セミコロンの恨み/ハーマン・メルヴィル【英米小説翻訳講座】

【英米小説翻訳講座】

翻訳家の柴田元幸さんが、毎回一人、英米現代・古典の重要作家を選び、その小説の翻訳術を紹介します。まずは作家の特徴がよくわかる文章と、柴田翻訳の妙技をご堪能ください。

紹介する作家:ハーマン・メルヴィル

Herman Melville

1819 年アメリカ、ニューヨーク生まれ。1840 年に捕鯨船の乗組員となるも途中で脱走し、南太平洋の島々を4 年間放浪した。このときの体験を基に数々の小説を残す。代表作は『白鯨』『ビリー・バッド』。1891 年没。

『The Try-Works』

As they narrated to each other their unholy adventures, their tales of terror told in words of mirth; as their uncivilized laughter forked upwards out of them, like the flames from the furnace; as to and fro, in their front, the harpooneers wildly gesticulated with their huge pronged forks and dippers; as the wind howled on, and the sea leaped, and the ship groaned and dived, and yet steadfastly shot her red hell further and further into the blackness of the sea and the night, and scornfully champed the white bone in her mouth, and viciously spat round her on all sides; then the rushing Pequod, freighted with savages, and laden with fire, and burning a corpse, and plunging into that blackness of darkness, seemed the material counterpart of her monomaniac commander’s soul.
(Moby-Dick, 1851, Ch. 96, “The Try-Works”)

おのおのの邪悪な冒険を語りあい、恐怖の物語を歓喜の言葉で談じ、そして、溶鉱炉から炎が出てくるごとくに彼らの中から野蛮な笑い声が出てきて二股に分かれて立ちのぼり、そして、彼らの前をあちこち、もり使いたちが矢印型に尖った巨大なフォークとひしゃくとで狂おしく身振り手振りし、そして、風が吹き荒れ、海が跳ね、船は呻いて急降下するものの己の赤い地獄を海と夜の闇のなかへさらに着々進めていき、へさきでくわえた白い骨のごとき波を見下すようにムシャムシャ嚙んで、四方に毒々しく吐き出すまさにそのとき、野蛮人たちを載せ、火を積み、死体を燃やし、黒き闇へと突進してゆくピークォド号は、その偏執狂の司令官の魂の、物質次元での対応物に思えるのだった。
(『白鯨』96 章「鯨油精製炉」)

もし万一自分がメルヴィルの代表作『白鯨』(1851)を訳すようなことになったら、明治の翻訳者たちが、爆発的に流入してきた西洋語にあれだけ見事に対応し、次々おおむね適切な訳語を作ってくれたにもかかわらず、セミコロンについては何ら成果を挙げなかったことを恨めしく思うにちがいない。

イメージが次のイメージにつながり、連想が連想を呼び、言葉が次々情熱的にほとばしり出るメルヴィルの文章には、コンマとピリオドだけでは十分でない。『白鯨』ではしばしば、ひとつのセンテンスのなかでいくつもの節(clause =主語+述語)が並列される。左の引用で、as で始まる節が並んでいるのはその典型である。で、それらの節が並列であることは、As...; as ...; as ...; as ...; then ...とセミコロンで区切ることによって明快に示されているのである。

これが日本語では再現できない!このページでは横書きであることを悪用して訳でもセミコロンを使うことも考えたが、やはり縦書きでは使えない手に頼っても意味はない。それで、ややあからさますぎるかとも思ったが「そして」の反復で並列関係を目立たせてみた。(ちなみに、明治の人がセミコロンに関して何の策も講じなかったわけではない。たとえば二葉亭四迷は、ツルゲーネフを訳すにあたって、普通のテンとあわせて「白抜きテン」を採用してセミコロンのように使っている。ただしこれは見た目に普通のテンと区別しにくく、言われないと気づかない人も多い。結局これは定着しなかった。)

