「渋沢栄一」、もう手に入れた? 20年ぶりの新札発行:英語で渋沢栄一を紹介してみよう

2024年7月、20年ぶりに新しい紙幣が発行されました。皆さんももう全て手にされたでしょうか?この記事では、月刊誌『ENGLISH JOURNAL』で過去に掲載した記事の一部を特別に公開。早稲田大学名誉教授で、日米の歴史が専門のジェームス・M・バーダマンさんに「渋沢栄一」について教えていただきます。

Lecture:英語で読み解く日本の近代史 第1回

皆さんが日々使っている「一万円札」「五千円札」「千円札」の紙幣デザインが、2024年に刷新されました。今回は「一万円札」の新たな顔となった、 実業家で「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一 について、バーダマンさんが紹介してくれます。

渋沢栄一は、吉沢亮さんが2021年大河ドラマ『青天を()』で主演したことでも注目を集めていましたね。

1.渋沢栄一が生まれ育った藍農家

Shibusawa’s family were farmers who engaged in the production of indigo — an important dye in Japan — and also in the commercial handling of indigo. Benefiting from a somewhat advantageous family industry, Shibusawa was able to obtain more schooling than the average child of his era.

渋沢の生家は、日本の重要な染料――藍の栽培農家で、その売買も行っていました。多少もうかる家業の恩恵を受けて、渋沢は、当時の平均的な子どもより長く学校教育を受けられました。

渋沢栄一は、東京(江戸)の北に位置する村の農家で育ちました。彼はその家業を手伝いながら、作物の栽培、原料からの製品製造だけでなく、製品を市場で売買する際の駆け引きの実地経験まで積んでいたそうです。

年上のいとこの影響で儒教の古典に関心を持ち、生涯にわたって「論語」を読むことになった 渋沢にとって、論語は人と接する際、またビジネスを率いる際の倫理指針 となりました。

2.渋沢、家を出る

As a result of an unpleasant encounter with a local government official, Shibusawa discovered that ordinary people without some kind of rank could not stand up and defend themselves against the arbitrary demands of bureaucrats in the weakening shogunate. The class system that ruled his father’s world became too much for Shibusawa to endure, and in 1863, at the age of 23, he told his father that he wished to abandon his responsibility to succeed his father as head of the family.

地元の役人から不快な応対を受けた渋沢は、「何らかの階級を持たない平民は、弱体化が進む幕府の役人の横暴な求めに対して、立ち上がることも自らの身を守ることもできないのだ」と悟りました。渋沢は、自分の父親世代を支配してきた身分制度にこれ以上耐えられなくなり、1863年、23歳のときに、親の後を継いで家長となる責任を放棄したいと父親に申し出ました。

昔ながらの身分制度に疑問を感じた渋沢は、家を出て国の政治改革に取り組みたいと父親に相談したところ、激しい反対を受けました。それでも渋沢は諦めずに最後は父親が根負けして、幕府体制の変革に携わるべく渋沢は家を出たのです。

3.徳川家の幕臣として活躍

As Yoshinobu’s retainer, Shibusawa demonstrated an ability to apply practical business knowledge to improving the administrative and financial affairs of the domains controlled by the Tokugawa family. When Yoshinobu succeeded to the position of shogun, Shibusawa contemplated resigning. But when he was assigned to accompany a government entourage to the International Exposition in Paris in 1867, he could hardly refuse.

慶喜の家臣として渋沢は力を発揮し、徳川家が支配する領地の行政と財務の改善に、実務的なビジネスの知識を応用しました。慶喜が将軍の座に就くと、渋沢は退任を考えました。しかし、1867年のパリ万国博覧会に際して遣欧使節団に随行することを任ぜられると、彼は拒むことができませんでした。

渋沢は、京都にいる一橋家の家臣、平岡円四郎のもとを訪れました。その平岡の推挙によって、江戸幕府最後となる第15代将軍徳川慶喜の幕臣となった渋沢は、弱体化しつつある幕府改革に精力的に取り組み、持ち前のビジネス知識を活用して大きく貢献したのです。

4.ヨーロッパで学んだ新しい発見

Upon arriving in Europe in 1867, he took great interest in various aspects of daily life: from eating habits to telegraphs and street lamps, military parades and theater. His practical turn of mind was fascinated by dockyards, factories, mills, iron foundries, banks and even social events.

