小学生のころからモデルやエッセイストとして活躍し、テレビやラジオで大活躍の華恵さんに、人との出会いで心が暖かくなってふんわり楽しい、すてきな出来事を感じたままに伝えていただく連載です。1回目は、華恵さんのルーツをたどる英語のお話です。
私の目を開いたイタリア人学者の言葉
「時間があまりないですが、華恵は英語ができますし、インタビューは、いっそのこと英語でもやれますから」。ディレクターが私のことを、少し誇らしげに言った。通訳者の方がインタビュー相手のイタリア人学者に伝える。私は、何かが引っかかった。カメラの前で英語でやりとりするのか……。
スーツを着た威厳のあるイタリア人学者が、ディレクターと私を見て、ゆっくり英語でこう言った。
“I'm sorry but I prefer the language of Dante.”そして、やわらかく笑った。ディレクターは、少し驚いて“OK! Of course , as you like.”と答える。私はなんだか、胸の中が晴れ晴れとしていった。
国や人によって、大切な言語がある。自国の言葉に誇りを持っているって、すてきだ。このイタリア人学者の言葉は、私の中に強く刻まれた。
英語はできた方が便利だ。でも、できるから胸を張れるものでもなければ、できないから自信を失うものでもない。必要のある人が、できたらいいだけ。そう思う。ただ、私自身は英語ができないと恥ずかしいと思っている。それは、私自身の場合は、だ。私は英語にルーツを持っている。
私はアメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。アメリカで生まれ、英語を使って育ったが、6歳の時に両親が離婚し、母と共に日本にやって来た。日本では少しでも早く日本語を覚えようと、絶対に英語を使わないというルールを自分に課した。分からない言葉があれば、身ぶり手ぶりで伝え、母に日本語で教えてもらう。幼かったこともあり、あっという間に日本語を習得した。
小学校に入学してから、冬休みになると父と兄に会いにニューヨークに行った。最初の年は、ちょっと久々に英語を使ったな、という感じがあった。次の年になると、英語が話しにくくなり、兄と父の前で内気になった。兄が近所の友達と遊ぶとき、私は誘われても「いい。家にいる」と引きこもってしまった。
アメリカに住んでいれば、増えていたはずの語彙が、日本にいて増えるわけもない。考えることや話したいことは、年齢の成長とともに広がるし深まる。それは日本語でなら言えるけど、英語だと言えない。もともと英語でしゃべっていた幼少期があるのに。その言葉に自分のルーツがあるのに。自分の根幹が削られてしまったみたいな、根無し草になったような感じがした。
当時、テレビなどで「見た目は外国人でも、英語は全然話せないっす」と笑うハーフタレントなどを見て、私は笑えなかった。なんだか自分のコンプレックスが世にさらされ、笑われるように思えて、情けなかった。
英語の勉強を始めたら、日本語の小論文も上達した
小学校3年生頃、見かねた母が私に英語の勉強をさせ始めた。基礎英語の教材を買い、ラジオを聞いて、英検を受け始めた。
中学に入って英語の授業が始まると、テストは余裕。リスニングは簡単過ぎて眠いくらい。英語の勉強をやめてしまった。
高校生になって状況はまた変わった。満点が取れないのはおろか、なぜ間違えたの分からないという問題が出てきた。母は、私が文法を全然やっていないことが 原因 だと言う。
さっそく家で母の授業が始まった。「S+V+O」の役割。なんでこんな部分に、主語とか動詞とか、わざわざ名前を付けるの? 当たり前過ぎてくだらない……そう思いつつ、「S+V+O+C」になってくると、あ、ちょっと待って、えっと、これはだめってこと?あ、こうするの?と途端に姿勢を正して聞くことになる。
英語の読解や文法を鍛えると、日本語の小論文も上達した。文の構造、語順や文脈の読解を鍛えると、日本語で明瞭な文章になった。アメリカ生まれだからと言って、英語を勉強しなくていいわけではない。使わない言語は語彙力が下がるし、新しい言葉にも出合えない。
自分のルーツを感じたアメリカの旅
大学生になり、父とアメリカのニューオーリンズを旅する機会が訪れた。英語の勉強をたくさんして、子どものころより話せるようになったとはいえ、3日も経てば、私は英語疲れしていた。レストランで食事をしたり、車で移動したり、音楽フェスへ行ったり、父の友人と会ったりしていて、ただでさえ慣れない環境だ。
父とは、私が6歳のときから離れて暮らしていて、気楽に接せられるわけでもない。それがたまり、時折、父にイライラしてしまった。そして少し無口になると、Huh? と父に何度か言われた。「はぁ?」じゃないでしょ。少しはそっちも日本語を使う努力をしたらどうなのよ。父に、心の中で毒づく。
とうとう、ある日レストランで食事をしていたら、父に“Hanae, you should speak up.”
