通訳オーディションに落ちた理由。公開反省会、やります【通訳の現場から】

イラスト:Alessandro Bioletti

プロ通訳者の関根マイクさんが現場で出くわした、さまざまな「事件」を基に、通訳という仕事や通訳者の頭の中について語ります。もちろん、英語学習に役立つ通訳の技もご紹介。通訳ブースの中のあれやらこれやら、てんやわんや、ここまで言っちゃいます!

公開反省会

2019 年1月。年明け早々、ある海外エージェントからメールが届きました。「日本で撮影するNetflixの番組が通訳者を探している。オーディションがあるけど、興味ある?」そりゃ、ありますよ! どんな番組かはエージェントも知らされていなかったのですが、天下のNetflix様なら面白そうじゃないですか。いつもは注意深く案件を選ぶ私も、こればかりは二つ返事でOKしてしまいました。

オーディション当日、期待半分、不安半分で都内の某制作スタジオに行った私は、そこで初めて番組名を聞かされました。『クィア・アイ』という、ゲイの5人組「ファブ5(以降F5)」がダサい一般人を大変身させる人気番組です(超ざっくりした説明)。日本人には人間版『大改造!!劇的ビフォーアフター』と言ったらわかりやすいかもしれません。オリジナル版は2007年に放送終了したのですが、2018 年に新メンバーでリブート版が制作され、特にアメリカでは一大旋風を巻き起こした注目の一作です。といっても、ファッションやカルチャーに疎い私は後で調べてこれを書いているのであって、オーディション当日は「クィア・アイ? なにそれおいしいの?」と思うほどに知識がなく、結果は不合格。もう少し予習できたら感情を込めた訳ができたのにな……と思いつつ、今回は敗因を探るべく公開反省会を誌上開催します!

通訳で個性を伝える難しさ

オーディションでは、番組 に関して 知識ゼロの私に対して簡単な説明があった後、F5に扮ふんしたスタッフさんたちがアドリブであるシーンを演じてくれます。通訳者の私は指定されたカメラの位置を意識しながら速めのテンポで逐次通訳しました。本来であればF5の個性や喋り方のクセを 事前に 調べた上で、その雰囲気が出るような訳にできれば最高でした。

一人一人説明しますが、ファッション担当のタンであれば、クロックスを一目見て「これは人生を諦めた人間が履くものよ」と厳しめの発言をすることもあるのですが(さすがに外では履かないけれど、今でもベランダ用に愛用している私はドキッとした)、相手の好みや特徴に合わせた色合いやスタイルを選ぶところはさすがです。タンについて調べたときに、シャツの前だけをズボンに入れる「フレンチ・タック」なるものを初めて知ったのですが、後日スマートカジュアル指定の現場で試してみたら、パートナー「それはただのダサいおっさんだよ!」と笑われてしまいました。

どうやら前を入れるだけではなく、シャツの適度なふわふわ感が大事で、センスがないと難しいのだとか。タンはどこか品格を感じさせる話し方をするので、そこをきちんと反映したかったですね。 ちなみに タンの新著『僕は僕のままで』(集英社)は私の友人である安達眞弓さんが邦訳を担当しており、絶賛発売中です!

ジョナサンは美容担当でF5のムードメーカー。身ぶり手ぶりのコミュニケーションが多く(これも 事前に 知っていたら適度に取り入れていたかも)、 gorgeous などシンプルだけど要所で必ず言う言葉もあります。実は私は美容にまったくと言っていいほど興味がないので、数年前に現場で「乳液」とか「化粧水」という単語が出てきたとき、ウッと詰まってしまった覚えがあります。過去のエピソードでprocessing solution という単語も出てくるのですが、それが「髪のカラー剤」だなんて絶対にわかりません。ただジョナサンは小刻みなリズムで歌うような話し方をするので、そのリズム感をうまく訳に反映できていればスタッフさんに「おっ?」と思われた かもしれない ですね。

