小学生の頃からモデルやエッセイストとして活躍し、テレビやラジオでも大活躍の華恵さんに、人との出会いで心が温かくなった、ふんわり楽しい、すてきな出来事を感じたままに伝えていただく連載です。6回目は、欧米人の恋愛観と英語を日本語に直訳したときのミスコミュニケーションです。
恋人と友達の境界はどこに?
イギリスに留学している友人が一時帰国したので、お茶をした。
「彼女、できた?」と私が聞くと、彼はぐったりしたように姿勢を崩し、「イギリス人って、本当わけわっかんねーんだよ」と投げやりに答える。
「向こうは、日本とは違うんだよね。浮気するのはもちろんダメだよ。でも、付き合っている人がいないときは、いろんな人と、なんなら日替わりでデートするんだよ。だから、キスとか、そういうのも、固定の人ができるまでは、あちこちとするわけ。お試し期間って感じなのかな」
彼は何度か気になる人をデートに誘い、手も繋げたからいい感じ!と喜んだのに、その女性が数日以内に別の人とキスしていることがあった、とため息をついて言う。
なるほどそれは混乱する・・・。
そういえば、私は自分が母から聞いた話を思い出して言った。
「ちなみに、アメリカでは『付き合ってください!』『こちらこそ!』てわざわざ言わないらしいじゃん。イギリスではどうなの?」
「イギリスも、もちろんそうだよ」
「じゃあどうやって付き合い始めがわかるの?」
「なんとなく距離感でわかるんだと思うんだよ。俺もさすがにまだ付き合えていないってわかるようになったし。いい雰囲気だったと思っても、2回目のデートで、帰ってから『また出掛けようね』って連絡したら、『今度は二人じゃなくみんなで』って言われたりさ」
彼はイギリスでさまざまな恋愛経験を積んだようで、失敗談が次々に出てくる。
「じゃあさ、だれがどう見ても明らかに彼氏や彼女の関係になるって、どういうことで確定するのかな」
「まぁ、あえて口に出すタイミングがあるとすれば、人に紹介するときかな。僕のガールフレンドです、私のボーイフレンドです、みたいに」
「え、じゃあそのときにその場で、『違うよ、そんなつもりじゃなかったよ!?』とか、ありえるのかな?」
「そうだね・・・ないこともないんじゃない?ほら、俺そこまでいってねーから」
彼はまたイライラして言う。まあまあ、と私はなだめる。
私は6歳のときにアメリカから日本に来ているので、プリスクールやキンダーガーデン(日本でいう保育園や幼稚園)までしかアメリカにいなかった。その頃は、好きな人ができたら、「好きー!」とはっきり言ったものだ。
子どもの頃の写真では、幼稚園のみんなで作った工作を見せて笑っている集合写真がある。私は好きだった男の子の隣で、その子が掲げている作品に笑顔でキスをしていた。
もし、あのままアメリカにいたら、私はどのように人と付き合っただろう。日本に来て、日本で育った私には、架空の自分を思い浮かべようにも、やはり経験がなくてよくわからない。イギリス、アメリカ、その他世界中の国で、人と付き合うには、どういう手順]を踏んでいくものなのか。
教科書にも、「地球の歩き方」にも書いていないのが、残念でならない。個人差があるのは、もちろんわかっているのだが・・・。
勉強だけではわからないことは、たくさんある。
「わかる?」って何度も聞かないで!
言葉や人間関係についての話で、もう一つ印象に残っている出来事がある。
何年も前、転職活動中の兄が私の家に数週間住んだことがあった。兄は私と違って、アメリカと日本を行き来していて、ニューヨーク時代が長い。子どもの頃からほとんど一緒に暮らしていなかったので、大人になって二人で過ごす日々は、新鮮だった。
初めの頃は、兄と私が、思った以上に似ているのがおかしかった。育った環境は違うのに、二人とも家に、バナナ、冷凍ポテトフライ、ケチャップの3品をしょっちゅう買って帰る。買い物袋の中身に驚いて、顔を見合わせて笑うことは何度もあった。他にも、疲れてきたとき、胸を突き出して背中を伸ばす癖も、考え事をするときに、手首を回す癖も同じ。血のつながりってこういうことなのかね、と笑ったりした。
夜は、兄妹の時間を取り戻すかのように話し込んだ。家族の話、国の話、音楽の話、そして恋の話など。初めの頃は楽しかったけど、何日も続くと寝不足になってきた。やがて私はなぜか、なんてことない会話でイライラするようにもなっていった。
「お兄ちゃん、アカデミー賞とかグラミー賞って、わりと注目するの?」
「んー、正直西海岸の人たちが盛り上がるものって感じで、ニューヨークとかはあんまり見ないんだよね。だってさ、なんかこう・・・わかる?」
・・・何が?