1867年、ヨーロッパに到着した彼は、食習慣から電信、街灯、軍事パレードに劇場まで、日常生活のさまざまな側面に強い興味を抱きました。実学主義だった彼は、造船所、工場、製造所、鋳鉄(ちゅうてつ)工場、銀行、社交行事にも魅了されました。

1867年のパリ万国博覧会に際して遣欧使節団に随行した渋沢は、1年半にわたってヨーロッパで生活します。以前は日本から外国人を排斥したいという尊王攘夷運動にも加わっていた渋沢でしたが、日本人は外国から学ぶことが多くあることに気付いたのです。

5.「businessman=実業家」として貢献

He helped organize several hundred industrial and commercial enterprises, from the manufacture of paper and cement to the operation of railways and insurance companies. He coined the new term jitsugyoka, a Japanese term for businessman.

彼は、製紙やセメント製造から鉄道事業や保険会社の運営まで、数百の産業、商業関連企業の組織づくりに貢献しました。日本語でビジネスマンを指す「実業家」という新しい言葉も生み出しました。

1868年に幕府が倒れ、渋沢は帰国を余儀なくされてしまいます。それから彼はビジネスの世界に参入すると、第一国立銀行の設立や銀行業務システムの構築、日本初の商工会議所の組織などに大きく寄与するだけでなく、慈善家として救貧施設の設立や女性の教育などに尽力しました。

日本の近代史にまつわる語句を要チェック!

「渋沢栄一」の人生をひもとく英語レクチャーはいかがでしたか?ここに登場する以外にも、日本の近代史にまつわる表現を下にまとめました。知らない語句はチェックしておいて、しっかり復習するようにしましょう!

  • capitalism:資本主義
  • contributor:寄与者、貢献者
  • entrepreneur:起業家、企業家
  • philanthropist:慈善家
  • social welfare:社会福祉
  • polestar:指針、道しるべとなるもの
  • bureaucrat:官僚、役人
  • shogunate:幕府
  • retainer:家臣
  • collapse:崩壊する
  • domain:領土、領地
  • joint-stock:共同資本
  • stock exchange:証券(株式)取引
  • finance ministry:大蔵(財務)省
  • financial reporting:財務報告
  • government-operated:政府運営の、官営の
  • contribute to ~:~に貢献する

皆さんもぜひ、これらの語句を使って日本史について人と話したり、説明したりできるようになりましょう!

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ジェームス・M・バーダマン(James M. Vardaman)
ジェームス・M・バーダマン(James M. Vardaman)

早稲田大学名誉教授。1947 年アメリカ、テネシー州生まれ。プリンストン神学校教育専攻、修士。ハワイ大学大学院アジア研究専攻、修士。専門はアメリカ文化史、特にアメリカ南部の文化、アメリカ黒人の文化。著書に『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(ジャパンブック)、『アメリカ黒人史―奴隷制からBLM まで』(ちくま新書)、『ミシシッピ=アメリカを生んだ大河』(講談社選書メチエ)、『毎日の英単語』(朝日新聞出版)、『3つの基本ルール+αで英語の冠詞はここまで簡単になる』(アルクライブラリー)ほか多数。
VARDAMAN’S STUDY
バーダマンの英語随筆

  • トップ画像の写真:山本高裕、構成・文:須藤瑠美(ENGLISH JOURNAL編集部)
  • 本記事は『ENGLISH JOURNAL』2021年3月号に掲載された記事を再編集したものです。
  • 作成:2020年12月14日、更新:2024年11月5日

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