なんちゃって 社内通訳者【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

フリーランス通訳者として長年活動している私ですが、実は社内通訳の経験はまったくありません。社内通訳者の友人はいますし、社内通訳に関する知識もそこそこあるのですが、やはり実際に体験したことがないので、どこかでチャンスがあれば試してみたいとずっと思っていました。といっても、私を頼りにしている顧客もいるので、1 年 契約 などはさすがに無理です。私の都合に合う短期の社内通訳案件はないかなと密かにずっと待ち続けていました。そして今年の春、ついに絶好のチャンスが到来しました。

当時、エネルギー分野でビジネスをしているA 社は約3 カ月のプロジェクトに参加できる通訳者を数人探しており、某エージェント担当者を通してそれを知った私は早速応募してみました。3 カ月という期間も、プロジェクトの時期も、うまくスケジュールにフィットしそうだと感じたからです。報酬面も、会社が通訳者を正社員/ 契約 社員として雇う場合はフリーランスと比べてかなり下がるのが普通なのですが、私の場合は運がいいことにフリーランスのレートで適用されることになりました。つまりフリーの報酬で社内通訳者の仕事をする、ということです。

社内通訳のいい面/悪い面

入ってみて すぐに 気付いたことは、社内通訳者は体力と集中力の維持がとても大変だなということ。一つのプロジェクトの中に複数のタスクが存在していて、各タスクチームが毎日のように会議を行うのですが、通訳者は当たり前のように朝から晩まで複数の会議をハシゴし、通訳者の数が足りないときは1 人で1 時間の同時通訳を行います。でも私の場合はまだ恵まれていた方で、日本で働く社内通訳者の多くは1 人で数時間の同時通訳を強いられるそうです。長く勤めると会社のビジネスそのものに関する理解が深まるので、同時通訳における疲労度は軽減され、通常より長めに対応できます。それでも数時間は難しいです(「私はできる!」と言う人ほど、数時間後の自分の通訳を聞いたことがない)。もう10 年以上前になりますが、某外資系企業の通訳者で、長時間の同時通訳の果てに会議室で吐血して入院し、そのまま会社を辞めた人もいます。あまり無理はするものではないですね。

最近では同時通訳ブースを社内に設置する会社が少しずつ増えてきていますが、私の勤務した会社はまだその波に乗り切れておらず、通訳者は簡易通訳機を手に「生耳」でずっと同通していました。ブース設置には社内にスペースを確保する必要がありますし、コストも決して低くはないので、すべての会社が自前でブースを用意するべきだと 主張する つもりはありません。

しかし、通訳者は生耳同通を1日続けると限界近くまで疲労するのが現実です。通訳者は自分が聞く音を選択できないので、近くに座っているほかの参加者のヒソヒソ話や、隣の会議室の声も拾ってしまい、話者の話に100%集中できません。それでも強引に集中力を上げようと何度も踏ん張っていると、1日の終わりにはヘトヘトになってしまうのです。私はそこそこ体力がある方だと思っているのですが、そんな私でもヒアリング環境が 厳しい 会議が続いたときはとても疲れましたし、帰宅してからもイライラしていたような気がします。

いきなりマイナス面から紹介してしまったのですが、プラス面もたくさんあります。例えば資料の量と質。フリーであれば限られた情報を直前までもらえない案件も多い中、社内通訳者扱いになると、案件に直接関係ない情報にもアクセス可能になります。会社やプロジェクトの組織図も読めるので、誰が何に対して責任を持っていて、どんな権限を持っているのかが明確にわかります。

このような背景情報を理解すると、同時通訳で大事な「先読み」がしやすくなるのでとても助かりました。加えて、私の会社では重要な会議については基本的にすべての資料に対訳が用意されていたので、私が事前準備に使う時間が大幅に短縮されたという利点も大きかったです。急ぎの翻訳が大量に発生したときは外注していたので、たまにとんでもない訳文が紛れ込んでいましたが、そのあたりは通訳者がうまく拾って 修正 をしていました。

肝は人間関係と時間管理

フリーでも感じていたのですが、会社組織の中でいい仕事をするためには、良好な人間関係の維持がとても大切だと 改めて 思いました。通訳技術と同じくらい大事と言っても過言ではないでしょう。入ったばかりの頃は右も左もわからないので、誰に質問してよいのかわからないですし、 そもそも 適切な質問なのかもわからない(バカな質問をして、社員に迷惑を掛けたくない)。けれど付き合いが長くなるにつれて、相手の方から進んで私を助けてくれるようになりましたし、私も隙間時間を使って社員の翻訳を手伝ったりするようになりました。ランチや飲み会などでの交流を通して個人的なつながりができて、チームとしても一体感が生まれたと思います。お互いのことを知り合うと、その人がしゃべることがしゃべる前にわかってしまうことが多々あります。逆に同じ社内でも、普段から付き合いがない社員とはラポールが構築できていないので、一見簡単そうな話でも訳すのにとても苦労したことを覚えています。

私は自分のデスクを与えられて、通訳業務がないときは翻訳をしたり、他者の訳文をチェックしたりしていたのですが、3カ月の業務期間が終わる頃にはつくづく「私は社内通訳者には向いてないなあ」と思いました。

フリーの生活に慣れきっていたのか、通訳以前に、毎日決まった時間に決まった場所に出社するという会社員として当然のことができなくなっていたのです。いや、正確にはできていたのですが、最後のあたりはストレスがとても大きくて、もう朝が嫌になってきていました。フリーだと午後からスタートする案件もあるので、毎日のように満員電車に揺られることもありません。

私は元々飽きっぽい性格なので、自宅で翻訳をしているときは気分次第でYouTube を見たり、寝そべって読書をしたりと好き勝手にやっていたのが、社内では常に誰かに見られているのでそれができなかったのも精神衛生上よくなかったのかもしれません。

本誌の読者の多くは会社員の方々だと思うので、これを読んで「なに言ってんだ関根の野郎、甘ったれやがって!」と感じてしまうのではないでしょうか。まったく反論できません。あなたは正しい。私はもう普通の会社員的なことができない、ぐうたらな男になってしまった。それが悲しい現実です!

関根マイクさんの本 

同時通訳者のここだけの話
文:関根マイク( せきねまいく)

フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」( https://blogger.mikesekine.com/

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2018年12月号に掲載された記事を再編集したもので す。

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