「お兄ちゃんには悪いんだけど、英語のラップって、どれもわりと似て聞こえちゃうんだよね。たぶん歌詞が聞き取れないだけなんだけど」
「いや、聞いてみ。これは、フロウ(歌いまわし、歌い方)もそうだし、クイーンズの街の感じが出てるの。わかる?この、あ、この部分とか。わかる?」
・・・いや、わからない。それから、こんなこともあった。
「お兄ちゃん、なんで前の彼女と別れたの?ていうか、こういうのってあまり聞かない方がいい?」
「いや、全然いいよ。でも、わかる?なんかあれはもうね・・・わかる?」
わからんよ。
兄が連発する「わかる?」が、私のイライラを刺激していく。
わからないよ。いくら血のつながりがあっても、あなたの言いたいことも、あなたの見てきた街の「感じ」も、わからないよ!
そう言いたいけど。
「うーん、わからない」と私は控えめに答えていた。そしてそう答える度に、少し悲しくもなっていた。わかりたいから話しているんじゃないか。時間を巻き戻して子どもの頃に戻って、一緒に暮らして同じ環境で育つことができたなら、なんでもわかってあげられるかもしれない]。けど、残念ながら今はそんな環境にはない。お兄ちゃん、人に理解を求め過ぎではないか。
あるとき、私は友達とお茶をしながら、その愚痴を吐いた。すると、
「お兄さん、やっぱりアメリカンだね。You know? を言ってるんでしょ?」
え・・・そんなことだったの。友人の言葉に、私は唖然とした。
You know?は直訳したら「わかりますか?」だが、英語で使う場合には、「ね?」や「ほら?」と同じぐらいの、つなぎ言葉と言ってもいいだろう。本当に私が理解しているかを確かめているわけではなかった、ということか。
私は、ただ単に、英語を日本語にそのまましただけの言葉と、いちいち取っ組み合っていたのか。
帰宅して、兄に聞いてみると、兄はキョトンとして、
「そうだよ。ってか、俺の日本語がおかしかった? わかる?って言い過ぎ?」
へなへなと力が抜けた。
「そういえば、なんでハナエはいちいち眉間にしわを寄せて、わからないよって言うんだろうって思ってたよ。いや、なんか悪かったね」
英語を直訳しただけ。一見、別に日本語としておかしくはない。でも、ヘタに深読みすると、行き違ってしまう。必要のない悲しみや怒りの種にもなっていく。
教科書に書いていないこと。書きようもないこと。曖昧で、体験しないと知ることができないことがあまりに多い。それでも、勉強そのものが無意味だとは、決して思わない。
勉強することは、自分の応援団を作ること
去年末、仕事で自信を失い、友達とも喧嘩をして、意気消沈していたときがあった。気持ちを切り替えるためにと、部屋の片付けをし始めた。すると、机の引き出しの中から、大学生の頃に作ったフランス語初級の単語帳が出てきた。懐かしい・・・10年近くたつのに、まだ、あったんだ。
- arbre(木)
- etoile(星)
- Mardi(火曜日)
どんどんめくっていく。全問正解。全部、覚えていた。フランス語は、大学で学んで以降、読むことも使うことも全然ないのに。ちゃんと、残っていたんだ。
一つ一つの単語は、頭を絞って出てきたというより、体のどこかに眠っていた筋肉が、目を覚まして反応したような感じだった。この単語帳を作ったときの、この単語を一つ一つ書いた自分の手の感覚も思い出された。
あのとき、ちゃんと真面目に取り組んでいた私の手が、今の私の手でもある。あのときの努力は、まだこの体に残っている。自分のことをよしよし、としてあげたくなった。
その日、私が自信を失っていたのは、視聴率とか、仕事の数とか、外からの評価を気にしてのこと。
そして励まされたのは、昔勉強して、自分の中にずっと眠っていた、内側の努力と、豊かさ。勉強してちゃんと覚えていることは、誰にも奪われないし、左右されない。それだけで、フラフラしていた足元が、ちゃんと安定した地面に着地できて、私を落ち着かせてくれた。
何も無駄にならないよ、ちゃんと自分の中に残るものはあるんだよ、と自分の体が教えてくれた。好きなこと、気になることは、深く掘っておいた方がいい。勉強も、嫌じゃなかったら、やっておいた方がいい。
その上で、学べないことは、いろんな体験や感情を伴って、身に付いてくる。学べることは、確実に自分を積み上げてくれる。自分が作り上げる心強い応援団になる。
これまで海外に行く機会には恵まれてきたけど、今の所、今年は、海外にいく予定は一つもない。時々、街中で外国人に道を教えてあげたりすること程度が、英語を使う機会でしかない。なんかないかなぁ・・・。
そう思っていたら、父から連絡がきた。
I'm planning to visit Tokyo in May.(5月に東京に行くよ)
とメールに書いてある。
父の、日本滞在・・・。さて。どんな体験やエピソードが待っているだろう。
楽しみだ。
写真:山本高裕
編集:増尾美恵子