなり先まで行ってから突然思い出して戻ったりと、シルク・ド・ソレイユ(頑張れ!)ばりのアクロバティックな展開を見せつけられて肝を冷やしたこともありますが・・・。

それよりなにより大変なのは、舞台上で複数の人がテンポよく複雑なやりとりを交わしているような場面です。一人芝居と違い、誰かがひとつでも台詞を飛ばすとそこから全部ずれてしまったり、次の人が自分の台詞を言えなくなってお芝居が止まってしまったりといった玉突き事故が勃発する危険と背中合わせなので、字幕を操作する人間も一瞬たりとも気が抜けません。全身全霊をかけて俳優の身体、まなざし、声、息遣いにまで神経を集中させます。

そのうえで、もしも誰かが心ならずもミスをして一時的に字幕がずれてしまっても、字幕を進めるスピードを不自然でない範囲内で速めたり、遅めたり、それでも対応しきれない場合にはいったん非表示にして調整したりと、観客の混乱を最低限に抑えるべくありとあらゆることを試みつつ、時には数時間にもわたって、傍らに置いたタオルで絶えず手汗を拭いながら字幕を出し続ける。そうして開演から終演まで「出ずっぱり」で全キャストの伴走を務める・・・。

そう、これこそ私が冒頭で字幕を「影の共演者」と形容した所以(ゆえん)です。

そして、少し前のところでも述べましたが、これほど繊細な任務をトラブルに動じることなく確実にこなすには作品の全体像から細部まで熟知している必要があります。加えて、例えば全編仏語作品を字幕付きで上演するならやはり仏語に堪能な人の方が安心なので、台本を翻訳した人や稽古の通訳をした人(あるいは私のように両方やる人)が字幕オペレーターとして「共演」する場合が少なくないのでありました。

マルセイユ事件

というわけで、台本の翻訳から稽古の通訳に加えて字幕データ制作者およびオペレーターとしても国内外の劇場で徴用、もとい重用されているわたくしですが、どれだけ経験を積んでも想定外の事件は起きるもの。最後にその中でも特に印象に残っている「マルセイユ事件」についてお話しして、本稿の締めくくりといたしましょう。

忘れもしない2011年1月、マルセイユにあるFriche la Belle de Mai(フリッシュ・ラ・ベル・ドゥ・メ)という、たばこ工場の跡地を改修した文化複合施設で公演を行ったときのことです。演目はポール・クローデル*5作『交換』という3幕仕立ての作品で、演出家(※フランス人)、出演俳優4人(※日本人)だけの比較的小規模、かつすでに日仏双方で公演歴のある「再演もの」。私は台本の翻訳と稽古場の通訳と劇場での通訳と字幕の作成と操作と日々の賄い作りその他担当として参加していました。もはや何屋なのかわからないと思いますが気にしないでください。私もわかっていないので大丈夫です(なにが?)。

問題の事件が起きたのは、確か全6日間公演の5日目くらいだったと思います。

1幕、2幕を無事に終え、物語はいよいよクライマックスへ。登場人物の一人が家に火を放つシーンで、舞台上方に吊るされた小さな家の模型に実際に火を付ける(!)という演出だったのですが、めらめらと燃え上がる炎のうつくしさに嘆息していたのも束(つか)の間、突然凄(すさ)まじいアラームが劇場中に鳴り響きました。そうです、燃えさかる炎に反応して、火災感知器が作動してしまったのです。なんで?昨日まで平気だったのに!Goddamn!!!(あっ英語!EJOっぽい!)

さらにアラームに乗せて「火事です、避難してください!火事です!避難してください!」と繰り返すアナウンスの音(※もちろんフランス語)。さらにさらにブッシャーーー!という音とともに吹き出すスプリンクラー。せっかくの炎をかき消さんばかりの勢いで放水が始まります。いや、かき消していいんだけどね。そのための装置だからね。

ともあれもはや演劇どころの騒ぎではないのは明らか。慌てて演出家(※フランス人)の判断を・・・仰ごうとした私の目の前を、怒り狂った当の演出家が“Putain!!!!!!!!”*6と叫びながらそのまま劇場の外へ飛び出して行ってしまったではありませんか。

・・・えっっっ?