と言われた。くわーっと頭に血が上るのが分かった。“Speak up.” これは、兄と私が幼いころ、両親の前で隠し事をしていたとき、あるいは不満があって、ぶすっとしていたときに言われた言葉だ。うっすらと懐かしさがあるだけに、余計にムカつく。何を今さら父親面して!と怒りたかった。でも、父親にムカついたときってどういう言葉を言うのか、何も引き出しがない。悔しい。それが余計に頭にくる。あぁ、嫌になる。
それでも、この旅は私にとって大切な時間になった。私はアメリカの家族をよく知らず、叔父や叔母が何人いるのかもよく分かっていなかった。父は、親戚のことを話してくれ、叔母のミッシェルとは、電話をつないでくれた。
昔写真で見た記憶しかない「ミシェル」とやら。何を話そう。正直、他人と電話で話すみたいな変な妙な感じだけど、困ったらすぐ携帯を父に返せばいい。そう思って父に渡された携帯電話に耳を当てる。“Hi, Hanae. How are you?” “Hi Micheal.”するすると英語が出てきた。ミシェルの高い声が、妙に体の奥に届き、響く。これまで使っていた、機械的でどこか違和感の残る英語ではない、しっかりと私の体の中から発せられる英語が出てきた。心なしか、私の声も高くなる。子どもみたいに、甘えた気持ちになる。いたんだ。私の中の、子どもの英語を話す幼い私が。
ミシェルと何を話したのかよく覚えていない。でもとにかく柔らかくて簡単な言葉で、シンプルな気持ちで話せた。彼女の声で、タイムスリップしたかのようだった。景色ははっきりとは思い出せないけど、私、子どものころにこの人に甘えたことがある。居心地が良かったことがある。それを、体のどこかがちゃんと覚えている。やっと自分の英語のルーツを、少し感じられた。
“I prefer the language of Dante.”イタリア人学者の言ったこの言葉は、自分のルーツをしっかり感じる。それでいて、学んだ言葉は、ツールとしてもちろん大切に使ってもいる。
私も、気持ちやシーンによって、心に 従う ままに選べるようになりたい。今は相手に合わせて変えているけど、この言語を話したい、と選ぶ余裕を持ちたい。そしてその言語を使う意味、その言語との気持ち的距離感、全てを 把握 し、納得しているようなこのイタリア人学者に、やっぱり私は憧れる。カメラにも残っていない、撮影現場の裏で聞いた言葉は、いつまでもわたしの中で響いている。
華恵さん出演情報
◆TBS『世界ふしぎ発見!』の ミステリーハンター として出演。
◆「 simple style ~オヒルノオト~ 」JFN<
◆「渋谷のかきもの」 毎週月曜日 14:10~15:00 (毎月最終週はお休み)
周波数:87.6MHz アプリ試聴可能 < 渋谷のラジオ >
◆「華恵の本と私の物語」 第3土曜日掲載 < 毎日小学生新聞 >
文:華恵(はなえ)
エッセイスト/女優/ラジオパーソナリティー。TBS『世界ふしぎ発見!』にミステリーハンターとして出演など、大ブレイク中。アメリカで生まれ、6歳から日本に住む。10歳からファッション誌でモデルとして活動。小学6年生でエッセイ『小学生日記』(プレヴィジョン)を出版、中学生、高校生で多数のエッセイを出版する、多才なアーティスト。
華恵オフィシャルサイト|ORIHIME
華恵 | アーティスト マネジメント | テレビマンユニオン | TV MAN UNION
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