通訳で増える多分野の知識

ボビーはインテリア担当。家具の大半をIKEAでテキトーにそろえた私は絶対に怒られそう。役割の性質上、あまりオンエアの時間がないボビーなのですが、家具やインテリアは私が苦手としている分野の一つなので、通訳をするとしたらむしろそれが助かるかも(笑)。番組では大変身する対象者を「ヒーロー」と呼ぶのですが、ボビーはヒーローの自宅の大胆な改築を担当することが多いので、一定の目星を付けて家具を事前発注しなければなりません。そうしないと期間内に改築が終わらないのだとか。もし私がオーディションに受かっていたら、 とりあえず 国内の家具屋さんでカタログをもらって、ネットで海外の家具屋さんのサイトを見て勉強したことでしょう。つい最近までローラ・アシュレイがなんだかわからなかった、この私がですよ。世の中、怖いですね!

フード・ワイン担当のアントニもおそらく訳出に苦労したでしょう。料理は苦手だし、外食もなじみの庶民派の店しか行かないし、ワインの知識も漫画『神の雫』(講談社)で学んだ(?)程度です。漫画に出てきたオーパス・ワンのヴィンテージを買って友人の結婚祝いに持っていき、その場でなみなみとついで水のようにがぶ飲みしていたら、「そのワインはそういう飲み方をするものではないよ……」と、たしなめられたこともあります。実はワインの仕事は過去に一度だけしたことがあるのですが、その時はワインのドキュメンタリーを5 ~ 6 本見て、テイスティングで使われる表現を徹底的に詰め込み、当日はいい感じに仕上げた記憶があります(自社調べ)。けれど詰め込みだけに、数カ月もすればきれいさっぱり忘れてしまうのが常。今この瞬間に「厚みのある味」なんて言われても、感覚的に正しく訳出する自信はありません。安易にthick flavorとか言ってそう。もちろん間違いだけど(rich あたりを使うのが無難)。

カルチャー担当のカラモは、ヒーローの心に変化を起こすのが仕事。番組に出演するヒーローは心のどこかに傷を抱えているケースが多いのですが、カラモはヒーローが自分の傷(例えば忘れられない過去など)と向き合って乗り越えるように支援します。私にとっては、おそらくF5の中では最も訳しやすい、感情移入しやすいタイプの人間です。彼に限れば、事前勉強なしでも一定のレベルには仕上げられたと思います。

同じ価値観を生きる

で、結局は誰が通訳者に選ばれたのか? それは私も11月1日に番組が視聴可能になり、初めて知りました。通訳者は、初回の最後に姿を見せるのですが、Lena-Grace Sudaさんの姿をパッと見た瞬間、「これは負けた」と思いましたね。 そもそも 通訳以前に生き方で完敗していました。私はどこまで行ってもF5 の価値観を理解したつもりで訳すことしかできませんが、彼女は実際にF5のファッションやライフスタイル、考え方を普段から生きている(検索してみてください)。というかアルバムも出しているアーティストなのね。その上でバイリンガルなのですから、もう勝ち目がないじゃないですか……!

関根マイクさんの本

同時通訳者のここだけの話
※本記事は『ENGLISH JOURNAL』2020年2月号に掲載した記事を再編集したものです。

関根マイク フリーランス会議通訳者・翻訳者。関根アンドアソシエーツ代表。FIFA(国際サッカー連盟)公式通訳者。カナダの大学在学中から翻訳・通訳を始め、帰国後はフリーランス一本で今に至る。政府間交渉からアンチエイジングまで幅広くカバー。著書に『同時通訳者のここだけの話』『通訳というおしごと』(アルク)。ブログ「翻訳と通訳のあいだ」 https://blogger.mikesekine.com/

SERIES連載

2024 03
NEW BOOK
おすすめ新刊
観光客を助ける英会話
詳しく見る
メルマガ登録