おまえ行っちゃうの??

まじで???

うん。あの。なんていうか・・・

演劇どうすんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

前回も書いたとおり、演出家の最大の役割の一つは「決める」こと。もちろん緊急時の対応は演出家だけではなく劇場側と合議で決定しますが(ちなみにそういうときの演出家の発言権の強さは国によっても違ったりします)、それにしてもいなくなるってなんなの? フランスの演出家ってバカなの?? それともすごくバカなの???

まあいいや。とにかくこんな、警報がバンバン鳴ってアナウンスが流れ続けておまけに強制シャワーまで降り注ぐ(※1月です)アナーキー過ぎる状況ではたとえ続けようったってお客さんの方が残ってくれるはずが・・・

って、みんな座ったままだし!

おまえら帰んねえのかよ!!

むしろダッシュで帰れよ!!!!

見ると、どの人も慌ててフードをかぶったりマフラーを頭に載せたりしながらも舞台に集中しています。どうやらお客さんたちはこの状況を、カオスな場面を引き立てる「攻めた」演出だと思っている模様。「ふふん、けっこうやるじゃないか。でも言っとくけどこの程度の前衛的な演出じゃフランスの観客はひるまないぜ?」みたいな?

まあねー、確かに今どき水ぐらい4Dの映画館でも出てくるもんねー。わかるわかるー。

ってそんなわけあるか!!!!!!!!!!!!

これはどうみても 「前衛」でも「演出」でもなくて「災害」だろうが!!!!!!!!!!!!!

なんなの?フランスって観客もバカなの??あるいはすごくバカなの???

演出家(※バカ)は出て行った。観客は待っている。こうなったら、もう俳優が判断するしかありません。もとより、ひとたび幕が上がれば舞台は俳優のもの。そのとき舞台上にいたのは青年団の川隅奈保子さんと島田曜蔵さんでしたが、「あのとき、振り向いた川隅姐さんの目が(やるよ!やるんだよ!!)と言っていた。ついていくしかなかった(曜蔵・談)」。

そして私はといえば、その様子を舞台後方から必死にみつめていました。(2人とも引っ込まないけどどうするんだろう・・・あっ動き始めた!あの動線は・・・続きをやるんだ!よし、次の字幕を出すぞ!)

ところが、です。俳優(と観客)を信じて字幕を出すと決めたはいいものの、警報とアナウンスとスプリンクラーの轟音(ごうおん)で台詞がまったく聞こえないのです。いくら「台詞を聞きながらEnterを押すだけのお仕事」でも、肝腎(かんじん)の台詞自体が聞こえないのではまったく話が違います。それでなくても『交換』は、修辞的な長台詞を楽しむ詩劇なのに。間違ってもこんな轟音に包まれた中でやれるお芝居なんかじゃないのに・・・。

と、そこまで考えて私はハッとしました。

確かに、轟音に耳をつぶされながら『交換』を上演するなんて、普通なら無理に決まっています。そう、普通なら。でも、これは字幕劇です。普通なら絶対に続行不可能な状況を、この作品なら、いえ、この作品だけは乗り越えられるのです。ほかでもない、字幕の力によって。

そこからの私の字幕オペレーションは、まさに神懸かり的と言っても過言ではないこともないので撤回しますがほとんど達人の域でした。再演ものであったことに加え、戯曲の翻訳から台本への再構成、数カ月にわたる稽古と日仏での公演まですべてを手掛けてきた自分の経験値を信じて、俳優の表情やわずかな仕草ひとつでだいたいどの辺りの台詞を言っているのか見極め、腹を括(くく)ってバンバン字幕を出してゆきます。