メルヴィルの文章は、もちろん気楽に「サクサク」読める内容ではないが、たとえばこの箇所を例にとっても、as からセミコロンまでを一気に読める英語的肺活量さえあれば、長いセンテンスでもいちおう全体の構造が見通せて、話の方向性はそれなりにとらえられるのではないか。ほかでもAs ._._._so ~といった文型や、whilewhereas といった接続詞に目をつければ、一気に見通しがよくなることもある(ということが、僕も最近ようやくわかってきたにすぎないが……)。

次の一節などは、while で始まる従属節と、but で始まる主節(all heart-woes のあとに動詞have が隠れている)という、文法的にはやや異例の文型だと思うが、日本語にすれば「A である一方、しかし……」という感じで、まあ流れとしてはわかる。あと、訳す上ではunsignifying/significance、pettiness/grandeurといった対比が際立つようにすることも肝要。

『Ahab’s Leg』

For, thought Ahab, while even the highest earthly felicities ever have a certain unsignifying pettiness lurking in them, but, at bottom, all heart-woes, a mystic significance, and, in some men, an archangelic grandeur; so do their diligent tracingsout not belie the obvious deduction.
(Moby-Dick, Ch. 106, “Ahab’s Leg”)

というのも―とエイハブは考えた―幸福というものは、この世の至高の幸福ですら、つねにどこか、無意味な狭量さが隠れている一方、しかし心の痛みはその根底に、何かしら神秘的な意味を、そして一部の人間においては大天使のごとき壮麗さを有しているのであり、それらを丹念にたどっていけば、とっさの直感の正しさが明かされるのである。
(『白鯨』106 章「エイハブの脚」)

とはいえ『白鯨』は、メルヴィルのもっとも難解な作品ではない。『白鯨』があまりに売れなかったので、売れ線の家庭小説をめざして書きはじめたものの人間関係がどんどん複雑怪奇になり話も猟奇的になってしまいやっぱり売れなかったPierre (1852) などは時としてもっと難解である。大学院生のころ、『ピエール』の異様にまわりくどい一節について、名批評家レスリー・フィードラーが“It seems almost more an evasion than an explanation”(これはほとんど説明というより言い逃れに思える)と書いているのを見たときはずいぶん救われた思いがしたものである。

もうひとつ、メルヴィルには、それほど難解でも長くもなく、しかし何度読んでも謎は尽きない傑作中篇があることを確認しておこう。“Bartleby” と題した、法律事務所でひたすら書類を書き写すのが仕事の男が、仕事はおろか食べることもやめてしまう話。なぜそんなことを?

何度読んでも答えはわからないし、わからないことをなぜか読み手はやましく思ってしまう―そこが何とも不思議なのだ。

柴田元幸さんの本

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

ぼくは翻訳についてこう考えています -柴田元幸の意見100-

  • 作者:柴田 元幸
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2020/01/29
  • メディア: 単行本
 
【音声DL有】新装版 柴田元幸ハイブ・リット

【音声DL有】新装版 柴田元幸ハイブ・リット

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: アルク
  • 発売日: 2019/12/17
  • メディア: 単行本
 

文:柴田元幸

1954(昭和29)年、東京生まれ。米文学者、東京大学名誉教授、翻訳家。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、レベッカ・ブラウン、ブライアン・エヴンソンなどアメリカ現代作家を精力的に翻訳。2005 年にはアメリカ文学の論文集『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞を、2010年には翻訳『メイスン&ディクスン(上)(下)』(トマス・ピンチョン著、新潮社)で日本翻訳文化賞を、また2017年には早稲田大学坪内逍遙大賞を受賞。文芸誌「MONKEY」(スイッチ・パブリッシング)の責任編集も務める。

※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2017年12月号に掲載された記事を再編集したものです。

出典:Herman Melville, Moby-Dick; or, The Whale (Penguin Classics, etc.)――, Billy Budd, Bartleby, and Other Stories (Penguin Classics) Leslie A. Fiedler, Love and Death in the American Novel, Second Edition (Dalkey Archive)