そのうち、カオスな轟音に混じって入り口扉をドンドンたたいている音が聞こえてきました。誰だよこんなときに!いよいよクライマックスなんですけど!まあ警報が鳴り狂ってるんだから誰も来ない方がおかしいか。今それどころじゃないからどうでもいいや。と放置してひたすら字幕を出し続けます。

かくして我々は、1月のマルセイユの屋内で雨に打たれながら、おそらく史上最もロックンロールなポール・クローデルの上演を完遂したのでした。

そして「続ける」と判断した俳優たちの正しさは、終演時の熱狂的な拍手とカーテンコールによって余すところなく証明されることになります。それだけではありません。終演後には冷めやらぬ興奮を抑えきれないお客さんたちが、通訳である私の元へやって来て、異口同音にこう褒めたたえました。

「ほんとうに素晴らしかった!」

うんうん。

「俳優の表情や身体性に目を奪われて、すっかり引き付けられて」

うんうん。

「夢中で作品世界に入り込んでいたから、途中から字幕を見るのも忘れて!」

うんうん・・・うん?

「そうそう、俳優を見ていれば字幕なんて見なくてもじゅうぶん楽しめた!」

いや、あの、ええと、

「やっぱり高度に普遍的な表現は字幕なんて読まなくても伝わりますね!」

やっぱりすごくバカなの!!!!!?????

というわけで、字幕オペレーターにとって「いちばん」つらい言葉の発表も済んだところで、今日はこれまで。

よい子のみんなは感想(を伝える相手)に気をつけようね!

追伸:

ちなみに、クライマックスの辺りで入り口扉の方から聞こえてきた「ドンドンたたくような音」の犯人は、なんと演出家でした。怒りにまかせて責任者を呼びに劇場を飛び出したはいいけれど相手がみつからず、しぶしぶ戻ってきたらオートロックで閉め出されちゃったんだって。とほほ。

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平野暁人

文:平野暁人(ひらの あきひと)
翻訳家(日仏伊)。戯曲から精神分析、ノンフィクションまで幅広く手掛けるほか、舞台芸術専門の通訳者としても国内外の劇場に拠点を持ち活躍・・・していたのに、目下ウイルス失業中。主な訳書に『隣人ヒトラー』(岩波書店)、『「ひとりではいられない」症候群』(講談社)など。
Twitter:@aki_traducteur

編集:ENGLISH JOURNAL ONLINE編集部

*1:偉そうに知ったかぶりして書いていますが、字幕の設置や設定作業をしてくれるのは無論、技術スタッフの方々です。わたくしはただただ横で(大変だなー)と思いながら眺めています。

*2:もしかすると資金力のある公演(Perfumeのライヴとかディズニーのパレードとか2.5次元ミュージカルとか?)はもっと洗練されたやり方で、しかも大部分を自動でやっていたりするのかもしれませんが・・・はっきり言ってお金のある人たちのことはよく知りません(きっぱり)。

*3:遠隔で機械を操作するスタッフがいる場所。小劇場の場合はたいてい客席のいちばん後方にあります。照明、音響、字幕その他がすべて相席しているので、人知れず静かな陣地争いが勃発していることも。なお、中規模以上の劇場にはガラス張りの専用個室があるところも多いです。

*4:「オペレーション(操作)」の略。舞台の現場では、本番中に機材を操作する係の人のことも「オペレーター」と片仮名で呼ぶことが多いです。

*5:19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したフランスの詩人、劇作家。外交官として駐日大使を務め、渋沢栄一とともに日仏会館を設立するなど日本にも縁の深い人物。在任中に関東大震災を経験して貴重な手記も残しています。有名な彫刻家のカミーユ・クローデルはこの人のお姉さんです。代表作『繻子(しゅす)の靴』『マリアへのお告げ』『火刑台上のジャンヌ・ダルク』など。

*6:ダメな言葉。すごくダメな言葉。すごくダメなので訳しません。よい子は使わないでね。